3話 恋バナ
ここ最近、オフィスではある噂でもちきりだ。
それは、弓田と雪美の関係。
少し前までは俺と雪美だったらしいが、あの日揃って遅刻したのは、2人が朝まで一緒だったのではないかという仮説から生まれたようだ。
まあ、前日一緒だった俺は全てを知っているが、そんなことに巻き込まれるのもめんどくさいので黙秘している。
「ちょっと吉崎君。みんなにちゃんと説明してよ。」
もう毎日の日課のように雪美から言われている。
俺にはどうでもいいし、弓田にとっては嬉しい噂らしく、このことに関しては黙っていて欲しいとも言われている。
外回りなどで一緒にいる時間が多いので、ここは弓田の意見を尊重することに。
「もぉ~、ひどいと思いませんか?」
帰りの屋台では、おやっさんにもこの話をしている。
おやっさんも最初は笑っていたが、2日目から早くも軽く受け流すようになった。宮さんに至っては最初から無反応。
宮さんはうるさい女は嫌いなようで、俺と意見が合った。
人の噂も75日というが、これがまだまだ続くのは正直しんどい。
おやっさんも宮さんも、口をそろえて同じことを言う。
「類が嫁に貰え。」
全く迷惑な話だ。俺はおとなしい歳下の女が好みだ。それを毎回二人には話しているが。
「じゃあ、なんでいつも一緒にここにいるんだ?」
そう言われると何でか分からない。今は仕事と向き合いたいのに、本当に迷惑な話だ。
俺とは対照的に、弓田は毎日気分が良さそう。
外回りの社内の中でも、いつも雪美のことを話してくる。雪美はいい女だとか、弓田とお似合いだとか。
そんなこと知らね~よ。
これも自分の為なのか?
社長、たぶん違うと思う。
たまにこんな自問自答をしながら、毎日を過ごしていた。
それから1週間ほどが経ち、そんな噂も少しずつ影をひそめてきた。
雪美は宮さんとおやっさんの顔色を悟ったのか、あまり屋台に現れなくなった。
「あの姉ちゃんは元気か?」
来ないは来ないで宮さん達も少し違和感があるようだ。
まあ、オフィスでは普通に仕事してるようだから心配しなくて大丈夫とは言っている。
屋台は以前の静けさを取り戻し、まったりとした時間を過ごすことができるようになった。
俺にとっては至福の癒し時間だ。
「仕事は楽しくなってきたか?」
週に1回必ず宮さんはこの問いを投げてくる。初めてこう問いかけられた時は、どう返していいか分からなかった。その時に考えて絞り出した答えは「まあ。」だった。
「ようやく楽しいと思えるようにはなってきた感じすかね。」
宮さんは少し笑った。
そして、「だろうな。」と一言。
宮さんやおやっさんの歳というか人生経験というか、今風に言うとそのレベルになると、何気ない会話や雰囲気で分かるんだろうな。
「一杯いいですか?」
3人で盛り上がっていると、新しいお客さんが入ってきた。
俺は思わず立ち上がっていしまった。
「おぉ。珍客じゃねぇか。」
そのお客さんとは、神谷産業の社長だ。社長は宮さんに深々と頭を下げ、俺の隣に座った。
「類、なに突っ立ってんだ、座れ。」
突然のことで茫然としていた。宮さんから声を掛けられて我に返った。
「失礼します。」と言って席に座ろうとすると、宮さんは笑いだした。
「お前が先に飲んでた席に勝手に入ってきたんだ。失礼しますはお前じゃないだろ。」
社長は全くその通りだと笑いながら俺を座らせた。
「いつも私の会社の者がお世話になっているようで。」
宮さんに対し、低姿勢な社長。「まあまあ。」と言いながらビールを注ぐ宮さん。
社長と宮さんも若い頃に一緒に働いていた仲間。
社長は宮さんから沢山のことを学んだという。ビジネスに人間関係にと、参考書では勉強できないことがたくさん。
