風に舞う羽根⑤
この世界は『魔力』と呼ばれる力が働いている。
魔力は『活性』を司り、生物、植物、ありとあらゆる働きを促進させる。
魔力とは世界からの恩恵であり、与えられるものである。
――しかしだ、例外が存在する。
『神種』と呼ばれる強大な存在を始めとした一部の生物は、魔力を『創り出す』力を備えている。
そういった魔力は世界に充ちる『活性』とは別に、特有の『理』を有している。
例えば『飛翔』、『火炎』、『氷結』、『空間』。
目に見えて分かりやすいものから概念的な効果まで、『色』を持った魔力の力は多岐に渡る。
そして、その力は、時に人の身にさえ宿る。
ハウルの『眠りを誘う黒魔』
メルロアの『灰と鉄の売人』
デュオピタルの『七大翼』――『銀燭の魔鴉』
大戦で戦場を掌握し畏れられた彼らもまた、色を持つ魔力――『魔力燭』を灯す者達だった。
話は戻り、『魔力燭』持ちを除けば、この世界の全ては『魔力』を吸収することしか出来ない。
特に生物ともなれば無機物に比べ、吸収量は大きくなる。
だから強大な魔力に充てられれば、影響を受けてしまうことがある。
ラグドーラはまさにその典型で、竜と怪鳥の『神種』の住処に挟まれた場所に生息した結果、両者の魔力の影響を受けてあのような姿形に変化したと言われている。
このように、『神種』の魔力の影響を受けて変化した生物のことを人は『魔獣』と呼ぶ。
魔獣は通常の生物よりも高い魔力を備え、魔力の特性により活性し、高い能力をもてあました彼らは種族的に攻撃的になる傾向が強い。
旅をしていば、いやでもそんな魔獣たちと出くわす機会が増える。
翻った剣閃は容易く獣の首を切り裂いた。
「見え見えなんですよ。やっぱり、獣は獣ですねえ」
呟いたコルヴォは飛びかかってきたもう一匹の四足の魔獣の爪を「よっ」と躱し、顎下からサーベルを突き入れて絶命させた。
「まあ、犬っころ程度、わたしが何匹だって蹴散らしてあげますがね」
始末を終えて血糊のついた剣を払ったコルヴォは、どしりとフォグの隣に腰を下ろした。
「す、すごい。魔獣をこんなにもあっさり……」
荷台から顔をだした少女は、麻布で剣の手入れをするコルヴォにきらきらした眼差しを送る。
魔力の運用法さえ心得ていれば細腕でも魔獣の強靱な肉と頭蓋を貫くことはそう難しいことでは無い。実際、リトアにだって出来る。
それでも、リトアの目に、一連の流れはあまりに鮮やかに映った。
「顔がにやけてるぞ」
「う、うるさいですよ。といいますか、フォグさんこそもっとわたしを評価してくれて良いんですよ!?」
やんややんやと隣で騒ぐカンカン帽をどうどうと宥め、フォグはかみ殺すような欠伸を一つ漏らしてミィルの手綱をとった。
未開地域を進むことが多い、ソレイユの遊行便。
その旅程は危険が多い。
自然災害、情報の不足、盗賊の類い、そしてなにより多いのが、魔獣との遭遇。
それらの困難に対抗するために、ソレイユの、それも遊行便の配達員は武力を備えていることは有名である。
リトアの村を出立したフォグ達を襲ったのは牙と爪の発達した魔獣だった。
特徴からして、神種『剣狼』の魔力を浴びた獣だろう。
からから廻る車輪、進む車体に身体を揺られ、リトアは後方を振り返る。
「出て来たこと、後悔してないか?」
前を向いたまま、フォグが問いかける。
逡巡したリトアは小さくはにかんで、最後には「いいえ」と答えた。
「私が考えてたよりずっと人が集まってくれて正直びっくりしましたけど。でもやっぱり、後悔は、してないです」
村を出たのは太陽が真上に昇るよりも少し前だった。
畑の仕事もあるだろうに、長役の家の前には人だかりが出来ていた。
外に行くリトアの手をとって激励する老人に、連れて行くフォグを強い目で睨む子供。告白まがいの言葉を送ったのに気付いて貰えない哀れな青年。
リトアなりに村に馴染もうと努力した事が、結果彼女の目論見以上に彼女の居場所を作っていたらしい。
最後にフォグに配達料と、それから無事に目的地に着いたらリトアに渡してくれるように頼まれた貨幣の詰まった袋を託した長役は、まるで娘を嫁に出す親父みたいに丁重に禿頭を晒してきた。
それを憶えている、フォグは勿体ないなと、感じていた。
「リトアさんはさ、あの村が嫌いだったのか?」
「え? そんなこと無いです! 最後にはあんな風によそ者だった私を送ってくれて、みんなが私を愛してくれてるってそう思えたし、でも……」
その時、荷台をちらりと振り返ったフォグには、リトアが馬車の轍と残してきた景色に何を思ってどんな顔をしているのかは、見ることが出来なかった。
「……満たされないかなって」
そう呟いたリトアがどんな感情だったのかを、一片も窺うことが出来なかった。
「まっ、若い子がかかる病気みたいなものでしょう。いつも通る道の先には何があるのか、あの丘の先には『運命』が待っているのでは? 一度そういう考えに取り付かれると走り出したくて仕方なくなる。リトアさんは、それが許される巡り合わせだった。そういうことでしょう」
情緒も無ければ、若い子の栄達を願った村人達を足蹴にする益体の無い言葉だった。
「ははっ、そう言われちゃうと、まあ、その通りですよねえ」
コルヴォの辛辣に苦笑うリトアに少しだけ親近感が湧いたのは内緒である。
「しかし、どうしてハウルなんですか? あそこは野蛮人がいっぱいで女の子が一人で行くのはおすすめできませんが」
首を傾げたコルヴォに、リトアは「やばんじん……」と、引き攣った笑顔を浮かべた。
「えっと、村でも魔獣と戦ったりしていて、商売とか職人とかはよく分からないし、人と話すのもあまり得意じゃ無いから、でも、戦うのならすぐ出来るかなって、それで……」
「ふむ、つまりは特に理由は無いと言うことですね?」
「うぐぅ……」
たどたどしく語るリトアをこれまたバッサリと切り捨てるコルヴォ。
「コル、その辺にしておけ」
「しかしですねえ、フォグさん。これは流石になんと言いますか……前途が不安すぎる?」
求めてくれた手を振り切り、なんとしても外の世界へ行きたいと懇願してきた少女がこれと行った明確な目的を持ち合わせていないというのである。
居合わせたコルヴォとしては釈然としないとは当然だ。むしろ、フォグこそがもっとリトアにもの申して然るべきだとさえ考えるていた。
「それでもだよ。あの子の行き先は自分で決めるしか無いんだ。オレ達はそれを最初だけ手伝ってやるだけだよ」
「……わたしのときは頼んでも無いのに手を差し出してきたくせに」
じとりとした視線から逃げるようにフォグは顔を背けたのである。