十 音楽団
十 音楽団
テントへ客人を招いてから三日後、クリスは再びテントへとやって来ました。
「先日のお礼に、僕の家に来ていただけないかと、お后様とお嬢様をお迎えにあがりました」
先だって招いた折には紳士様と敬称したものですから、今度はクリスから豪勢な口ぶりで迎えられたわけですが、断固としてシャルテムは断っていました。まるで可哀そうな自分が施しを受ける様で、矜持にかけて首を縦に振らず最後まで抵抗したのですが、ラスが、おばさまが一緒に行かないなら行かない、行きたいけれど行かないと言い切るものですから渋々折れるのはシャルテムでしかありません。
「一体いつからこの子はこんなにも我儘になってしまったんだろうね」
「あらおばさま、心外ですこと。おばさま思いになったと言ってくださいな」
二人はなるだけ良い服装に着替えると、テントから抜け出ました。シャルテムは昔から一着だけ持っている、外出用の青いドレスでしたが、所々ほつれていてかなり色褪せているものでした。それでも気が強くしっかりとした身なりのシャムでしたから、着こなしは抜群でとてもスラムの人間とは思えぬ偉容でした。一方でラスは教会から着続けてきたワンピースとスラムの古着屋で買った分厚いシャツとビロードシャツの三着しか持っておらず、シャツの上からワンピースを通すというへんてこな格好となりました。ところが彼女にとってはそんな服装云々よりも、町人の無関心さが思い返されていくことの方がどれだけ恐ろしかったことでしょうか!
大通りに出ると途端に元気を喪失し、身体を震わせながらシャルテムに抱きつくものですから、彼女にしては珍しくラスの体全体を優しく抱擁してやりました。
しかし何事もなくクリスの店に到着したなら、ラスはすぐさま元気を取り戻して次々に部屋を見回してクリスへ質問を浴びせかけました。村のようにゆとりのある佇まいに対し、町の家は狭く物々が敷き詰められており、太陽が差し込む窓も限られているために灯りをともさなくてはとても中にいられなかったのです。そして町の雑踏が漏れ聞こえ、逆に町の雑踏を眺めながらも隔たり一つをもってしてゆっくりと広がる空間、なんと不思議なところでしょうか!
ラスが跳ねまわっては部屋中の何かにつけて質問攻めをしている間、クリスは答えをシャルテムに預けて(シャルテムも町の人間ですから、スラムにいようとラスが聞きたがる大体のことは熟知していました)奥から温かい飲み物と麻袋を持ってきました。
「カシスティーをどうぞ。少し甘めですけれど……シャムさんは甘いのは大丈夫ですか?」
「気遣いばかりですまないね、ありがとう。甘いものは大好きだよ」
「私も大好きなんです、わあ、カシスティーだなんて初めてで、とても楽しみ!」
甘いティーを飲みながら、クリスは麻袋から何着かの着物を出して見せました。
「良ければと思ってね、姉の娘が十六になって、着れなくなったお古を貰ってきたんだ。豪華なドレスなんかは近所の人に譲った後だと言っていたから、とても良いなものは望めないだろうけどね」
言葉とは裏腹に、今のラスにとってはどれもこれも立派な着物ばかりで、とりわけ寒さに磨きのかかってきたこの季節ではとても嬉しい報告でした。なかんずく嬉しかったものは、カラフルな何本かのリボンであり、つづまやかな生活のため髪の毛が無秩序にはね、油でもまけたかのようにべとついて嫌な艶を帯び出してきたことは、曲がりなりにも年ごろの女性であるラスとしては常に気を使いながらもどかしく感じていたことでした。リボンをあしらうことで気持ち髪形をいじれるようになり、跳ね毛を目立たせなくしたりといった工夫の余地が開けたのです。鏡はありませんでしたが、もし、もしシャルテムに髪をゆいてもらえるなら……考えただけでもラスは嬉しくて頬が緩んでしまいました。
