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スラムの妖精  作者: 等野過去
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一 教会の一日

   一 教会の一日


 早秋のちまた、陽が少しずつ駆け足となり、乾いた風を伴って世間から動植物に至るまでが衣替えとなる時節に、地方では一斉にリンゴの収穫が始まりました。アメリカ大陸の北東に位置する地域では、夏はレンガすら溶かすような高温を示し、対照的に冬には草木が顔を出すこともできないほどの猛吹雪に包まれる地帯ですが、春秋の気候の良さは折り紙つきで、青々しい草原にはとりどりの花があらゆる色を振りまいたように百花繚乱となって自然に人々を浮き足立たせます。どの家庭でも丘一面に広がる果樹園を所有していて、夏の間に潤沢な日光と栄養を吸収した樹木は、豊満な果実をたわわに実らせており、それらが季節の変わり目に真っ赤に色付く頃合いを見計らって、地面へと体を投げ落とす前にしっかりともぎ取ってしまうのです。その実ときたなら数日ねかせて熟させればそのまま食べても甘くておいしいですし、町へ売りに出したならばジャムに植物性オイルにティーに混ぜたりと、多様性には事欠きません。厳しい冬を越え、翌年の収穫に備えるために一年のうちで最も重要な財産源となるのです。

 なだらかに棚引く丘辺には幾つもの家が点在しており、一角にそびえ立つ小さな教会にも、周囲にはるばると見渡せる果樹園があり、行事の例に漏れることはありません。朝早くから子供たちが元気いっぱい総出となって果実の収穫に精を出していました。

「ちょっとぉ、サディ、ちゃんと実の近くで切り取らないとだめだからね」

「だからわかってるって。本当、ラスお姉ちゃんは心配性なんだからさ」

 木の上から得意げに受け答えするサディが次々に放り投げる果実はそのほとんどが小枝を切り取りきれておらず、ラスは溜息交じりにハサミで枝の切っ先を切り外しました。切っ先が残っていると、一緒に袋に詰めたときに袋を破いてしまったり、他の実を傷つけてしまうのです。年少のサディは何度と同じことを注意されてへそを曲げているようでしたが、肝心の果実は一向に枝の突きだしをひっこめる様子がなく、ラスは律義にその枝端を切り取ってかごの中へと入れていました。

 かごがいっぱいになって教会へと運び入れると、初老の優しそうな表情を携えた神父が待ち構えていました。

「ロット神父、ほら、こんなにたくさん収穫したんですから! サディもすっごく頑張ってくれたの、ね。今年の実は例年よりもすっごく良さそうですよ、とても優しくて可愛らしい色味をしているんです」

「ラス、ちょうど良かった。明日は日曜学校があるから、今日の内に一袋だけ、町へ持って行って換金してきて欲しいんだ。本当はわしが行けるといいんだけれど、明日の説教の準備が必要でこれからファウルさんの所へ赴かねばならないんだよ」

 ファウルとは村で一番の富豪であり、顔の広さもあって何をするにも彼の指図一つで村の人たちは動くと言っても差し支えないほどの権力と人望を兼ね揃えた人でした。説教に関しても例外ではなく、ロット神父は直接彼のもとへ出向き、声かけや見識ともどもについての話に向かうのです。

 申し訳なさそうに述べあげたロット神父でしたが、当のラスとくれば笑顔で舞いあがりました。

「町に行っていいのですか? わあ、果実の収穫も悪いものじゃないんですけれど、そう、大切なわが子の世話をしているみたいで……違う違う、サディが子供って言うんじゃなくて、樹木のことよ。一年大切に面倒をみた樹木がこうしてきれいな実をつけてくれるんだもん、しっかりと収穫しなきゃって気分になるんですけどね、それでもちょっと疲れてきたな、なんて思っていたところなんです。だって、地平線まで延々と続く道を一歩一歩進んでいるようなものなんだもん。私、町って大好きなんです、すごく活気があってたくさん人がいるんですもの」

