09 Sランク勇者、目が覚める
サンドラ王女と騎士団員3名が加わった地下牢は狭かった。もともとは、たまに村に侵入しては盗みを働くビーストを仮に閉じ込めておく程度の用途しかなかったらしい。何日も、何人も入れておくことはあまり想定されていなかった。
「なぜ…こんなことに…」
「全てサリー達のせい…とは言えないところがあるのが辛いところです」
「ジェイド殿に過失があったとは思えん。そもそも、魔族がエルフを殺したことがないというのも信じられない。ズールにしても、エルフを巻き添えにしたのだろう?」
「巻き込んだのは他ならぬ俺…私だと言っています。私がいなければ、死ぬこともなかったと」
「あり得ん。ジェイド殿を倒すために村に侵入したわけではないだろう。身内が死んで、正常な判断ができていないのではないか?」
「私も、そう思います…」
そう、思いたい。俺とて、エルフ達に敵対したくない。特に、世界樹を抱えるこの村のエルフには。しかし、これまで俺がしてきたやり方は、サリーに閉じ込められてからというもの、ことごとく裏目に出ている。
「殿下、やはりここを出ましょう! こんな牢屋で大人しくしている必要はありません」
「そうです! スキを見て逃げ出し、一旦、村の山々に隠れて…」
「隠れて、それからどうするのだ? エルフ達に捜索されて結局捕まる。それが繰り返されるだけだ」
「しかし…!」
一緒に村に入った騎士団員達は、牢屋の生活に早々に音を上げているようだ。俺も、入れられたばかりはそうだった。しかし、喉元過ぎればなんとやら、そのうち静かになっていくのではないだろうか。質素な食事が続いて、体力も魔力も落ちていくのだから。
「もう一度、結界に穴を空けることはできないのですか?」
「不可能に近いな。入ってきた時も、我らだけでなく、後方の騎士団員の何人かが魔法による支援をしていた」
「俺達にしても魔石を併用していたのだよ、ジェイド殿」
「穴が空いた途端、砕け散ったけどな…」
「こんなことなら、予備を持ってきておけば良かった…」
いや、そういう話なら、魔石があってもなくても状況は同じだっただろう。可能性というなら、むしろ…。
「サリーの、あの力の源の謎が解ければ…。エルフや各地の伝承が本当なら、サリーはただの支援役にすら劣る魔導士、ということになりますが」
「攻撃魔法も身体強化も使えなかったな。僧侶と同じ系統だとしても、探索魔法や封印魔法も不得意なようだった」
「以前、聖女サリーに治癒魔法をかけてもらったことがありましたが、腕の傷ひとつで魔力が尽きておりました。すぐに、疲れたと言って」
「俺もです。騎士団員の間では評判だったのですが、可愛らしい容姿だけが話題で…」
「傷の類は自分で治すのが普通になったな。アテにできないってことで」
少し前までなら、サリーの聖女としての不甲斐なさに呆れていたのだが…。そのわがままとも思える言動に、何らかの裏があったのではないかと思い始めている今の俺には、何かひっかかった。
「待ってくれ。サリーが現れるまで、騎士団員は治癒魔法を使うことはなかったのか?」
「…なかったな。治癒魔法の使い手がいればとは思っていたが、自分で治そうとは思っていなかった」
「俺もだ。けど、聖女サリーが傷を治して、でも、やたら中途半端で、後は自分でやれとか…」
「魔力は我々の方があるんだからと、基本的な詠唱を記載した紙切れを渡されて…」
「なに? あれは、サリーが撒き散らしていたのか!? あれを見て、私もごく基本的な治癒魔法を覚えたのだが」
まさかと思い尋ねてみたが、予想以上にサリーの意図が隠されていた。要するに、サリーは王城にいた頃、騎士団に初級の治癒魔法を普及させていたのだ。総長のサンドラ王女を含めて。聖女が現れれば、癒やしを施すのは聖女の役目。そんな先入観が支配的だった時に、である。
「その紙切れなら、ここにある。複雑な詠唱だから、たまに読み返さないと…」
騎士団員のひとりが、詠唱の言葉が書かれた紙切れを取り出す。何度も取り出しては仕舞った形跡があり、少しばかりボロボロだ。
「これは…確かに複雑だな。しかし、効果は基本的なのだろう?」
「ああ。ジェイド殿もやってみるか?」
「あ、ああ…」
二度目にこの牢屋に連れて来られた時に出来たかすり傷がある。この程度なら…。
「しかし、長いな…え?」
読み上げようと、一度黙読した途端、かすり傷に光が灯り、あっと言う間に傷が治った。
「おお、さすが『勇者の紋章』を持つジェイド殿だ、すぐにマスターするとは」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい、殿下! 治癒魔法とは、こうも簡単に無詠唱で発動するものではありません。それに、今試した時には『勇者の紋章』の力は発動しておりません!」
「そ、そうなのか!?」
「ギルドに登録していたAランク魔導士の治癒魔法を何度も見ていますが、今のような効果のものでさえ、少なくとも発動キーワードが必要である上、相応の魔力を消費していました」
「すると、この治癒魔法は…」
サリーのオリジナルの、少ない魔力でも発動する中級治癒魔法…!