他人からのほどこしを良く思わないシャルテムでしたが、ラスの喜びようを見ているととても結構ですと断り切れず、素直にちょうだいする運びとなりました。その場で試着会が始まり、ラスはなりふり構わず着替え出すとくるり回ってみせ、生まれて初めて履くズボンに感激していました。他人が着ているのを指を咥えて見ているしかなかった様々な服装を実際に身につけることは、そこにいるのがまるで別な、孤児ではないラス自身のように感じられたのです。リボンも髪だけでは飽き足らず、お洒落を履き違えているかのように至る所に巻きつけては、動くたびになびく様を楽しみました。
「ついでだよ、それで町でも一回りしてきな」
シャルテムはラスが人ごみを嫌うことを承知で言ってやったなら、彼女は口元をゆがめ、首を振りました。
「嫌です、私はこうしてここにいるか、おばさまのお家にいるのが一番です」
「子供のくせにいやに年老いたことを言うもんだね、まったくたまげるよ。ほら、行きますよ。クリスさん、私も町に出るのはずいぶんと久しぶりでね、ご案内くださいね」
ラスがこのまま町を避けていてはいけないと、無理矢理に外出させようとするシャルテムの気遣いに気付いたクリスは、良い返答をし、いやいやと駄々をこねるラスを二人がかりで町に繰り出させました。
ラスははじめ、二人に手をつながれながらもふくれっ面で俯きながら歩いていたのですが、教会や文化館といった特別な場所を紹介するクリスの言葉は実に鮮やかで知見に満ちており、次第に次はどこに連れて行ってくれるのかと期待に顔を輝かせながら、町の怖さなど忘れてしまいました。それでも喫茶店で一休みしようかというクリスの提案に乗れるほどまでではありませんでしたが、町を歩くことに対してはまったく恐怖がなくなったのように映りました。何よりも、教会ではラスは面倒をみる側であり、こうして両手をとって一緒に連れてもらえるという経験がありませんでしたから、まるで立ち並ぶどの家庭にも負けはしない立派な家族に違いないなどと、今の自分を自慢しているかのように堂々と歩いていたのです。怖かったのは人ごみではなく、たった独りだという事実であったことに気付いたのです。
そろそろ帰ろうかというとき、ふと人ごみの中から音楽が聞こえるのに気付きました。
「あれはジイプだろうね。歌や大道芸を見せてお金を貰い、各地を興行する集団だよ。ちょうど冬も近いから、南下していくところじゃないかな? 各地を放浪しているだけあって珍しい楽器や民俗楽も知っているし……わかったわかった、行こう行こう。何も焦らなくたって逃げはしないよ」
ラスは二人の手を引っ張って、何の恐れも抱かずに人波をかきわけ、その大道芸を見れる場所までたどり着きました。そして目の前の状況がにわかに信じられない様子でただただ圧倒されていました。
最前列には赤と緑の民族衣装と思しき一枚衣を体に纏った美しい女性二人が歌いながら舞っていました。レースが棚引いて舞いあがり、その奥ではそれぞれハープとトランペットを美しく使いこなす男性が二人いました。小さな舞台の中心では男がジャグリングをしながら帽子をとって深々とお礼をしてみせて喝采を浴びました。その隣ではまだ五つくらいの少女が平淡ながらに美しい歌声で周囲を魅了していました。ジャグリングをしている男がその手を止めずに帽子を口に咥え、ゆっくりと舞台から降りて客のところへと歩いて来ました。各々は小銭をその帽子に投げ入れます。ラスもシャルテムから小銭を一枚預かり、なけなしのお金と知りつつその帽子へと放り込みました。男は帽子を咥えたままにっこりと笑い、舞台の上に戻って咥えた帽子をじゃらり鳴すと、そのまま頭にかぶり込んで改めて丁寧に礼をしました。
「いやはやなんとお優しい人たちだろう、これで寒い冬も無事興行していけそうで感謝ばかりでございます。こうして頭にかぶれば嬉しい重みでございますが……いやはや、次からはどうぞ、貨幣だけでなく紙幣も入れていただければさぞ悠々と帽子をかぶる姿が拝めること請け合いですとも!」