「そうかい、それじゃあよろしく頼むからね。ついでに明日はパイを用意しようと思うんだ、その材料とティーを一緒に買ってきてくれ」

「はいっ、私の大好きなブラックベリーのティーをたんまり買ってきます」

 袋いっぱいに果実を詰め込み、ラスとサディが半分引きずっているような形で教会の前に出たならば、玄関先には早くも馬車が用意されており、御者はゆっくりと葉巻をふかせて待っていました。

「ようやくお出ましかい、お嬢ちゃんがた。いいよ、いいよ、そんなに無理しなくても。重いもんを乗せこむのは男の仕事だから。この老いぼれに任せなさいや」

「こればっかりは私にさせて欲しいの。だって、私たちの大切な果実だもん。売られるまでの少しの間だけど、しっかりと私が面倒みて、可愛がってあげないと」

「だったらこれ以上は言わないがね。いつでも手は貸すから」

「ありがとう、ブリックおじさん」

 ブリックおじさんは角ばった頬骨と黒い肌のために初対面ではしかめっ面しいだと思われがちですが、実際はとてもおちゃめな人であり、界隈(かいわい)ではブリックおじさんほど巧みに馬を乗りこなせる人はいません。ラスとサディが二人がかりで大きな袋を積み込むと、すぐさま馬は歩きだしました。駅までは馬車に揺られていきます。落ちている石を跳ねて馬車全体が固く揺れるたびに背もたれはぎいいと(きし)みをあげて袋がもぞもぞと形を変えようとするので、ラスは必死に抑え込んでいました。

「しかし今日は遠出にはおあつらえ向きの晴天じゃないか。ラスもサディもこんな日に町に行けるなんて、まったくついてるな」

「本当にそうです、今朝は太陽よりも早くに起きて、作業のしっぱなしだったんだもの、ちょうど疲れていたんだけどこんな朗報があるんだから神様だってまだまだ現役みたいで安心しました」

「ラスお姉ちゃんとわたしだけ朝早くに起こされてさ、他の人たちったらまだまだ寝ていたのにさ」

「ははは、ラスはもう一番の年長者だからな、一緒に起こされてサディも可哀そうに」

「でもサディがいるから本当に助かっているんです、私一人だけだったらとても十人もの子供たちの面倒なんてみれませんし。それに、今日だって眠い目を擦ったおかげでこうやって他の子たちの働いているなかで町に行けると思えばまんざらでもないですから」

「私はラスお姉ちゃんみたいに感謝ばっかり思えないわ、あんなに朝早くから働かされているんだから、これくらいの見返りはなくっちゃ。早起きの鳥は虫を捕まえる(日本語でいう早起きは三文の得)っていうでしょ」

 駅までの道のりで、ラスは教会での出来事を色々と話ししました。子供たちが日々繰り広げる愉快な騒ぎや食事のときの失態、サディのおてんばさを笑ったならば、お返しとばかりに先日ラスが鶏を脱走させてしまった失敗を取りざたされる始末です。ラスは教会で孤児の世話を務めており、その数は彼女自身とサディを除いても九人にものぼります。忙しいロット神父に代わってその面倒をみているのがラスになるのですから日々の生活は生半可なことではありません。しかし彼女は十一にも満たない年端でただの苦労話は聞く人を不幸にするということを心得ており、苦労を面白話のスパイスにする術をよく心得ていました。

 ブリックおじさんは聞き上手な人でしたから、ラスの口も自然なめらかになり、余計なことを言ってしまっては不本意なオチがついてしまうことだってしばしばでした。先週に屋根の修理をした話だって、ブリックおじさんの前で語ったならば、釘にスカートを引っ掛けて破ってしまい、夜なべで苦手な裁縫でつぎはぎをしたにもかかわらず、翌日の説教でほつれたまま慌ただしく手伝いに走り回っていたので奥様方から非難を受けたという情けないところまで話が進んでしまい、話をきれいにオトされてしまうのです。そんなところまで話すつもりもなかったのでラスも初めは口をすぼめてしまうのですが、ブリックおじさんとサディがあまりに笑うものですからついつられてしまい、結局は三人して笑いながらにぎやかに馬車を走らせるのでした。

