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スラムの妖精  作者: 等野過去
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三 台風

   三 台風(タイフーン)


 ちょうど季節外れの台風が到来して三日三晩もの八重雨(やえあめ)が続いたために、校長からの特待制度案内の追伸はなかなか教会に届きませんでした。激しい風雨によって汽車が止まってしまい、町との連絡便は一切が遮断されてしまったのです。止んだかと思えば突然の驟雨(しゆうう)が村を襲い、収穫の遅れた果実たちは雨で痛んでしまいましたし、激しい湿気は収穫を終えた沢山の果実たちまで一斉に腐らせ始めました。教会では収穫を終わらせたリンゴは麻袋に詰めて鶏小屋に置いていたのですが、予想外の大雨に天井から雨漏りが起こり、袋が丸々三つもダメになってしまう被害がありました。それでも収穫をほとんど終わらせていたのは幸いだったというしかありません。収穫を後回しにしていた家々では悲鳴をあげて嵐のなかで収穫をしていましたし、そのほとんどが雨によって腐ってしまったのです。

 この台風では、町の方でも予期せぬ弊害を生んでいたのでした。予想外の雨や湿気がもたらしたものであるのか真相は定かではありませんが、よそからの仕入れ果実による食中毒が起きて騒然となっていたのです。一時期では、誰もが警戒して果実をはじめよそから仕入れられた食べ物を忌諱(きい)するようになっていました。

 雨雲が立ち去り、ようよう届いた学校の案内パンフレットを手に上機嫌のラスでありましたが、他方で教会は非常にアンバランスな状態にありました。第一に、教会に限ったことではありませんが前述の騒乱のために町での果実の需要がぐんと減り、一年間の安定した収入を見込むべきこの時期に、目の前の冬ですらどのように越すかを心配せねばならぬほど家計が酷寒(こつかん)となったのです。雨で緩んだ地面のために柵が抜けてしまったり、時化(しけ)で組木が腐蝕したりしたために牛や鶏といった家畜に逃げられた家も多く、一年の先行きの目途(めど)がまったくたたない窮地に追いやられてしまったのでした。教会の募金に回すお金など到底捻出できる状況になく、町での果実需要に加えて援助が消えたことで教会は二重の苦しみに(おとしい)れられてしまい、お金のやりくりがままならぬ状態であったのでした。第二に、ラスが学校に行けるということは素晴らしい話でありましたが、ラスが学校に通うことでほとんど教会からいなくなるという事実は教会の子供たちから非常に反感をかっていたのです。ラスに知られてはならないとサディが必死に子供たちをたしなめ、噂の火消しに努めていたので本人の前でこそ憤懣(ふんまん)を露わにする子はいませんでしたが、子供たちは全員が全員どうして学校なんかに行ってしまうのだろうとこよなく悲しみ、裏切られたかのような心境に置かれていたのです。サディこそ他の子供たちの前では冷静に振舞って喜んで送ってあげるべきだと説いていましたが、内心では一番悲しみに暮れており、誰にも相談できない事柄だけに一人ひっそりと夜な夜なすすり泣いていたのでした。

 教会という小さな空間で様々な事情が綿密に入り組んでおり、いつもの風景のなかでヒタリヒタリと不穏な影が隅を覆い尽くしていくなか、とうとうロット神父はお金の問題に対し取り急ぎ決断をしなくてはならぬ状況にあることを悟りました。独断で決められる問題でもありませんが、かといって村の他の家の者たちはてんでんのことで精いっぱいで他人に気を回せるだけの余裕がありません。では誰に相談したものかと神父は昼夜頭を悩ませていたのですが、ラスは舞いあがりながらにも敏感にその苦悩に気付き、子供たちを寝かしつけた後にアップルティーを用意して、ロット神父と向かい合いました。

