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スラムの妖精  作者: 等野過去
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七 聖女史

   七 聖女史


 太陽は頂点まで昇りきり、ようやく空気も温かみを帯びてきました。町を行き来する人たちはまったく止む気配もなく、一体どこにこれだけの人たちが隠れているのだろうかと不思議なほど見渡す限りの人が、それぞれ思い思いの格好で闊歩(かつぽ)しています。

 ラスはそんな人たちを傍目に、駅の入口の階段ですっかり観念したように座り込んでいました。心も体も疲れきり、今朝のこともあって眠気を感じてうとうと寝てしまったならば、十分もしない内に駅員が駆けつけ、その場をどかないと警察を呼ぶと言いだすので渋々向かいのアパートの階段に移動しました。

 小さくお腹が鳴り、先程ケプルトにもらったジャムを開けると指ですくって舐めました。昨晩から洗っていない汚い手でしたし、傍から見れば指をしゃぶっているような品のない幼稚な行為でしたが、往来の人々は誰もがちらりと一瞥(いちべつ)するだけですぐに去っていきます。一度アパートの住人が邪魔そうに舌打ちをして階段を下りて行きましたが、それっきりです。どうして誰も気に留めてくれないのだろう、ラスの疑問はいつまでもくすぶり、これからの行く末も想像だにできないままジャムをしゃぶり続けて、なくなったなら後で水を入れて飲めばおいしいだろうかと、空の瓶もとっておきました。お腹が多少満たされたなら次にくるのはやはり眠気であり、ラスはそのまま両膝を抱えて眠りました。

 起きたのはずいぶんと後で、駅の大時計を見れば十七時を回っており、もう陽が落ちようというところです。慌てて飛び起きると、肌寒さを感じました。

「もうこんな時間だなんて、どうすればいいのかしらん。やっぱりお腹も減るし、何よりも今日も野宿だなんて……とても、とても!」

 あんな寒い夜、昨晩を思い出すだけでも体が芯から震えあがりました。あんなことを続けていては比喩でなく死んでしまってもおかしくありません。いつまでも塞ぎ込んでいたって到底事態が好転するわけがありませんから、すっかり(しぼ)みきってしまった心を今一度鼓舞して町を歩きだしました。

 この際どういったところで働きたいと贅沢を言っている場合ではありませんが、働く以上は何か人よりも優れたものが必要であり、人一倍の技術を自負するに値しているとなればやはり料理しかありません、今度は趣を変えてレストランであれば大丈夫かもしれないと、先程までの失敗の印象を頭の隅に追いやりながら、同時にそれらと同じ結果にならぬようにと考えを巡らせました。

 町ともなれば幾つもレストランはありますので、とりあえず一つ一つ、道端からぼんやりと眺めて回りました。

 するととある一軒で、素晴らしい張り紙が目に留まりました。

『働き手募集! 年齢不問、給与時間要相談 まずはお話を!』

 矢も盾もたまらず、すぐにもお店へと入りました。

 客も多くはなく、朝のように慌ただしい時間に面倒をもちこむなと邪険にされることもないだろうことを確認して、さっそく店長を呼んでもらい、挨拶をしました。

「突然恐れ入ります、店先に貼られておりますチラシを拝見したので参りました。私はラス=メイシィと申します。まずは、お話を!」

 ラスが挨拶しましたが当の店長はこんな子供が来るとは予期しておらず、また客はおらずともディナーの準備で忙しいこの時間帯に来られて迷惑という気持ちが非常に色濃く出ていました。次からは募集年齢と来店時間の制限を設けなくてはいけないなと、募集チラシの作製に強く反省しました。

「お菓子は昔から頻繁に作っていましたし、料理だってレパートリーは多くありませんがちょっとしたものですから、色々と教えていただければすぐにも沢山のものを作ってみせられるかと思います。いかがでしょうか、良ければご覧にいれたいのですが……」

