10話 手紙
雪美の案内で会社を一日回った。
原田君はいろんな話をして楽しそうに会社を見物していた。
俺は、、、雪美の斜め後ろからの姿をずっと見つめていて、ほとんど記憶がないくらい。
雪美は俺のことをどう思っているんだろう。
そればかり。
帰り道、原田君は俺に何度も「ありがとう」と言ってきた。
俺は特に何もしてないが、原田君にとっては貴重な体験だったんだろう。
寮に着き、俺と原田君はそれぞれの部屋に帰っていった。
雪美と話す時間はほとんどなく、どんな思いがあるのか分からず終まい。
ただ、別れ際にさりげなく渡されたものがある。
ベッドに寝転がりながらそれを取り出した。
それは雪美からの手紙。
「吉崎君お元気ですか?妹から聞いている通り、私は妊娠しています。吉崎君との子供ではないと自覚もしています。こんな体になり、もう吉崎君に会う資格はないと思っていましたが、やっぱり会いたくて、神谷社長のお言葉に甘えて一日だけ会社に行くことにしました。たぶん、お話ができる機会はないかと思いますが、少しでも一緒にいる時間ができることが楽しみでした。吉崎君には辞職までさせてしまい、本当に申し訳ない気持ちがあります。その上で会いたいなんて。自分勝手ですみません。私は実家に帰って、シングルマザーとしてこの子とともに生きていくつもりです。吉崎君は優しい方だからきっといい人が見つかると思います。もういるかもしれませんね。今日は本当に会えてよかったです。お元気で頑張ってください。前川 雪美」
俺は、心のどこかでまた付き合おうって話になると期待していたのかもしれない。
窓際に置いてあるフラワーロックをただ見つめながら、その夜を過ごした。
翌日、管理人室でパソコンを開いた。
雪美からの手紙に納得ができないというか。
半年前まであんなに仲良くして、愛し合っていたのに。でも、半年間連絡も取ろうとしなかった俺も俺だし。
いろんな感情が交錯した昨晩。
やっぱり、ちゃんと話がしたいという思いが湧いてきた。
その思いを手紙にしようと、パソコンで伝えたいことを必死に書き出した。
そして、思いをつづった手紙を今度は直筆で書いて、いざ出発。
向かうはケンタの居酒屋。
雪美に直接渡したいが、連絡先も分からない。
そこで、居酒屋でバイトしている妹にこの手紙を託そうと思った。
「類さん、こんちゃっす!」
相変わらず声がでかいケンタ。
店内はすでにお客さんが入っているようで、ケンタは忙しそうにしていた。
時間は17時45分、そろそろ来てもいいと思うんだが。
「お疲れ様です!」
そう言って入ってきたのはユイだった。
ユイは俺の顔を見ると、素早く近づいてきた。
「類さん、こないだは、あたし、余計なこと言ってしまってごめんなさい。」
ユイは原田君のお祝いでの席のことを言っているらしい。
「あ、うん。全然気にしないで大丈夫だから。」
すでにその時のことは俺の記憶になかった。
ユイは笑顔で奥の方に入っていき、準備を始めた様子。
「ケンタ、今日はるちゃんは?」
妹は今日は風邪で休んでいるらしい。
その代わりにユイに臨時で入ってもらっているとのことだった。
「はるちゃんに何か用事ですか?」
俺はケンタにこの手紙をはるちゃんに預けて雪美に届けてほしいと伝え、帰ることにした。
ケンタは快く引き受けてくれて、少し安心した。
そして帰り道、俺は引き寄せられるようにおやっさんの屋台へと足が動いていった。
「おぉ、いらっしゃい。珍しいな。」
この感じ、この雰囲気、俺の隣にはいつも雪美がいたんだけどな。
いつものようにおやっさんと瓶ビールを分け合って、乾杯をした。
おやっさんには、何でも話してしまう。
昨日のこと。
神谷産業に原田君を連れて行ったこと。
昨日は覚えてなかったけど、手紙をケンタに渡してから少し気持ちが楽になったのか、昨日目に映った光景を少しづつ思い出してきた。
そしてその後、いつものように宮さんも現れて、半年前と同じように本当に楽しい時間を過ごした。ただ、時折気になってしまう俺の右の空席。
酒もすすみ、そろそろ店じまいにしようかとおやっさんが暖簾をしまい始めた。
宮さんもだいぶ酒が回り、うつらうつらとしている。
「おやっさん。俺、雪美が好きです。」
おやっさんは、暖簾を片付けて小さな音で流していたラジオも止めた。
「だろうな。」
宮さんをタクシーに乗せて、おやっさんの屋台を出た。
帰り道にある公園のベンチに何気に座った。
数か月前、ここで雪美と初めてキスをした。
何度も夜空を見上げて語り合った時間がとても愛おしく感じる。
もし時間が巻き戻せるならば。
そんな思いを抱きながらそのままベンチで眠りに落ちた。
目が覚めると、もう朝になっていた。
公園には朝のジョギングをしている人の姿が。
「眠っちまってたか。やばい、帰んないと。」
固いベンチで寝ていたせいか、体中に痛みが走る。
ふらふらとしながらもゆっくりと寮へと帰っていった。
そしてたどり着いた管理室。
すぐに椅子に座り、いつものように外出ノートのチェックを行った。
「ん。原田君は今月で退寮か。」
田舎に帰ることになっている原田君。
すでに荷物をまとめる作業をしているらしく、寮を出たり入ったりと忙しそうだ。
「もう荷物運んでんだ。」
原田君は忙しそうに、でもどこか楽しそうにしている。
「はい、一日でも早く帰ってあげたいんで。あ、そうだ。」
原田君はおもむろにポケットから何かを取り出した。
「これ、良かったらお願いできませんか?」
そう言って渡してきたのは結婚式の招待状だった。
実は、就職が決まったと同時に彼女との結婚も決めていた。
実家には彼女も連れて帰っていたらしい。
親父さんは2つも嬉しいことがあって本当に喜んで楽しい酒を飲んで、そして天国へ行ってしまった。
そんな状況だったので、結婚はおろか彼女と別れようとも思ったらしい。
だけど、彼女は逆に強い気持ちを持って、一緒に田舎に行って原田君を支えていくと言ってくれた。
彼女の両親も娘の強い気持ちを尊重し、学校を辞めて嫁ぐことを了承してくれた。
「うん、俺なんかが参加しても大丈夫なら喜んで参加させてもらうよ。」
俺の中で、他人の幸せを祝うことで自分にも幸せなことが起こるんじゃないかと密かに考えてしまっていた。
そして今夜、妹の手から雪美に俺の気持ちをつづった手紙が渡される。
またあの日に戻れるのではと、淡い気持ちを持って数日間を過ごしていくのであった。