時折入るおやっさんの茶々が会話のアクセントになり、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
「今日は楽しいお酒をありがとうございました。」
俺は3人に深々とお頭を下げて屋台を後にした。今と昔では仕事の内容は違えど、仕事に対する姿勢や会社に対する想いや情熱は、この数時間でたくさん学ぶことができた。
夜空に浮かぶ大きな月を見ながら、明日を楽しみに俺は帰り道を千鳥足で歩いて帰った。
翌朝、いつもより1時間早く目が覚めた。
身支度を整えて、さあ出勤!と、その前に。
「おはよう。今日は一緒に会社行くぞ。早く準備しろ。」
おやっさんと宮さんと社長との勝負に負けた罰ゲーム。
雪美と一緒に会社に行くという約束だった。
雪美に電話をしてから10分ほどしてからアパートを出た。
雪美のマンションまでは歩いて5分程。
20分、30分、、、一向に出てこない雪美。
そして40分、ようやく出てきた。
「なっげーう○こしやがって。」
そう言うと雪美は思いっきり肩パンしてきた。
「なんてこというのよ。女の朝は大変なんだから。」
雪美は少しムッとしていたが、とりあえず一緒に会社へと向かった。それにしても、あれだけ一緒にいた時間があって、全然一緒に居なくなって、また一緒にいて。
前とはどことなく違う感覚があった。
「何よ。あたしの顔、何位かおかしいの?」
何気に見ると、雪美は美人に見えた。
「いや、、、別に。」
雪美はにやにやして俺に近づいてくる。
「ようやくあたしの魅力に気づいたか?」
そんな雪美に対し、1つため息をついて早歩きで会社へと向かった。
雪美は俺の後ろを楽しそうに鼻歌でも歌いながらついてくる。まあ、悪い気はしなかった。
会社につくと、弓田が入口で待っていた。
「おい、彼氏が待ってるぞ。」と半笑いしながら雪美に言うと、雪美は俺の腕を掴み、「おはようございます!」と元気に弓田に挨拶をしてそのまま会社の中へと俺を引っ張っていった。
「何だよ。」と言って腕を離すと、雪美はアッカンベしながらオフィスへと入っていった。
でも、何だか嫌な気はしなかった。
そして、腕に残る雪美の胸の感覚。
「どゆこと?」
あっけにとられた弓田が後ろから声をかけてきた。
何と言っていいのやら。
「吉崎、約束破ったな?」
その声は、社長だった。
弓田は社長を見るや否やキチッと背筋を伸ばし「おはようございます!」と挨拶をした。
「ちょ、社長違いますって、、、」
俺は社長に事の経緯を説明しようと、弓田を残して社長と一緒にオフィスに向かっていった。
社長と別れてオフィスに行くと、雪美の周りに女子社員が集まって、またいつものように雑談を楽しんでいるようだった。
俺は仕事の準備をしようと、パソコンを立ち上げて書類の整理などをしていた。
「おはようございます。」
スッと綺麗な手が目の前に。
見覚えのない綺麗な女性がコーヒーを持ってきた。
俺は茫然とその女性を見ていると、雪美が近づいてきた。
「おはようございます。吉崎君に何か御用ですか?」
その女性の胸には秘書課の社員証が付けられていた。
「あなたとあなた。朝から仲良く腕組んで出勤なんて、幸せですね!」
俺と雪美は顔を見合わせてエ~っと驚いた。
「何言ってんですか?誰がこんな女と。。。」
「こんな女?って」誰のことよ!」
楽しい雰囲気のオフィスに雪美の怒号が響く。
俺は秘書課の女性をオフィスから連れ出し、外に出た。
するとそこには大笑いしている社長の姿が。
そして俺は気付いた。
これは昨日の罰ゲームで今日のことを知っていた社長の罠。いわゆるハニートラップだ。
「では失礼いたします。」
涼しい顔をして社長の元へと去っていく秘書課の女性。
振り返れば鬼の形相の雪美。
今日はこのまま退社したい気分だった。