興行が終わって舞台を解体し、馬車が行ってしまってからも、その場所に夢見心地の様子で、ラスはずっと立ちすくんでいました。
翌日、昼過ぎに目を覚ましたシャルテムはまたしても驚かされる羽目になるのでした。なんとテントの前に十数人の男たち、その男たちは当然スラムの人たちですからみんなボロをまとっており、とても統率力とは無縁そうな人たちがどういった了見かズラリと並んで後ろに手を組みすらりと仁王立ちしているのです。その中心にはあろうことか、ラスがいました。
「それでは、いきますね」
ラスが手をあげると同時、両端の男二人がケーナを口にあて、音を出しました。同時に他の男たちがバス声を放ち、合わせるようにラスがソプラノを歌いだしました。
さてまったく、この娘は平穏とは無縁なのでしょう、シャルテムは驚かなかった日はないくらいいつもいつも驚かされてばかりですが、まさかこのスラムで音楽隊が結成される日がくるなど考えたこともありませんでした。ラスは今では沢山のファンがついているのですから、彼女がスラム内で一声かければ思いのほか簡単に人々は集まりました。何せ今まで目的もなかった人たちですから、歌う楽しみを見出したところに音楽隊だなんて面白い話が飛び込んできたならなおさら断るわけがありません。毎日昼と夜にそれぞれ一時間の練習を繰り返すようになりました。
傍で見ていた人たちが次々に入団を希望しましたが、多くなりすぎても統率がとれなくなりますし、「俺の嫌いな奴が入団している」といった個人的な派閥が様々に入り乱れ、果てはきれいな歌声をもつ女性を別に選びぬいて新しい合唱隊を作りあげ、ラスたちの向かいを陣取って同様に練習をしだす音楽隊が現れました。負けてなるものかと互いに練習をし、それを見ている人たちがまた楽しそうだと新しい合唱隊を作ろうとするのでした。
この頃にもラスは掃除を休むことはなく、クリスと出会った広場とは逆方向のスラム通りの掃除にとりかかっていました。こちらでも美しい唄を歌いながら掃除をするラスはすぐさま評判となりました。
「あの子は誰だい」「この通りを掃除しているらしいですよ、なんでも通りの向こうにある音楽隊の歌い手だそうな」「馬鹿な! こんなスラム街に音楽隊なんてあってたまるものか!」
毎日聞こえる唄がよもや同じ通りの先から奏でられているとは信じていなかった人たちでしたが、直にその目で確かめたなら、皆がまるで同じスラムの人間とは思えないほどに生き生きと漲って歌っており、どこか心細さを感じてしまうのでした。そして触発された人たちがまた新しい音楽隊を結成し、音楽隊の連鎖からラスを知らぬ者はこのスラムではいないほどまでに彼女は名を馳せることとなったのです。
この折から、ラスは夢想を抱くようになっていました。それは、このスラムの人たちで音楽パーティを催したい、という途方もない夢でした。孤児の彼女はかねがね音楽パーティというものに憧れを抱いており、ドレスはなくとも疑似的にでもパーティを開催できればどれだけ楽しいことかと考えるのでした。
相変わらずのとんだ発想だとシャルテムは笑い飛ばしましたが、一方でクリスはラスの本気をくみ取り、是が非でも叶えてやりたいと言うのでした。
「クリスさん、あなたはラスに甘すぎますよ」
シャルテムは言いながらも、クリスに便乗してなんとかラスの願いを叶えようと奔走するのでした。シャルテムは良い身なりをして、町の音楽教室へと足を運び、音楽の先生に熱心に話をもちかけました。シャルテムは海千山千の女性さながらスラム居住とは思えぬほど高踏な所作に長けており、弁舌も丁寧でありながらも威厳あふれる見事なもので、先生は見事に感化されて企画に賛同し、全力をもって協力してくれることを約束してくれました。一方でクリスは町外れの工場から要らなくなった木材を貰い受け、釘で組み立てて即興の舞台を作りあげました。二人がこうも邁進した背景には、ラスの存在が大きかったのです。というのも、これをきっかけとしてラスが少しでも町の人たちを怖がらなくなり、自発的に独りだけでも町に出ていけるようになればと祈っていたのです。