「ロット神父、最近どうされたんですの? 思いつめているような、すごく辛い表情ばかりなさっています。ううん、ロット神父だけでなく、みんなが」

 ロット神父の悩みと子供たちの悩みは根本的に違うものであったわけですが、ラスは子供たちの悩みの原因がよもや自分にあるとは露ほども思ってはおらず、最近の剣呑(けんのん)な空気が(わだかま)っている原因は何か一つの共通するものであると考えているのでした。ロット神父はそれを承知の上で、サディもまだ年端もいかずましてや学校の件で非常に情緒不安定な時期であるのだから、結局は相談する相手はラスしかありえないことを悟り、悩みを打ち明けました。

「この村のリンゴが先日の台風で沢山ダメになってしまったし、食中毒のために町でまったく売れなくなったことは知っての通りだが、そのために資金援助もほとんどなく、今となってはこの教会はとてもひと冬を越えるだけの蓄えがないのだよ」

「そうなんですか! それは大変です、どうしましょうか、すぐに資金集めにみんなで募金を謳いましょうよ」

 切羽詰まった状況は薄々感じていたことではあったので、ラスは驚きながらもすぐに資金集めを提案しました。以前に教会の小屋が竜巻で半壊したときにも、修繕のための募金活動を村のいたるところで行ったのです。今回も小屋が雨漏りをしていたのですから、募金を呼びかけなくてはならないと彼女の中ですぐに結びついたのでした。

 しかしロット神父は首を横に振るのでした。

「そうですね、村の人たちは同じように果物が売れなくて困っているのを忘れていました。だったら町に行きましょう、町に行ったなら、きっとこちらとは比べものにならないくらいの沢山の募金がもらえるに違いないですの。私たちも精いっぱい歌ってアピールします」

 必死の訴えを聞いても神父の表情は一向に渋るばかりで芳しくありません。一体どういうことか、自分の考えることでは到底(まかな)いきれないのだとわかり、ラスは素直に黙って返答を待ちました。

「募金だとか、そんなものではなく、純粋に人が暮らしていくに及ばないんだ。誰かを、町の孤児院に受け渡さざるを得ないところまできているんだ」

「町の! 孤児院!」

 ラスは声を大きくして思わず立ちあがりました。町には孤児のための施設があることはそこはかとなく知っていますが、とても汚い所でこき使われ、ボロを(まと)い、朝から晩までひっきりなしに働かされ、数字で呼ばれ、冬でも野外で裸になり井戸水で行水させられ、病気にでもなったなら生死をさまようはめになり、意志に関係なく突然どこかの使用人として連れて行かれる……どこにも温かみのない、暗く冷たいところだというイメージしかもっていないのです。実際はどうか知りませんが、それでも今のこの教会生活のように活気にあふれた生活が望めないことだけは間違いないでしょう。

 ラスは目に涙を溜めこみ、必死に何度も首を振りました。

「だめ、だめです、絶対にいけません、神父。誰もそんな所に預けたくありません、皆いい子なんですから」

「そうもいかない、これから色々と要り様だし、できればこの冬、ないし春先の折にでも三人……それくらいはもう預けなくてはならないところまできているんだよ。わかるだろう、こんな小さな教会が我々ごときの力でどうして十人もの子供たちの面倒をみれる?」

「わからないです、だって私が面倒をみれますもの、どうか、引き続き私にみさせてください」

 ロット神父は黙り込んでしまいましたが、その厳しい目線だけはずっとラスの方に向けていました。否応にもラスは認めねばならなかったのです、現在置かれている自分たちの、もとい教会の現状を。

 また目縁には涙が溜まりました。これ以上神父と目を合わせていられなくなり、テーブルの上に突っ伏して静かに(むせ)びました。

 突然の告白でこれ以上は(こく)だと判断し、ロット神父はラスの頭を撫でながら「すぐにってわけでもない、しかしながらこれが今の教会の状態なんだ。ラスが受け入れてくれないと、わし一人ではとても受け止められない大きな現実なんだ」と声をかけ、最後にしっかりと床に就いて眠るように指示するとランプの灯り一つを残して部屋を去っていきました。