「サリーは、魔法技術だけ見れば『賢者』クラスということになるのか? 私のひとつ年下で!?」
「魔力保有量のあまりの少なさにばかり気を取られていたが…これは…」
そう考えれば、いろいろなことがすっきりする。いや、弱冠16歳にして、おとぎ話でしか語られないような存在であることなど本来考えられないが。しかし、これまでサリーが反抗的ながら訴えてきた数々の言葉が、頭の中を駆け巡る。
「根回しではなく、徴税でもなく、魔物の殲滅でもない。『勇者の紋章』すら、必要がない…」
『ジェイド、あなたみたいな無能はもう要らない。パーティからさっさと出ていきなさい!』
「…そうだ。あのパーティは『魔王討伐パーティ』だった。決して『勇者パーティ』などではない!」
「ジェイド殿…?」
「俺は、『勇者の紋章』を見出されてから、何をした? いや、見出される前まで、俺は何をしていた?」
冒険者ギルドでクエストを受け、目的を達成し、報酬を得る。決して、早死するような無茶なクエストは受けない。死んでしまっては何もならないからだ。高ランクのクエストを解決して名誉を獲得する? 他の冒険者がそれを目指すのは構わない。しかし、俺は違った。
「生きていくために。それだけだった。Sランクとなったのは、結果だった。目的ではない。だからこそ、40歳近くになって、ようやく…」
「ジェイド殿!」
サンドラ王女の呼びかけに、我に返る。
「殿下…。いえ、ようやく、目が覚めたような気がしまして。サリーの治癒魔法には、そのような効果もあったのか…」
「何を、言っている? 目が覚めた?」
「殿下。私は…いえ、俺は、勇者です。勇者は、魔王を討伐しなければならない。何より、俺自身が生き残るために」
「生き残る…」
「俺は、なぜか死に急いでいた。自らを犠牲にしてでも、勇者としての使命を果たそうとしていた。なんのために? 勇者として、魔族と戦い、魔王を倒して、その先は?」
「それは、討伐を達成した名誉を…」
「俺が、死んでも? 死んだら、その名誉は? 何千年と続いてきた、勇者と魔王の物語の中に埋もれるだけ? 誰もそんなことは望んでいない!」
サリーの言葉を、反芻する。
そうだ。そうだそうだ。そうだそうだそうだ。
俺は、無能だ。無能だったんだ。
『魔王を討伐しようとしている』だけの、ただの、無能だったんだ。
◇
「これは、凄い…!」
「先ほどの狩りでの傷が、あっと言う間に…!」
牢屋に元長老と現長老を呼び寄せ、サリーの治癒魔法について話をした。複雑な詠唱ゆえになかなか発動できずにいたエルフ達であったが、一度成功すると、次々と発動できるようになっていった。ここは記憶力の高いエルフならではだ。
「この治癒魔法をきっかけに、エルフでも文字を用いませんか? 手助けいたしますよ」
「うむ…。こうして客観的に眺めることで、詠唱の『構造』が見えてくる。我らは魔力が多いゆえに、同じ現象を連鎖的に発動することで、強力な魔法を一瞬で実現する。しかし、これは…」
「おやおや、エルフの民の方が活用できそうではないですか」
「当然だ! 卑しい種族のヒューマンごときに指摘されるまでもない!」
「これは、失礼いたしました」
相変わらずの見下した物言いに、しかし、なぜか全く腹は立たない。サリーならば『あっ、そう』と言って去っていくような、そんな軽い感じだ。
「この『構造』を、我らに伝わる防御魔法に応用すれば、はるかに少ない魔力で発動できるし、より強固なものともできそうだ。…これを、あの時に知っていたら…」
「彼らの死が、私の…俺の責任というなら、そのように思っていただいて構いません。しかし、だからこそ、あの悲劇を二度と繰り返さないための手伝いはさせて下さい。共に、生き残るために」
「そう…だな…」
生き残るために。
共に、幸せになるために。
◇
俺とサンドラ王女、騎士団員の3人は、元長老の家で、あらためて普通に暮らすようになった。
