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スラムの妖精  作者: 等野過去
12/20

十二 孤児院

   十二 孤児院


 パン屋の朝方は非常に忙しいイメージが付きまとうものですが、ラスの働き先でも例に漏れぬ慌ただしさでした。朝一の客を逃してはなるまいと、店主は常にパン生地を()ね繰り回しており、ラスはパン作りの経験が浅いためにほとんど窯の見張り役となりました。それでも焼き加減のコツさえ覚えればタイミングの見極めはたいしたもので、一日目にしてなかなか筋がいいと店主を満足させました。

「店主様の教え方のおかげです。何よりも焼き加減の見張りだけじゃなくて、ちゃんと手伝えるようにならないといけませんからまだまだですね」

 朝のラッシュ時には、袋詰めを手伝いました。金勘定はまだ入って間もないラスがするわけにもいかず、こちらでは手際の悪さを叱られてばかりでした。どうにもお裁縫であったり袋詰めであったりと、細かい作業には不向きなようです。

 足を引っ張ってしまったと落ち込む暇もなく、実際にパン作りのイロハを叩きこまれました。ここでようやくラスはそのセンスをいかんなく発揮し、教えられながらすぐにもパンの作り方やコツを習得していきました。お菓子作りで窯の使い方には長けていたので、パン生地を作る上での細かな要点を心得るだけであり、思いのほか飲み込みがいいと店主が褒めるなり、ラスは教え方が素晴らしいからですと返すものですから店主は得意げでした。

 夕方には早速ラス作成の丸パンを安く店頭に置いてみると、一つ二つと(まば)らながらにはけていきます。実際に金勘定も受けもち、自分の作ったものがお金と交換されるという喜びに興奮しきりでした。

「私、もっともっと上手にパンを作って、買ってくださるお客さまに満足していただきたいです!」

 それからはパン作りに精を出す日々でした。どうしたらよりふっくらと焼けるのか、パンの捏ね方や伸ばし方を様々に工夫しました。画一的な作り方だけでなく、様々な試みを開始しだしました。

「どうでしょうか、たとえば蜂蜜を混ぜてみたなら意外にこんがりと、新しい焼け方ができそうじゃありませんか?」

「なるほど、試してみよう」

 ともに錯誤しながらも、店主はなおラスに教えている気でいましたが、実際はラスがお菓子作りの経験などから家庭の知恵ともいえよう様々なことを知っており、教えられていることの方が多いことに気がつかずに有頂天になっていました。ラス本人も教えてもらっているとばかり思っており、店頭にはいつも様々な試作パンが並びだしました。ものによってはいつも買ってくれる懇意のお客に無料で配られて、翌日にその感想を聞きました。

 また、ラスのお菓子作りの腕をかって、店頭にはタルトやパイが並ぶようにもなりました。これらは非常に好評であり、客足が飛躍的に伸びていったのですが、店主は一向にそれらがラスのもたらした効果ではなく自分の力の賜物(たまもの)であると信じて疑っていませんでした。ラスはそこに何ら関与する余地はなく、もとから非常においしかった店主のパンがようやく認められて客足が当然のように伸び出した、たまたまラスが来た時期と重なっただけだとしか思っていなかったのです。

 かたやラスは、パン作りにとてもやりがいを感じていました。元から料理やお菓子を作るのは大好きだったので、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。彼女にあてがわれた部屋は物置であり、当初には蜘蛛の巣が張り巡らされ埃にまみれていましたし、物を隅に固めても人が寝るくらいが辛うじての狭い空間でしたが、敷布団も用意されており、お風呂だって入れてもらえるのですから従来の生活に比べたなら文句のつけようもありません。また昼過ぎには自由時間を与えられましたので、その時間は大抵スラムへと作り損ねのパンを持って行き、皆に配っていました。

 ある日、ラスの作ったお菓子をいつも買ってくれるお得意様の一人である婦人がこんなことを聞いてきました。

「私の息子は明後日に誕生日を迎えるのです。息子はここのパイがとっても大好きでして……いつもミンスミートパイがないことを残念がっていました。それで、明後日の誕生日用に特別、あの子の大好きなミンスミートパイを作ってもらえませんか?」