 視界を遮るものはなく、見渡す限りの色めきたった草原と不断の丘陵(きゆうりよう)が底抜けに澄み切った蒼空と相まってもたらす圧倒的に無為な眺望は、季節特有のうら寂しさを含有した(みやび)やかさをかもしており、所々に見える家や並木や柵囲いの果樹木からはみぎりに特有の慌ただしい色の移り変わりが伺えました。途中からラスが唄を口ずさんだなら馬は飛び跳ねて喜ぶと足取りをスキップに変えて、一同は小川を通り、萌黄色した広葉樹の並木道を抜け去り、馬車はようよう駅へと到着しました。

「ありがとう、おじさん。お陰ですっごく助かりました」

「気にしなくてもいいさ。この馬はラスの歌声がしやがるとどこからでも飛んでいくぐらいのファンだから、定期的にラスを乗っけてやらないとすぐにぐずってすねやがるのさ。それよりもまた、おもしろい失敗話を聞かせてもらえることを期待しているよ」

「もう、おじさん!」

 最後まで笑いながら馬車を走らせて去っていくブリックおじさんへ深々と頭を下げ、はぐれないようにサディと手をつないで汽車へと乗り込みました。

 相変わらず町は人でごった返していました。老若男女が四方八方へと慌ただしく動くさまは、何度来ても田舎住まいのラスには真新しく圧倒されてしまいます。特に貴婦人の服装は非常に華やいでおり、近所からお古ばかりを貰って着回すラスにはいつでも誰でもが憧れの存在でした。いつか、一度でも、白くきらびやかなドレスを着てくるり一回転をしてスカートの裾をひらり華やがせてみたいと夢見るのです。

 サディは夢見気分ですぐにも迷いそうになるラスを必死に引きずりながら、果実店へと向かいます。いつでもしっかり者のラスでしたが、町に出たときだけは夢みる少女のようになってしまい、道行く人たちに見とれては深いため息をつくばかりでした。それを見咎めるのはサディの仕事です。小さい彼女は似合わぬ現実的な性格で、夢みがちなラスを度々現実に引き戻してはたしなめることもしばしばでした。

「私、ドレスを着るんだったら絶対に白いのがいいの。そしてスカートにはフリルのレースが幾重にも連なっていて、そよ風でそれらがひらりなびくだなんてすごいじゃない、きっと歩くだけで波打ち際のように美しく滑らかに揺れ動くんだから。ねえ、サディはどんなのがいい?」

「わたしは本物のドレスだったら文句一つ言わないし、どんなだってきっと好きになってみせるわよ」

「そうじゃなくてね、それは私だってそうだけど、……もう」

 ラスは話しながらサディの横顔を眺めて羨むのでした。サディの髪質は、町中でも引けを取らない金色の細く優しいもので、太い眉とふくよかな輪郭をもってすれば実際にどんなドレスを着ようともさぞ似合うことだろうと、口をすぼめながら自分の栗色のくせ毛を片手でいじって嘆息を漏らすのでした。ラスの灰色の目はくりんと真ん丸で可愛らしく、見る者に警戒心を与えず知らず知らずに愛着を湧かせる不思議な輝きを帯びていたのですが、彼女はそれよりもサディのスミレ色した、アメジストのような美しい目に憧れを抱いているのでした。

 二人は果物を換金すると、卵とティーを買い、服を見ていこうというラスの提案をサディが容易く突っぱねて汽車に乗りました。帰りの汽車は行きほど混んでおらず、座席に腰かけたならサディはすぐにも寝てしまいました。今朝はいつもにもまして早起きで仕事していたのですから睡魔は生半可ではありませんでしたが、ラスはうとうととしながらも寸でで眠気を追い払い、汽車を降りたなら教会への帰路をゆっくりと歩きました。二人で手をつなぎながら鼻歌交じりに歩けば、長くのどかな道がなんと華やぐ散策になり変わることしょうか。