俺は、冒険者時代に培った、野や山での知恵をエルフ達と交換している。もっとも、その手の知恵はエルフ達の方がはるかに多く伝えられており、また、活用していた。俺が最も得意としてきた分野でさえこれなのだから、それで満足していた俺を『卑しい種族』と罵るのは当然のことなのだ。だから、俺は素直に教えを請うた。そして、エルフ達は意外にも、積極的にあれこれと教えてくれた。絶対的な上から目線で。
「ふん、地脈の活用すら知らぬのか。今から教えてやるが、ヒューマン如きがすぐに理解できると思うなよ!」
そして実際、すぐに理解できるようなものではなかった。エルフ達はヒューマンに比べれば長命だ。彼らでさえ、時間をかけて身につけたのだろう。
「ふんっ!」
「はっ!」
「まだまだ!」
「なにっ!?」
カランカラン
「これが、剣技の基本です。弓が伝統とはいえ、これだけでも覚えれば、いざという時、役立ちます」
「ヒューマンが偉そうに…。次は、我らの弓を覚えるのだぞ!」
「私は、弓の基本は既に承知しております」
「なに!?」
サンドラ王女は、得意とする剣技を中心に、エルフと交流を深めた。魔法抜きでは、剣の天才と言われた王女の方がはるかに強く、教えを請うのはエルフの方だった。
「ですから、この文字が…」
「ふむ。では、こう組み合わせた時は、どの言葉に対応する?」
「それは、この言葉で…」
「おい、詠唱用はもう覚えちまったぞ?」
「明日にも、日常で使う文字を教えることになりそうだな」
騎士団員達3人は、主に長老達と共に、文字の活用と魔法の改良を続けた。どちらかというと魔法が得意な団員だったから、こちらも割と順調だ。
◇
そして、今日も一日が終わる。
魔族の襲撃があった日を除いて、世界樹の村での生活は、基本的にゆったりだ。村の外では未だ混乱が続いていると思うと心苦しいが、それらを全て抱え込むことなど端から無理である。今やれることを、やりたいようにやる。それだけだ。
夕食をとった後、世界樹の葉を煎じたものを共に飲みながら、サンドラ王女と話をする。
「殿下、今ならはっきりわかるのですよ。サリーが俺をこの村ごと閉じ込めた理由が」
「ずいぶんと、健康的になったものだな。むしろ若返ったのではないのか?」
「御冗談を。まあ、長老は魔法改良であらためて若返ったようですが」
元長老はめでたくかつての若さを取り戻し、『元』が取れて再び長老の座に着いている。知恵と伝承を最も豊富に受け継いでいるのが長老の条件だが、今はせっせと『書物化』している。何十年と続く作業となるだろう。
「それでも、結界は破れないのですがね。世界樹の葉や本体の魔力を活用するための魔法…があると思うのですが」
「それも、サリーのオリジナルなのだろうな。魔力が少ないなりに、いろいろと試していたと言っていたそうではないか」
「そうですね。魔石があれば、もっと早くに…いえ、結局無理だったのでしょう。他ならぬ、俺の『死に急ぎ』で」
サリーは、今の俺を見ても、やっぱり無能扱いするのだろうか。さんざん人生の先輩ぶっての、この体たらくである。俺が彼女をどうこう言える立場ではないことは、もうはっきりしている。
「私も、そうだった。もしかすると、私もサリーの言葉をないがしろにしていたのかもしれない。そう言えば、『死の呪い』はただの迷信と言っていたな」
「迷信? 実際に作物が枯れているのでしょう?」
「ああ。だから一笑に付したが…。サリーの目には、何が見えていたのだろうな」
「半年以上一緒にいて、俺には何もわかっておりませんでした。ロキやシンは、わかっていたようですが」
最大の謎は、サリーがなぜ『賢者』クラスの存在なのかであるが、もしかすると、聞いても理解できないような経緯があったのかもしれない。実際のところ、『聖女の紋章』はあまりに神々しかった。あれが神の加護ではなく、我々に聖女として受け入れさせるために自ら刻んだのだとしたら、それは神の加護以上の話である。
「サリーは、魔王を討伐するのだろうか? 事ここに至って、彼女の目的は他にあるような気がしてならないのだが」
「わかりません。わかりませんが…彼女は、必ず戻ってくるでしょう」
世界樹の村の結界を、解くために。