 ラスは自分のパイが認められたのだと嬉しく思い、浮かれながらに店主に聞きにいったのですが、店主は断じてその申し出を許可しませんでした。

「馬鹿なことを言うな、そんなことをしてうちに何の得があるっていうんだ」

「でも、いつも来てくださるお客様ですし、これが新しい商売の方法につながるんじゃないでしょうか」

「うちはパン屋だ、そんなに特別なデザートが欲しいならケーキ屋にでも行けと言ってやりな!」

 とぼとぼと追い返され、婦人にその返答を伝えたなら、憤慨(ふんがい)してしまいました。

 そこでラスは、当日に婦人のお宅にお邪魔して、パイを作ってあげることにしました。この申し出に婦人はいたく感激し、材料を準備して休みの時間にやってきたラスに手ほどきを受けながらパイを作り、そのままラスを含めて皆でテーブルを囲いながら子供の誕生日を祝いました。パイは焼きたてということもあり、店頭の商品以上においしく誰もが満足する出来あがりでした。

 お礼にと婦人は銀貨を差し出したのですが、ラスは丁重にお断りしました。

「お金だなんて、とても頂くわけにはいきませんの。その代わりと言ってはなんですが、どうぞ今後とも私たちのお店をごひいきに」

「ラスちゃんは本当にいい子だね、私は今後ともあそこで買うわ、絶対に」

 ラスは気分を良くしながらも照れて目線を外したのですが、その折にふと窓からこちらを覗く影に気付きました。煤けた肌の色をして、坊主で(くぼ)んだ目をしている……その目はパイにくぎ付けになっていますが、不思議なほどに無感情でもあり、マネキン人形と言われたなら信じてしまいそうなほどピクリとも眉を動かしませんでした。婦人もそれに気付いたなら、手を振って「しっしっ」と向こうへ追いやる仕草をしました。

「孤児院の子供だよ、卑しいったらないね。せっかくのお祝い気分が台なしにされちゃうよ」

 世間で認識されている孤児とは、これほど惨めなものなのです。ラスを慕い、褒め、あらん限りの優しさで迎えてくれた婦人の言葉は、孤児という存在の扱いを知るには十分すぎる反応で、もしラスが孤児であると知ったならば、どんな発作を起こすかしれないほどぞんざいなものでした。

 同じく孤児であるラスはその言葉がほのかに胸に刺さり、(とげ)が抜けぬまま婦人の家を後にしました。

 自分のことでいっぱいであったとはいえ、ラスは町に孤児院があることをすっかり忘れていたのです。少なからず興味があり、しっかりと向き合う必要があることを感じたラスは、次の日の休憩時間にさっそく孤児院へと足を運ぶことにしました。

 孤児院は町の本通りを端まで歩き、立派に佇む教会を更に行った、奥まった隅の方にこじんまりと存在していました。赤い屋根をした長方形型の木造建築で、正面には木々が何本と植えられており、それらに囲まれるように庭草もなく土が裸となっている小さな広場が伺えます。建物自体を遠巻きに見る分にはなんら不自然ではないのですが、違和感とでもいいましょうか、町からは数十メートルにして確然たる隔たりが存在し、申し訳なさ程度に町の場末に付属している、という表現の方がしっくりこようほど乖離(かいり)されている印象を受けました。

 外の井戸では二人の男の子が水を汲んでおり、その隣には白いシャツばかりが写し鏡のように何枚も干されてはためいていました。子供たちは遊ぶことはおろか無駄話もせず、ただ無表情に事務的に淡々と、水汲みをこなしています。

 突然ラスは涙がこみあげてくるのを感じて、慌てて目元を何度かぬぐいました。一体いつ教会の者たちがこの孤児院へと送られるのかしれない今となっては、彼らは教会の者たちと何ら変わりがなく、その子たちはもう一つの教会の子供たちの姿でありもう一人のラス自身の姿でもあったのです。ただそれは鏡のようなもので、そっくりではあれど現実には存在しない、触れられないものなだけで。

 彼らは愛されることを知らないのです!