「ちょっと待った! うん、それもそうだけれど、まずはその……ね」

 店長の狼狽(ろうばい)ぶりは戯画(ぎが)のようで、こんな汚らしい恰好の子供が厨房に入る姿を見られでもしたなら苦情殺到が目に見えていますから冷や冷やものです。それでなくともこうして店の入り口付近に立たれているだけでも客足は簡単に遠のくだろうと、どのように対処しようか悩みあぐねていました。

「うーん、実はね、別に今は人手が足りないこともなくてね。その貼り紙ははがし忘れていたんだが、迷惑をかけてしまったね」

 店長は方便を使ってうまくいなそうとしましたが、ラスとしてははいそうですかと諸手(もろて)を挙げて引き下がれるわけもなく、それこそこれ以上時間が遅くなってしまっては夕食時間帯に入ってしまいますからお食事処は軒並み相手にしてくれはしないでしょう。料理以外では手に職があるわけでもないラスはこれがラストチャンスのつもりで、必死に食い下がりました。

「まあ、そうだったのですか。でもそれでしたら欠員が出たときなど、どうぞ使っていただけませんでしょうか? 別に金額に強い希望などありませんし、そうです、一度料理をしてみせられたならば、きっとお気に召していただけることかと思いますの」

 そうしてラスはまた厨房へと入っていこうとするものですから店長は目の色を変えて止めると、いい加減にしろと舌打ちし、頭をわしわしとかくのでした。

「雇うだけの余裕がないんだから、料理をみせてもらわずとも結構。何より子供なんて……不要だと言っているんだから交渉の余地もないんだよ、悪いが帰ってくれ」

「でも私はあのチラシを見て伺ったんです、チラシが誤りだとわかりましたし、新しい人材が入る余地がないこともわかりますが、それでも一度料理をみてから判断いただけるくらいの(じよう)(じよう)(しやく)(りよう)をどうか許していただけはしませんか?」

 ラスは一度でも料理をみせさえすれば何らかのチャンスにつなげられるに違いないと必死でした。このまま素直に去ってしまっては今までと同様にどこに行っても同じようにあしらわれるだけだからこそ、新たに切り開く必要があると思っていたのです。

 しかしながら店長にはチラシをはがし忘れた不手際を、まるで揚げ足を取るかの如くあげつらったようにしか聞き取れず、小生意気な子供にしか映りませんでした。

「料理などせずとも知識で十分に推し量れるものだ。だったら聞くがね、アペリティーフには赤と白、どちらが合っている?」

「え……えっと、白、ですか?」

「理由は?」

「……」

 踏み込んで聞かれたならば、ラスはもう何一つと言えません。食前酒(アペリティーフ)などイタリア語ですから初めて聞きましたし、ワインに赤と白があることはおろか、質問自体がワインのことを話しているとは知らず、魚身の色の話だと思っていたくらいです。店長も答えられないのを承知で子供にお酒の話を取り出すなど、ずいぶんと人が悪いものです。

「それみたことか、どだい子供には無理なんだよ」

「でも、知識はこれから身につけますから、どうぞ、どうぞ一度私に料理を……」

「しつこい!」

 頭を叩かれたなら、そのまま腰をむんずと掴み掲げられて、店の外に放り出されました。

「もう二度と来るな、迷惑なんだ! 客が来なくなったらどうしてくれるんだ!」

 まさかそうまで邪険に扱われるとは覚悟しておらず、完膚なきまでに打ちのめされていたラスですが、それ以上に怖かったことは、道行く人たちがそれでもなおちらちらと様子を窺うだけで声をかけることはおろか足を止めることすらしないことです。

 段々とこみあげてくる悲しみに、身がつまされました。どうして誰もが自分に気付いてくれないのだろうか、まるで自分という存在が町全体から否定されているようにすら感じました。夕刻ごろのごった返した往来そのものが役立たずだと彼女の接触を跳ねのけているのです。

 ラスは歩きましたが、誰もそれを気にとめないのです。彼女が倒れていようと、座っていようと、一緒に歩こうとも彼らは何一つと気にとめないのです! これほどの人いきれだというのに、全員が全員、互いが互いに無関心であるとするならばどれほど恐ろしいことでしょうか。壁の様な雑踏が目の前に広がりながら、誰一人とラスを見ていないのです、そこここに転がっている石となんら変わらない存在として彼女を捉えるのです!

