風に舞う羽根①
「それでですね――」
長閑な平原を一台の幌馬車がのんびり進んでいた。
「わたしは思ったわけですよ。ミートっていうのはお肉のことです。だというのに、名物『魚のミートパイ』って、これでは魚料理なのかお肉料理なのかわからないです!」
「店員に聞けばいいんじゃね?」
「いーえ、フォグさんはまったくわかっていないです。世の中には慎ましさのために思っても口に出来ない方が大勢いるのです。たまたま店の前を通っただけで、食べていくつもりなんてないのに、ひやかしだと思われてしまうのも恥ずかしいなあという場合は特にです。……このわたしの悶々とした気持ちはいったいどうすれば良いのでしょう!」
「おまえのことかよ」
御者台に座るのは煤がかかった銀板みたいな色の髪をろくに手入れもせずにぼさぼさに生やした青年と、対するように黒髪を真っ直ぐに伸ばす少女の二人。
さらに特徴を付け足すとすれば、青年は頭にカンカン帽を、少女は丈の合わない大きめのコートを羽織っていることだろうか。
「きっとフォグさんみたいに鈍感で、陰気で他人の事なんて路傍の石ころ同然にしか思えないような、さーびしー人間性の人には、わたしの敏感で繊細な感性は到底理解出来ないとおもいます」
「お前相変わらずオレに対して辛辣な」
やれやれと大げさにジェスチャーをする少女の横で呆れの混じった溜め息を落とす彼。
「あ、そう言えば名前がおかしいといえばこの馬車もです。引いているのが馬では無いのですから馬車と呼ぶのはおかしいです」
ビシッと少女に指されて、車体を強靱な足腰で引く生物はクチバシの奥で「くるう」と小さく鳴く。
「ラグトーラが一般に出回ったのは割と最近なんだ。それまでは名前の通り馬を使ってたんだからしょうがないだろう?」
「いーえダメです。そう言う妥協が後世にわたしの経験したような不幸を残していくのです。ですから、変えましょう! そう、このわたしが不幸の芽を抜いて抜いてぶっこ抜いてやります!」
ぐっと両拳を固め、少女は真っ黒な瞳をきらきらさせて大志を抱く。
その横で、やはり青年は呆れて銀色の目を細めたのだ。
「じゃあ、なにならいいんだ?」
「はい、それはもちろん……。リュウシャ? いえ、トリシャ、でもやっぱり……」
堅実な足取りで車体を引くラグドーラは、一見鳥のように見えるが、羽毛が生えているのは腹や翼の内側だけで身体の外側は堅い鱗に覆われている。翼に見えるそれも、飛ぶためでは無く、先端に隠れている爪などを用いて攻撃するのに使われる。
畜産のラグドーラは雛の頃から調教と躾をしているため大人しいが、本来の気性は荒く、コミュニティが違えば同じラグドーラであっても容赦なく攻撃を仕掛けると言われている。
高い持久力に地形に振り回されない安定した速力、おまけに矢を通さない外殻が重宝され、主に軍用に使われていたラグドーラがこうして民間に浸透したのも、侵攻を繰り返していた大国ディオピタルが停戦したことによるところが大きいだろう。
「うぅ~!! なんてややこしい生き物なんですか! こうなったらその羽を毟るか、鱗を剥ぎ取ってやりますよ!」
「おい、ミィルは『ソレイユ』からの借り物なんだぞ? 分かってんだろうな、コルヴォ?」
「ああ、ああ、ああ~! また『コルヴォ』って呼びましたね! わたしのことはかわいらしく『こるちゃん』と呼ぶか、恋人に囁くように『コル』と呼ぶようにって何度もいっているでしょうっ!」
「ならおまえももっと尊敬の気持ちを込めてオレの名前を呼んでみたらどうだ?」
ギャーギャー騒ぎ立てる少女を尻目にそう言ってやれば、当の少女はキョトンとした顔を傾げたのだ。
「フォグさん。あなた自分が尊敬に値する人物だと本気でおもってます? 髪はぼさぼさだし無愛想、おまけにいっつも眠たそうにしてるフォグさんを、チャーミングで頭脳明晰、いいところを上げだしたらキリが無いこのわたしが、本気で尊敬するべきだって考えてます?」
いっそ可哀想な者を見る目を横に、青年はくわっと欠伸を一つ、呟いたのだ。
「……辛辣なあ」
雲を見送る顔には、どことなく哀愁が窺える。
「さあ、フォグさん。気を取り直して、わたしの名前を呼ぶレッスンをしましょう。いきすよ~? せーのっ、こーるちゃん!」
「こーるちゃん」
トコトコすすむ馬車の上で、少女が人差し指をピンと立てて諳んじれば、数オクターブ下がった声が気怠げに続く。
「こーるぅっ!」
「こーるぅ」
「あいらぶ、こーるっ!」
「あいら……あっ、見えてきたぞ、中継地だ」
「ちょちょちょっ! どーして、そこで止めますか! 最後まで行きましょ? ねえ言い切っちゃいましょう? ちゅーとはんぱはあ、よくないですよお?」
「また今度なー」
「ああそーですかそーですかぁ! もういですぅ! フォグさんにはもうほとほと愛想とか尽きちゃいましたから、もう知らないんですからあ!!」
つーんと唇を尖らせた癖をして、期待するように片目を薄く開けてこちらを見てくるものだから、とうとう観念した青年は目玉を右から左へ回したのだ。
「ヤタも待ってるはずだし、ちょっとだけ急ぐからな……コル」
言いおわると同時に、青年は手綱を振るう。
「っ! フォグさん!」
喜色が多分に含まれた声は、馬車を引くラグドールのミィルの「くりゅぅー」という鳴き声に混じって馬車の後ろに流れていった。