 考えたならラスは自然足をまっすぐに動かし、井戸端に立つ子供たちに向かいました。

「どうも、こんにちは」

「……こんにちは」

 一応の返答はありましたが、表情はラスの笑顔に応えるものにはほど遠く、その目は(いぶか)しさを臆面もなく訴えているのでした。町に住む人間が何の用だと、恨みにも似た無言の拒絶がラスを突っぱねていました。

 いつしかラスも人並みに身なりを整えており、しっかりと毎晩お風呂で清潔に保つ、当たり前ながらに孤児のひもじさや薄汚さとは無縁の場所に立っていたのでした。

 孤児院の玄関をまたいだなら、すぐにも院長がお目見えしました。少し小太りで亜麻色の髪の毛を後ろに束ねた女性であり、規律がすべてであると言わんばかりの軍服を着たいかつい男の人が出てくるかと思ったラスは安堵の息を漏らしました。どこか素朴さを感じさせながらに(りん)とした目はたいへん美しいものでしたが、ラスを見た途端少し狼狽(ろうばい)の陰りが映りました。

「はじめまして、こちらの院長をしております、ベスタール=ホワイトです」

「ラス=メイシィと申します、はじめまして」

「それでメイシィさん、本日は一体全体どんな御用ですかな?」

 慈善を掲げる団体であったり、孤児の引き取りなどについて大人が訪ねてくることは稀にありましたが、こうして子供が一人で孤児院にやって来るという経験は一年を通してもあったものではなく、その内容がいかなるものであろうかとベスタール院長は頭を悩ませました。外見からすれば年端もいかぬ、それでいて孤児院とはてんで縁のなさそうな少女ですから、いくら頭をひねろうとも理由は浮かびあがりません。

「突然のお邪魔で恐縮です、しかしながら私自身自然と足がこちらに向いてしまったのです。もしよろしければ、こちらで子供たちのお相手をさせていただけませんでしょうか?」

「子供の相手を……あなたが?」

「はい」

 子供が子供の相手をするとは一体どういう料簡(りようけん)だろう、呆気にとられたベスタール院長でしたが、否定も肯定もし難いところではありました。

「少し話を聞こうじゃないの、どこの馬の骨とも知れぬ子に任せるわけにもいかないけれども、なかなかどうして、あなたはしっかりとしていそうじゃないか。何よりもこうして一人で孤児院に来るなんて、私にはとても理解できないからね。あなたに興味があるんだよ」

「まあ、ありがとうございます! 私もこちらの孤児院に非常に興味がありまして、……良ければぜひ、お話を聞きたいところでしたの」

 こうして二人は客間に移動して、ゆっくりと話をしました。

 まずラスが、元々村の教会にいた経緯(いきさつ)を話し、それ故に孤児院が気になって世話をかって出るに至った旨を熱く語りました。いても立っても居られなかったのは特段の考えもなく孤児院の門を叩いたことからも明らかでしょう。その上で、ぜひとも子供たちに文字の読み書き、遊び、仕事や一緒に裁縫を勉強していきたい旨を述べました。

 何年と昔であれば、ベスタール院長も子供たちを遊ばせる相手がいればどれだけいいだろうかと日々望んでおりましたが、現実はそうもいかず、今やたった一人で切り盛りする身となってしまっては、とても余裕がありません。いつしか子供たちは遊びなど不要で、しっかりと仕事ができることこそが第一だと考えるようになっていました。もちろん引き取り手だってそんな子供たちを望む人たちが多いのも事実であり、現実とはこうも理想とのギャップが存在するものなのだと屈してしまっていたのです。

 突然舞い込んだラスという存在は、ベスタール院長にとっては予期せぬ天恵にも感じられました。ところが反面、現実との(いさか)いこそがなかなか申し出を受け入れるだけの覚悟を許さなかったのです。