 鳥や虫の柔らかく心地よい(さえず)りなどどこにもなく、道行くおびただしい人たちが無関心という刃をちらつかせながら闊歩して、無感情な雑踏と馬蹄(ばてい)の重く固い音が脳を揺るがさんとする、これが町なのです。村のように誰もがすれ違うたびに挨拶を交わすこともない、人ごみにいながら自分以外誰一人とも見ていない矛盾するような閉鎖された視界をもつ人達。

 こんなにも人が怖いものだったとは、今の今まで知りませんでした!

 ラスは慌てて、どこか、人から逃げられる場所を探しました。時間はちょうど夕刻を過ぎましたので次第に人波は増していきますから、少しでも早く逃げられる場所を探します。建物つたいに()ったならば、レストランと隣の民家の間に、人一人が辛うじて入れそうな(きよう)(しよう)な街路があることに気付きました。ちらり覗いても先は真っ暗闇でどうなっているのかわからず、まだ夕方の太陽が出ているにもかかわらずまったく違う世界のように映りました。

 不幸にも、今の彼女にとってはそれはまたとない空間にすら映り、暗闇におのずから飛び込んでいったのです。

 か細い道を抜けたなら、すぐにも広い、道というにも相応(ふさわ)しくない暗黒の空間が出現しました。これはまたとない発見であり、町の街路と街路の間、もっというなれば道沿いの家と家の間にこんな路地裏があるとはまったく知りませんでした。二本の並行する主要道に沿うように、その暗い道はすっと長く続いています。左右を窺えば薄汚れた石畳の上を(ねずみ)が何匹と走り回っており、煤けたテントが幾連も立ち並んでは、泥や(どぶ)の匂い、生の魚肉の香りといった常人であれば本能的に危機を察知し幾時分たりともとどまること適わぬだろう死んだ空間がのっそり横たわっていました。表向きには華やかな風貌をしている家々の裏側はこんなにも荒んでおり、剣呑な空気がそこかしこにわだかまっているのでした。鼻で息をしたなら激しい刺激が脳をつんざきましたし、目を見開いたなら痛みを感じて涙が自然にあふれ出てくる始末です。

 しかしラスはあえて深呼吸をし、むせながらにようよう笑顔を取り戻しました。人影すら満足に映らぬような暗闇と下衆(げす)の香りこそが一種の共鳴とでもいおう皮肉な安堵をもたらしたのです。今の彼女にこれほどそぐう空間がありますでしょうか!

 興味をくすぐられ、ラスは突然陽気になって路地裏のど真ん中を、悠々と歩きだしました。一歩踏みしめるたび砂利ともガラスともつかない鈍い音と苔のぬめった感触が足を伝わり、気を抜けば危うく滑りそうになりました。立ち並ぶ四角いテントの横には新聞が無雑作に敷いてあり、その上で肌着一枚だけを纏ったおじさんが寝ていました。またあるテントの隣には、一晩幾らなどと記載された色褪()せた看板が立てられていました。あるテントからは卑下(ひげ)た笑い声が漏れてきましたし、つばだけの帽子をかぶりながらやせこけた頬を覗かせる、やせっぱしの老爺(ろうや)が座って鋭い目でラスを睨みつけました。