 しばらく後、ラスは立ちあがると、サディと共有の寝室へよたよたと戻りました。サディは隅のベッドの上で布団に丸まっています、最近はめっきりこうやって眠ることが多くなりました。

「サディ、ねぇ……サディ」

 寂しくなり、小さな声で彼女を呼んだのですが、声は返ってきません。しかし布団がびくり動くのを目ざとく見たラスは、そのベッドの上に腰掛けて布団越しにサディをゆっくり撫でました。すると布団の中から「ごめんなさい」とくぐもった声が漏れ、サディが観念した表情で顔を出しました。美しいスミレ色の目は真っ赤に染まり、鼻をすすりながら強く唇をかんだその顔は、普段すましがちな彼女がまず見せない表情で、ラスは困惑しながら何があったのかと問いただしました。

「ごめんなさい、ごめんなさい。私は悪い子です、悪い子なんです、でも、ラスお姉ちゃんが学校に行ってしまうのが悲しくて……嬉しいことなんだって、喜ばなくちゃって何度も思っていても……いい子じゃなくてもいいから、悲しみたいの、ごめんなさい」

 ラスは気付いたのです、サディは今しがた神父とラスが学校について話していると思っていたからこんなにも悲しんでいるのだと。神父の(まと)っていた不穏な(とばり)と、サディはじめ子供たちのもった不穏な帳はまったく別物であって、その一端を担っていたのがラス自身であったのです。彼女が一人学校に行けると浮足立っている最中、教会中はこんなにも傷つき、苦しみ(あえ)ぎ、忍んでいたのです。

 悲しみと愛おしさが一斉に決壊し、ラスは今度は大声をあげて泣きました。子供のように泣きじゃくるこの姿がこの涙が、決別のそれであると誰が気付くことができたでしょうか。

 かわいい子供たちを泣かせているのはこの自分じゃないか! 神父を悩みの海につき放したのはこの自分じゃないか!

 どうして来年には手伝いもせずに学校に通うだけのラスが、冬を一緒に過ごしてなけなしのお金を浪費させることが許されるのでしょうか。神父が「これから色々と要り様だし」と言ったその真意は、春先からの勉学に必要な経費をはじめ、入学の決まる秋ごろからは制服であったり通学切符であったりと、その他諸々、ラスのために新たに発生する支出であるのだとどうして気付かなかったのでしょうか。ラスが学校に行くことで、何人もの子供が引き換えに孤児院へと送られてしまうのです。いずれ学校へと行ってしまう身でありながら、どの口が「私が面倒をみる」などと大それた暴言を吐いたのでしょうか。学校に通える舞いあがりにかまけていながら、挙句に孤児院の話が出たときは子たちを真っ先に守ろうとあたかも正義面をして、どうして自分を抜きに物事を考えられたのでしょうか。率先して「私が孤児院へ行きます」と言うべきに決まっているというのに。この世に自分ほど心ない人間がまたといるならば、きっと悪魔の形をしているに違いない!

 ラスは不調和しか生まない自分の存在に気付き、教会にいることさえ恐ろしく感じました。一日でも早く自分がここを出たならば、もしかすると子供たちは施設に送られずに済むかもしれない……それが自分のできる唯一の贖罪(しよくざい)であると気付いてしまったのです。


 次の日から、ラスはこっそりを荷物をまとめ、人目を忍んで置手紙を書きだしました。自分がこの不穏の正体であったと気付いたこと、それを詫びること、自分はあてどない旅に出るということ、子供たちはサディに任せること、学校の特待生は申し訳ないが辞退させていただくこと、そして最後に、自分の分までどうか子供たちを少しでも長く教会で面倒をみて欲しい旨を(つづ)りました。

 教会の実情を知ってから三日後の夜、サディが寝入った頃合いを見計らって、ラスは窓から外へと飛び出しました。無数の星が照らす闇夜を、薄気味悪い暗さと肌寒い風を伴って、大きなリュック一つで教会を後にしたのです。

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