そしていよいよ、献金を募る音楽披露が始まったのです。シャルテムたちの協力は非常にラスを喜ばせ、奮い立たせました。町に出るのに文句一つ言わず、『スラム音楽団披露宴』の旗幟を掲げて夕刻の人がごった返す中、ラス一同はいよいよ町の舞台に姿を表わしたのです。ぞろぞろと列をなす人々は皆けぶたい恰好で、誰もがほつれた汚い服と肌をしており、こんな寒空の下にもかかわらず半袖の者もいます。興味本位で皆が足を止めるなか、初公演が開始されました。ラスが「せーの」の声をあげたなら、空き缶を箒の柄で叩き、葦のケーナが吹かれ、男たちの声がハーモニーを奏で、そこにラスの声が加わりました。初めは誰も彼もが緊張で、声が上ずればリズムが狂うしで、ラスだって幾度と失敗をしていましたが、次第にそれらはなくなっていき、貴婦人が行き交う町中で堂々と、スラムの音楽隊は一仕事をやり遂げました。
「私たちはこの冬に、音楽パーティを開催したいと思っています。しかしながら見ての通りの様ですから、とてもとてもその費用を賄うことができません。そこでどうぞ、少しでも、私たちにお金の援助をいただきたいと思います。どうぞ、どうぞよろしくお願いいたします」
結果からいえば、献金集めはもの珍しさも手伝って大成功をおさめました。そして次の公演では別のスラム音楽隊も一緒に演奏し、また次には別の音楽隊と……このように少しずつ変化も加えることで、毎日毎日披露を重ねて資金は想像をはるかにしのぐ勢いで貯まっていきました。せせら笑う者もいましたが、それ以上に暴挙ともいえようこの行事は好意的に見られました。
そしていよいよ冬の到来を告げる、身を引き裂くような冷たい風が吹きすさぶ夜に、広場にてスラムの音楽大会が催されたのでした。前もって町の人たちに告知したおかげで大盛況を迎え、町の音楽教室の人たちと共演もしながら、音楽家の先生の審査の元で優勝したラスたちのチームには沢山の小麦が贈られ、その場で調理しては参加チームや観客に振舞われて一緒に食事を楽しみました。皆がそれぞれ自由に食事をし、歌い、踊る。広場はまさに楽しみのるつぼと化してしまったのです。
誰がこれほどの大成を想像したでしょうか!
その日はラスにとって本当に幸せな日であり、寝る前に興奮冷めやまぬ様子でシャルテムにこう言いました。
「私って、本当に幸せです……おばさまに拾われ、そしてこんなに楽しく毎日が送れるんですもの。住み込みの仕事を探してさまよっていた頃が嘘みたいですの。本当に町の人たちが怖かったのに、今日なんてみんなすごく優しくてこんな日がくるなんて考えたこともなかったんですから。すっごく今が幸せ、ね、私おばさまみたいになりたいの」
「私みたいに? 冗談もたいがいにしな、くだらないおべんちゃらばっかり覚えるんじゃないよ」
「ううん。おばさまだって決して裕福でないのに、私みたいな身寄りのない者を率先して助けてくれる、そんな聖書にだって出てきそうな立派な方になりたいんですの。今日だって私なんかのためにずっと手を貸してくれたじゃありませんか、本当に私は感謝していますし尊敬していますし、またとない理想なんです」
「馬鹿言うんじゃないよ、あんたくらいの子供はなんだかんだ言いながらも住み込みで働くくらいが一番なんだ。将来のためにもね」
「おばさまがそうおっしゃられるならそうしてみます。それが私のためになるに決まっているんですから」
次の日より、ラスは再び仕事探しに繰り出す決心をしたのでした。