 河川にさしかかったならば、せせらぎにふと足を止め、川岸に茂る(あし)に目を奪われました。幼いころからずっと遊んでいる河川敷ですが、この歳になってからずいぶんと久しぶりな気がして懐古してしまったのです。サディもラスの目線に引かれて石橋から身を乗り出せば、興奮に駆られてはしゃぎ回ります。

「ラスお姉ちゃん、すごくきれいな水だね。ほら、お魚がいる、お魚!」

「水の流れが目に見えるくらい、すっごくすきとおってるのね。ほらサディ、来週にここに来ましょうか。私こういったところでゆっくりと足をひたして歌うのが大好きなの」

「うん、うん、絶対だからね!」

 二人してしばらく川の流れに自然の美しさを感じ、ふとラスのお腹が鳴り響いたのをきっかけに改めて帰路へとつきました。

「小鳥のさえずりよりもパンが良い(日本語でいう花より団子)って言葉があるけれど、まったくラスお姉ちゃんはたくましいんだから。ブリックおじさんにいいみやげ話ができたね」

 教会に着くころには正午を回っており、お預けをくわされていた子供たちに謝りながら二人は食卓につきました。朝から必死に仕事をしていたのですから子どもたちはたいへん食欲旺盛(おうせい)で、ラスもサディも負けないくらいたくさんのスープとパンをほおばりました。

 午後からも仕事がどん詰まりで遊んでいる暇などなく、夕方になればあらかたの果実の収穫を終わらせることができました。まだ少しだけ残っている分は、週明けから朝早くにラスとロット神父が収穫する分です。さて、ラスにとってはまだまだ仕事は終わりではありません、夕食の準備に並行して子供たちを風呂に入らせ、食事前の祈りを捧げ、食後の片付けをして、ようよう一息つけるのです。最近ではサディも率先して手伝ってくれて楽になりはしたものの、やはり朝一からの仕事があるためか今日はかなりの疲労を感じていました。

 疲れた子供たちは思いのほか素直に床に就いたため、ラスとサディは余裕をもって就寝前の掃除にとりかかることができました。

「二人とも、今日はいい加減に疲れただろう。掃除はいいからもう休んではどうだい」

「ロット神父、ありがとうございます。でも明日は説教の日ですから、どうぞ家じゅうをピカピカにしておきたいんです。部屋がきれいか汚いか、埃が一つ落ちているか落ちていないかで説教の重みがずいぶんと違いますこと、ぜひロット神父には最高の説教をいただきたいですから」

「そんなにハードルをあげるんでないよ、恐縮しきって何も言えなくなってしまうじゃないか」

「でしたら少しぐらい()き損じがあっても大目にみてくださいね、私がロット神父を思えばこそ、なんですから」

 掃除を終わらせ、やっとこさ床に就こうとしたラスをロット神父が呼びとめました。長引く話ではないと前置きをした際に、ラスは目ざとく自分だけの話だということを感じ取ると、一緒にいたがるサディを無理に就寝させ、ハーブティーを用意してロット神父に向かい合いました。

「ロット神父、突然どうなさいましたか? 大切なお話のようですけれど」

「そうさな、ラス。お前さんは大変良くやってくれているよ。今日だって朝早くから仕事だし、明日も早朝から朝食の用意、説教やもてなしの準備にと……」

「ううん、それは大変だって思うこともあるけれど、でも私はここの子供たちの面倒をみるのがすっごく好きなんですの。だって、みんな可愛くて、時々はそれはもう頭にくることだってあるけれど、根はすごくいい子たちなんだから。それに私自身が料理を作るのが大好きで、誰かのために料理を作るって本当に素敵で楽しいことなんです。ここだったら、ロット神父と私を含めたなら十二人もの大好きな人たちのために料理を作って食べてもらえるんですもの、そんなに立派で素敵ことなんて他にありはしません」

「そうかい、そう言ってもらえると助かるよ」

 言ったきり、ロット神父は口をつぐんでしまいました。しばらくはティーに口をつける音だけが静かに響いていましたが、突然ロット神父は思い立ったように、顔をラスに向けました。

