第1章‐1
「陸斗は覚えてない…よね」
鏡の前で髪を結いながら、思わずため息をつく。思い出していたのは、もう何年も前のある日のこと。そう、私がこの町に引っ越してきた日───”あの人”に、初めて会った日のことを。
『はじめまして。隣に引っ越してきた小林です』
人見知りが激しい私は、お母さんの後ろで縮こまってたっけ。
『まぁ、娘さん? 可愛いですねぇ。何歳なの?』
『ほら、若葉。ちゃんと自分で答えなさい』
私はお母さんに背を押され、恨みがましく思いながらも一歩前に出て、指で”5”と表した。でもすぐに、お母さんの背後に隠れるかのように急いで戻った。
『すいませんねぇ。うちの子、恥ずかしがり屋で…。本当にもう』
『いえいえ、うらやましいぐらいですよ。うちの子なんて、もう恥とは無縁で…。手に負えないぐらいなんですよ。ほら、陸斗! 陸斗~! ちょっと来なさい!』
『何、お母さん?』
少ししてから出てきたのは、少しむすっとした表情をしていた、当時の私と同じくらいの年の男の子。
安西 陸斗。私の一番大切で、好きな人。
私達に気づいたのか、陸斗はこちらをちらっと見て、軽く会釈をしてくれた覚えがある。
『うちの子も5歳でね。ほら、陸斗。挨拶しなさい』
陸斗は、陸斗のお母さんに背中を押されて、靴下のままで玄関に出てきたっけ。あの時は、正直そっちに目がいっちゃってたな。
『こんにちは! 僕、陸斗! 名前、何て言うの?』
彼は満面の笑みを浮かべていて。その笑顔がまぶしくって。それでも、積極的に話しかけてきた陸斗におびえてしまっていた私がいて。
『こ…、小林 若葉……』
そう言った私の声は、微かに震えていたと思う。
『若葉? 可愛い名前だね! これからよろしく!』
陸斗はそう言って、手を差し出してきたんだっけな。そして私はおずおずとしながらも、その手を握った。
今でも、覚えている。陸斗の、温かった手を。その後の、言葉も。永遠に、忘れない。忘れたくはない───。
内気でおとなしくて地味な、私。
明るく活発で人気者な、彼。
幼馴染の私達の甘くてちょっぴり切ない
はちみつ味の恋物語。
HONEY
「若葉、おっはよぉ!」
「おはよう、千尋」
千尋に声をかけられて、笑顔を浮かべる。
私の名前は小林 若葉。13歳の中学2年生。特別頭がいいってわけじゃないし、悪いってわけでもない。特に特技も夢もない、平凡な女の子。
「ねぇ、昨日のドラマ見た? やっぱあっくんかっこいいよねぇ~!!」
それに比べて今私にしゃべりかけている親友の野村 千尋は頭もいいし、運動も得意。ピアノもバイオリンも弾けちゃうし、バレエなんかもできちゃうし、英語もペラペラ。それに加えてとっても美人で、将来の夢は歌手らしい。
胸より少し長めの、低めのところでツインテールにしている漆黒の髪はさらさらで、顔にはニキビひとつない。色白で、まつ毛は長くて人形か何かのようで。手足も細くて、すらっとしていて、スタイルも抜群。
うらやましいぐらいに完璧な、千尋。そして嫉妬してしまうほどに完璧な、千尋。もちろんわかってる、比べちゃいけないって。わかっている。なのに私は千尋を見ると、思わず溜め息をついてしまいそうになる。
私の髪は色素が薄いせいか、ちょっと茶色っぽい。みんなは綺麗って言ってくれるけど、私はこんな色、大嫌い。しかも癖っ毛で、千尋みたいなストレートじゃない。さらさらじゃない。肌の色だって、白い方って言われるけどそうは思えない。しかもほくろやニキビは多いし、目が悪いから眼鏡をしなくちゃいけない。ただでさえ、見た目に自信はないのに。眼鏡だなんて、最悪。
それに、身長だって低い。たったの142センチ。この間だって、小学生と間違われた。これが自分の中での最大のコンプレックス。
千尋が大人びているのに対して、私は子供っぽい。私が求めているものを、千尋は全て持っている。羨ましくて、悲しくて、嫉妬してしまって。劣等感も感じていて。
けど、そんなことは決して口にしない。絶対に、言えない。言うとしたら、千尋との友情を壊したいとき。確かに嫉妬してしまったりもするけど、千尋は大切な友達だから。傷つけたくはないから。これは、たてまえなんかじゃなくて。
「あ、そういえば今日の社会の課題! あれって、まだ習ってないとこだったよね?」
「うん。うちのクラス、他に比べて授業遅れてるもんね…」
「絶対坂口のせいだし! あいつ授業妨害してばっかだもん。ふざけんなって感じ~」
「たしかにね~…」
あんまりそうは思ってなくても、適当に話を合わせる私。意気地無し。こんな私、大嫌い。
私は昔から意志が弱い。簡単に思ってたことを曲げちゃって。人の意見にばっかり合わせて。ただ、心の中でいろいろと言うだけ。正直、すごくなさけないかも。でも、それを直すことができない。だから更に、なさけなくなっちゃう。