 町というところはどこもかしこも活気があふれるものだとしか認識しておらず、こうして表裏一体とばかりにすぐ(たもと)にはスラムがあることをラスは知らなかったのです。

 前からはびっこをひきながら、ひじから先のない片手を振り回して男が歩いて来ました。ラスは目が合うと、にっこりとほほ笑んで頭を下げました。

「ごきげんよう」

「ああん?」

 途端に男はラスの前に顔を近づけ、大きな口を開いて何やらわからぬ言葉を次々に吐きました。あまりの口臭と唾に思わず目を(つむ)ったラスでしたが、男はこれみよがしに息を吐きかけると、次には大笑いして再び歩いて去っていきました。周囲からはクスクスと笑い声がわずかに漏れてきましたが、ラスには何がなんだかさっぱりわかりません。

「あの、すみません。どなたか、少しお話しいただけませんでしょうか?」

 テントや物陰に隠れて見えませんが、笑い声は思いのほか多いのでラスは声をあげてみました。するとまたしても笑い声だけが大きくなるばかりで誰一人と返事してくれません。

「あの、すみません! どなたか――」

「はっはは、やめときな」

 やっと返ってきた返事は、女性のものでした。ラスがどこからの声かとキョロキョロと見渡したなら、周囲の笑い声がまた沸いて、(ちよう)(しよう)のなかでテントから出てくる女性の影がありました。歳は三十位でしょうか、しかし五十と言われても信じそうなほどやせこけた顔には(つや)がなく、目元は深く(くぼ)み、黒茶色の前髪をべっとりと額に浸しながら表情は小刻みに震えていました。

「あんた、どうせお遊戯(ゆうぎ)にでも負けて度胸試しに来たんだろ? こんなへんぴなところに足を踏み入れた度胸はたいしたもんだが、感心しない豪傑(ごうけつ)さだね。悪いこと言わないからとっとと帰んな、ここに来るにゃあんたはまだ若すぎるよ」

「ああやっと、やっとお話しできます……ただおっしゃる意味がわからないです。私は自分の意志で今ここにきましたの、お遊戯をするにも相手は必要ですが、あいにく私は一人ぼっちです。それに罰ゲームのようなことをおっしゃいますが、街道を歩いている人たちよりもよっぽど、おばさまの方が優しそうにも見えますの」

「はっはっは、そりゃ上等な世辞をくれるもんだね、いい育ちだ。だからこそ悪いことは言わないよ、さっさと帰んな。あんたは十二分に肝が据わっていて見事なものだ、でもこのままここを歩いたならきっと無事じゃ済まない事態に陥るね、断言できるよ。私に会ったのが幸運だったね」

 まるで小馬鹿にしているように、声の調子を様々に変えて話しかけてくる相手に向かって、なおも堂々とラスは受け答えを続けるのでした。

「でも、危険だと言われましても結局私は帰ることもできないんですのよ」

 これは言葉の通りで帰る場所がないという意味でしたが、相手にその意図は通じず、何らかの指令(ミツシヨン)をこなさねば遊び相手のもとへ帰られないのだろうと女は解釈したのです。汚く埃まみれの風貌から推察するに、きっといじめられているのだろう、それでしたら先だっての一人ぼっちという少女の言葉にも、説明がつきます。

「帰ることができないだって! 面白いことを言うもんだ、じゃあ今夜はここで寝るのかい? いいだろう、寝床くらいなら準備してやれこともないさ、泊まれるもんならいつまでも泊まっていきなよ」

「本当ですか!」

 女は子供相手に冗談半分に脅し文句を突き付けたつもりでしたが、あろうことかラスは両手を握りしめて、目をキラリと輝かせて女性を眺める始末です。想像とは真反対の反応をみせられて狼狽(ろうばい)する女性をよそに、嬉しさのあまりラスは飛びついて、力いっぱい抱きしめました。

「ありがとうございます、ありがとうございます! 私は本当にさみしくて悲しかったんですの。でも世間には鬼ばかりではなく、こんな聖女マリア様のような素晴らしい女性にお会いできるのですから私は諦めずにいてよかったと思います。ああ、おばさまはなんて、なんて素敵な人なのでしょうか!」

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