羽根は翼を探して②
二週間も一緒に旅をすれば、見えていなかったものが見えてくる。
馬車に乗って揺られているばかりの道中であれば尚更だ。
例えば、あれほど蛇骨の如く扱っていた先駆者のヤタの帰りが遅いと、コルヴォは空を見上げる回数が多くなる。
例えばヤタが偵察から戻る傍ら、取ってきた赤い実をコルヴォの上に落とすのを見た。
ものぐさに見えたフォグは朝起きるとまず必ず馬車と荷物の点検をしていたし、一日一回はリトアに体調を尋ねてきた。
戦闘になった際の役割もそうだ。
必ず、前に出て剣を抜くのはコルヴォ。
その際フォグは御者台から降りて剣に手は掛けてはいるものの、実際に戦うところはリトアは一度だって見ていない。
「フォグさんって弱いんですか?」
リトアがそう尋ねると、キョトンとした顔をしたのはコルヴォだった。
それから「ぷっ」と噴きだし、
「ふふ、あっはっはっは! いやいや言われてますよ~フォグさん。無知って怖いです。よりにもよって、『戦場覇者』を捕まえて弱いんですか? なんて!」
「コールヴォ?」
低い声でフォグがじろりと睨んでも、コルヴォは嗤いを隠せずくつくつと漏らしていた。
『戦場覇者』と呼ばれる存在はリトアも知っている。
大戦で人に在らざる、まさしく『英雄』の所行を為した者達を指す言葉だ。
そこには当然の様に、『銀燭の魔鴉』の名も連ねられている。
「いや失礼、今のは失言ですから忘れて下さい」
「え、でも、オーヴァー……」
「忘れろって言いましたよ?」
細められた彼女の黒瞳はリトアに有無を言わせなかった。
諦められなくて視線を向けた先のフォグは、逃れるようにふいっと顔を背けた。
(ちょっと、英雄なんじゃ無いんですか!)
平気で敵前逃亡を決め込む英雄(推定)に、リトアの内心も穏やかではいられない。
そんな二人のやりとりを見て、細められたコルヴォの黒瞳はきらりと妖しく光ったのだ。
「納得できないのでしたら試したらどうです?」
ぼそりと、イジワルな笑みと一緒に。
「ためす?」
「はい。村では魔物の討伐をしていたとか、腕に覚えはあるのですよね?」
顎で指した先は、リトアが村から持って来た小さな鞄に立てかけた剣。
父の忘れ形見で、今日まで手入れまで自分でしてきた一振りだった。
「いいんですか?」
畏れるどころか、不思議とリトアの鼓動は高鳴っていた。
「良いんですよ。配達員として安全に荷物をお届けする能力を疑わたままではソレイユの沽券に関わります。ねっ、フォグさん?」
あれよあれよと、話が纏まってしまい、フォグはと言えばあんぐり口を開けて固まっていた。
リトアは剣術を学んでいない。
型を知らない。
理論も分からない。
一番最初の戦いから変わらず、感情のままに剣を振ることしか分からない。
魔獣との初めての遭遇は父が村の手伝いで家を離れており、外れの小屋で留守番していたときだった。
小屋の扉を破って入ってきたその四足の魔獣を前に、リトアは咄嗟に暖炉の火掻き棒を手に立ち向かった。
血だらけになりながら爪と牙を避け、火かき棒を獣に突き刺すことばかりを考えていたことを鮮明に憶えている。
結局、魔物を仕留めたのは戻ってきた父だったが、リトアは生き残った。
出血のせいで意識が霞んでいたリトアには、そのときの父が、リトアをどんな目で見ていたかは思い出せなかった。
少なくとも喜んではいなかった。
―― そうか ――
低くそう言った気がする。
安心と、それから悲しみをない交ぜにしたような、困ったような、泣き出しそうな判別つかないそんな顔もしていた気がする。
その事件の後も、父はリトアに剣を授けてはくれなかった。
ただ、今まで父が腰に剣を佩いていた剣を、共用物のように居間に置きっぱなしにする事が多くなった。
寝る前にしていた手入れもリトアが起きている昼間にやるようになって、それを、リトアは盗み見て憶えた。
父が村を出るときも、剣は家に置いてけぼりになっていた。
リトアがその剣を使って村の近辺に現れるようになった魔獣を狩るようになったのは、それから間もなくだ。
リトアは誰からも戦い方を学んではなかった。
だが、戦いの中で『魔術』を知った。
戦うときにはいつも思い出す。
あの牙と爪を前に『高揚』した身体、全身を奔る活力。
それは拙いながらも、確かに魔力を扱う技術だった。
「ふっ」と息を吐いた。
柄を握る手がぎゅっと鳴った。
開いた目は前で緩い姿勢で立つ青年の前髪の一本までを捉えた。
(剣の先を真っ直ぐ敵に向けて――)
前傾姿勢、柄尻を手の平で支え、ただし、剣先は下向かないように。
剣を嗜んだ者なら、失笑を禁じ得ないだろう。
明らさま過ぎる。
見え見えすぎる。
その姿勢からは刺突しかありえない、そこから先が存在しない。防御すら出来ない。
そうやって油断したものは瞠目するだろう。
傾いだ身体が、つま先が、爆発した。
矢疾のごとく。
魔獣を相手取っても通用した一撃必殺。
知識が無いから、技術が無いから、だから完成したごくごく単純な発想と結論。
(――真っ直ぐ突き刺す!)