「確かにあなたの言うとおり、もっとここの子供たちは腕白(わんぱく)になってもいいくらいだとは思っていますとも。教会がどういったところかしらないけれども、おおむね同意ですとも」

「そうでしょう、家でちゃんとした家族に育てられているならば、こんなにもの静かな子供たちなんていません。どうぞ、どうぞ私に一度任せていただきたいのです」

「しかしね、少し考えてみてもらいたいのさ。ここの子供たちはどんな人たちに貰われるかを知っていますか? 多少の富に恵まれた家に、小間使いとして引き取られることがほとんどであって、この多少の富、というところが重要でしてね、なにせ真にお金のある人はちゃんとした家政婦を雇うに決まっていますから。子供を前にしてこんなことは言いたくないけれども、他にいるとしても慈善を掲げる人が体裁を保つために雇うくらいだからこそ、もの静かで家事がしっかりとこなせる子供をご要望されるんですよ。純粋に養子として引き取りたいだなんてごくごくわずか、数年に一度程度の話なのさ。そうなったときに、結局は今現在の子供たちの方が雇い主からみれば都合がいいのですよ、この子供たちのためにもつながっているわけです」

「でも、それはどうなのでしょうか? 楽しさも何も知らずにただ任されたことを淡々とこなしていくことのどこに感情が入り込むのですか?」

「その感情があるが故に、孤児院の子供は雇ったところで恩も知らずに家を飛び出したり、お金をくすねたりする、という嫌な噂が流れることが少なくないのですよ。なまじっか感情があるが故に、さぼったり、場合によっては謀反(むほん)を起こしたりだなんて考えてしまうんですからね」

 ラスの言いたいことはベスタール院長にだってよくわかりましたが、結局それではいけないのです。子供たちが引き取られた先で、恩も知らずに盗みをして面汚しとなったり、最悪の場合には主を殺してしまうような事件は珍しくありません。そのたびにやはり孤児は下衆(げす)だとそしられ、罵られ、どんどんと町や人から隔離されていってしまうのです。防ぐ手立てはないだろうかと悩みあぐねもしましたが、最後には機械と言われようが構わずに、淡々と仕事をこなさせることこそが一番の教育であり、引き取り手の望みであると気付いたのです。何も余計なことは知らなくていいのです、考えなくていいのです、賢くもなくたっていいのです。それこそが孤児たちにとっても雇われるという一番の幸せにつながるのですから。

 ベスタール院長はラスはものわかりが良く分別のつく子だと認めた上で、それら思いの丈をすべて語りました。不本意であろうともそれが現実にもっともそぐう形であるということを、この子であれば理解できると踏んだのでした。

 しかし、ラスの頭には誕生日パーティーを無感情に窓から覗く、あの孤児の目が忘れられなかったのです。あらゆる感情を押し殺して、あらゆる希望から目を背けて、……そんな子供がどうして、何故ああして民家の窓から中を覗いたのでしょうか! あの無表情な子の心内をどうしてわかろうものでしょうか!

「それらは、恩を知らないせいだと思います。感謝というものを、家族というものを知らないから、そんな恩知らずなことをしてしまうんじゃないでしょうか。家族を知らない子供が一体どれだけその温かみを想うでしょうか、考えるでしょうか。恩も感謝も知らない子供がどうして嬉しさを正しく発散できましょうか、雇われることが幸せだなんて思えましょうか。喜びや希望を表現する(すべ)を知らないこと、これほどの苦しみを、他に想像することもできません!」

 言う通りなのです、ラスはそこまでわかっているからこそ、こうして我慢できずに門扉(もんぴ)を叩いたのです。彼女は孤児院の子供たちに感謝や家族を教えようと言っているのです。

 なるほど教会にいただけあって、ベスタール院長よりもよっぽどラスは孤児をよく知っています。

 ベスタール院長は決心の頷きとともに手を差し出しました。

「そこまでわかっているならば何も言うまいよ、もとより有志で来てくれる人を拒む権利なんてありはしないのだから。その上でメイシィ、あなたがここの家族になってくれるのならば、私にとってそんなに心強いことはないよ」

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