「のうラスや、実はお前さんを学校に通わせようと思っているんだ」

「学校……学校、学校! 学校っておっしゃいましたよね、学校ってあの町の学校でよろしいのですか?」

「そうだよ」

 村の人たちはほとんどが小さいころから家事や仕事の手伝いに回されるため、学校に通えるのはメイドを雇えるほどの富豪宅の数人に限られており、子供たちからすればまるでおとぎ話にだけ登場するような夢の場所でした。教育がどれだけ辛いものでしょうか、しかしながら都会の子供たちと共に堂々肩で風を切り、一緒に勉学に遊びにと励む、村の人々にとっては、これ以上ない見事な子供のステータスであり、誰が見てもどこに出しても恥ずかしくない立派な女性となりえるのですから、近所の見る目も良い方向にがらりと変わり、ロット神父の鼻も高くなることでしょう。その期待の中に否定的な要素が入り込む余地など針の穴ほどもありはしません。ましてや夢みがちなラスのことですから、それはもう輪にかけて童話の世界のように感じられていたことでしょう。

 今、突然に学校という夢の場所が目の前に現れたのですから、目をキンキラと輝かせながら両手を握りしめ、叫んでは夢から覚めてしまうのではと控えめに(うやうや)しく尋ね返しました。

「ああ、ああ、そんな幸せなことってあるのですかね、ロット神父。私は本当に嬉しいです、素直な気持ちを言うならば有無も言わずに良いの返事をしたいくらいだけれど……でも、お金はどうなされるのですか? とてもとても、私を学校に行かせられるだけの金銭があるとは、失礼ながらに思えません」

「実は明日、町の学校長が説教を聞きにこの教会を尋ねられるんだ。そこで実際にお前さんを見てもらおうと思う。話をした分にはとても気前のいい方でな、お眼鏡にさえかなえば特待生として、学校の窓口を広げる意味で招待してくれるというんだ。教科書やランチ代、大抵のことは保証してくれるとおっしゃってみえられた」

「まあ、なんて素敵な方なんでしょう! きっと私、校長先生のことを好きになれると思いますの」

「この教会にとってもお前さんがいなくなることは大変辛い、それでも……そうさ、サディも良い年になってきたし、そろそろお姉ちゃん離れにはもってこいかもしれん。何よりもラス、お前さんは町の子にも負けていないし、立派な女性となれる素質をもっていると感じているんだ。なにもここの生活がいけないというわけではないが、やはり学校に行けるのであれば、そこで正式な教育を受けるべきだと、わしはかねがね思っていた。今後は入学に向けて勉学に励むこととなってとても大変になるだろう。それでも、自分のため、ましてやわしのためとまで言わずとも、教会の子供たちに夢をみせる意味でもどうだろう、協力してくれないだろうか?」

「はい、そうとあればラス=メイシィ、喜んでお受けいたします」

 ラスは椅子から立ちあがると、寝巻スカートの両裾をちょこんと掴んでゆっくりと頭を下げ、くすりとはにかんでみせました。ロット神父もこの仕草には参ったと大笑いし、子供たちが起きてしまいますと要因のラスからたしなめられる始末です。

「それじゃあラス、お疲れのところ引き留めて悪かったね。明日は朝からブリックさんの馬車が校長先生を乗せてくるそうだから、備えて今日はゆっくりと休みなさい」

「はい……と言いたいところですが、気分が躍ってとてもとても、ゆっくりとはいかないかもしれません」

 言葉に偽りなく、ラスは心が躍起(やつき)に弾み、空想の学校というものに気が捕われてとても眠るころではありませんでした。しかしながら次の日は、ほとんど寝ていないにもかかわらず元気にあふれており、自然に笑顔が漏れてしまうのでした。

 (かね)てより長らくお世話になった教会とロット神父に、ようよう恩を返せるときがきたのだと信じて疑いませんでした。肩にかかる程度のざんばらな栗毛をくしでとかすことに苦心しながら、何度も鏡に向かい、緩もうとする頬を叩いて引き締めました。

「さあ、今日も張り切って、お仕事、お仕事!」

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