小細工が一切無いからこそ、リトアが出しうる限界を引き出せる一撃。
フォグは手を掛けた剣の柄を引き抜くことすら出来ていない。
もはや胸の中心へ吸い込まれていくリトアの剣を回避することは不可能に思えた。
世界が回った。
「ぁはっ」
ずでんと、背中から地面に落とされたリトアが悶絶する。
肺から空気が強制的に吐き出されて目の前がちかちかする。
強かに打ち付けた背中、後頭部が痛みを訴える。
「な、なんで?」
いや、分かっていた。
投げられた事も、その前になにをされたのかも、魔力の恩恵で視力に活力を得ていたリトアには、魔力を使う事すらしなかったフォグの動作は見えていた。
剣腹を素手で叩かれて、足を掛けられ、大腿を上に払われたのだ。
それだけが、リトアが対応できないタイミングで行われた。
「あらら、分かっていた結果とは言え随分とあっさりでしたね」
コルヴォの茶化すような言葉と供に差し出された手をとった。
「う……こほっ」
肺の違和感に咽せながら、立ち上がったリトアは再びフォグを睨みつけ、剣を持ち上げる。
「……って、なあに続けようとしているんですか?」
ビシッ、額を指で弾かれた。
「えっ終わりなんですか? だって、フォグさんはまだ魔力も使ってないのに……」
「あなたのようなひよっこに魔力なんて使うわけないでしょう!」
「うええ~~??」
額をぐりぐり指で押し込まれて、最後にはぱたりとお尻からおちたのだ。痛い。
そんなリトアを、コルヴォは腰に手を当てて見下ろし、フォグは呆れた顔で溜め息を吐いた。
「身の程って奴を自覚なさいよ。あなたの居た村周辺の魔獣の脅威度は下の下、そんな獲物を狩った程度でなーにカンチガイしてんだか。熾すだけ魔力が勿体ないって話です。手合わせして貰えただけでありがたく思いなさいって話です」
「……けしかけたくせに」
「何か言いました? フォグさん」
「……」
じろりと睨まれれば即座に顔を背ける姿は情けないの一言に尽きる。
「わたしだってさすがに予想できませんよ。コレは」
そう言い訳したコルヴォは眉根を寄せたのだ。
「リトアさん、対人経験はありませんよね?」
「え? はい。魔獣としかいままでは……」
首を傾げれば、コルヴォは「そうですか……、そうですよね」と思案顔をしていた。
そこまで、ヒドイと言うのだろうか?
「あの、私って弱いんですか?」
おずおずと訊ねれば、コルヴォは「それは……」とつまり、くにゅりと顔のパーツを歪ませる。
「まあ、悪くないと言えば悪くないことも無いというか……」
煮え切らない。
「お前はホントに人を褒めるのが下手な」
ぽんと黒髪に手を置いたのはフォグ。
「うるさいですよ」
ぎろりと睨まれ馬車へと退散していく彼は、去り際に立ち上がったリトアの肩を叩いていった。
「重畳だよ。傭兵の駆け出しとしてなら充分すぎるほどだ。善くも悪くもな」
フォグの顔は、父がリトアに向けていた表情とよく似ていた。
だから、喜ぶべきか判断がつかなかったリトアは「あ、はい」と戸惑い気味に頷いたのだった。
「でもフォグさん、強いならどうしていつも戦わないんだろう?」
「守っているからに決まっているでしょう、配送物を。わたしが前に出るのを許してるのも、わたしの実力を把握しているからですよ」
「思いつきそうなものですけどねえ」とごち、コルヴォは言い聞かない子供を見る目をリトアに向けた。
「え、でも、強いなら戦いたいでしょう?」
「……本気でソレ、言ってます?」
軽蔑が見え隠れする言葉だった。
「え、だって、だからコルヴォさんだって戦っているんでしょう?」
「それはっ!」
ちょっとムキになって返せば、なぜか、彼女は言いだそうとした言葉を止めて、唇を噛んだのだ。
「……あなたが村を出た理由、理解出来た気がします」
そう言って、リトアを残してコルヴォも馬車へと戻っていった。
「私、変なこと言ってるのかな?」
なんだか距離を感じ、リトアは首を傾げたのだ。