06 Fランク聖女、神竜に立ち向かう
サリー達『勇者なき』勇者パーティは、砦を抜けて魔王城のある地域に向かってひたすら歩き続けた。他の種族が住む領域ならば乗合馬車が往来し、そうでなくとも、独自に馬車を手に入れて進むこともできた。そのような手配をこれまでしてきたのはジェイドであり、世界樹の村にそのジェイドを置いてきた時点で、サリー達に『馬車を手に入れて魔族領を進む』という発想はなかった。
「…ねえ、どう思う? この歩み」
「どうもこうもねえよ。やっぱりアレじゃね?」
「吾輩もそう思います」
「だとすると、素直に喜べないよねえ」
砦の突破から始まった徒歩による魔族領行脚は、しかし、サリー達に全くの疲れを感じさせなかった。それどころか、何時間もの連続した徒歩であるにも関わらず、飢えや喉の渇きすらほとんど覚えなかった。
「魔物達の臓物が、多量の魔力を含んでいたのでしょうな」
「美味いだけじゃなかったのかよ。いや、美味かったのは、サリーの煮込みのせいだろうがよ」
「もしかすると、魔族並の耐久力を得ているのかもしれないね。だから、なのかしらねえ…」
魔族領は、はっきり言えば魔境の集合体である。深い森林の中に魔物がひしめき合い、魔族が徒党を組んで暗躍する。魔王の出現によって巨大なヒエラルキーが誕生することで、勢力が増し、他種族の領域に進攻するようになる。ゆえに、魔王は討伐せねばならない。これが、特にヒューマン側の主張する魔王討伐の根拠である。
そんな魔族領であるが、サリー曰く魔族並の耐久力を得ると、魔境というおどろおどろしいイメージが薄れ、様々な命があふれる、豊かで穏やかな場所に見えてくる。ぎゃーぎゃー鳴いていた空飛ぶ魔物が、優雅に羽ばたく鳥のように見える。威圧感たっぷりのジャイアントボアが、おっとりとしたナマケモノのように見える。
「こないだ見たゴブリンの村はほのぼのとしてたよね。ゆったりとした、その日暮らしって感じで」
「おい、だからってむやみに近づくなよ? サリーが紛れ込んだら、即座に苗床にされちまう」
「えー、子供達と仲良く遊びたい。鬼ごっことか面白そう」
「サリー殿、冗談でもやめて下さい」
もちろんではあるが、いくら16歳とは思えないほどに小柄で子供っぽい言動が多いサリーでも、その辺の知識は十分持っている。女性として来るモノは普通に来るし、それが何でどういうものか、どうすれば子供が出来るのかも良く知っている。もっとも、それは経験豊富であることを意味しているわけではない。むしろ良く知っているからこそ、そんな事柄を頑なに避けているのかもしれない。
「でもまあ、ちょっと休もうか。景色も眺めたいし」
「ですな。この辺は攻略すべき魔族の拠点もないようですし」
「ていうか、今日はこの辺で野宿じゃね? 俺、準備すっからよ」
「そうだね。じゃあシン、探索をお願い」
「わかりました」
野宿に適切と思われる場所を探すため、シンが広域探索魔法をかける。薄く広がる感覚が、地形や動植物の大まかな様子を捉えていく。
「む…?」
「どうしたの?」
「この先に集落があるのですが、様子が変なのです。地形は明らかに村のようですが、生命反応がないというか、魔力の残照のようなものがあるのみというか…」
「どうする、サリー? 嫌な予感しかしねえけどよ」
「…行ってみましょ。日が暮れるまで、まだ時間があるし」
そうして、サリー達はその場所に向かっていった。なんとなく、陰鬱な雰囲気を感じ取りながら。
◇
感じ取っていた雰囲気は的中していた。
「酷い…」
「オークの村だったようですな。誰も生きている様子はありませんが」
「ただひたすら殺しまくったって感じだよな」
そこには、オーク達の無数の死体が転がっていた。多くの場所が魔法らしき攻撃で焼かれており、シンの感じとった魔力の残照がそこにあった。
「ヒューマンやビーストが討伐したにしてはおかしいよな。オークは食材にも素材にもなるから、少しは回収していくはずだし」
「少なくとも、討伐の類ではないでしょう。こちらを見て下さい」
「…」
そこには、ビーストの女性の死体が複数あった。オークはゴブリン同様、他種族の女性を苗床とするため攫うことがある。それゆえ、魔物の中でも特に相容れない存在ではあるものの、それでも、一定の住み分けはできる。特に、魔族の支配する領域であれば魔力源も豊富であり、他種族を犠牲することなく繁殖がしやすい。
この惨状は、『無益な殺生』の典型であった。世界樹の村でズールが見せたような、自暴自棄にも似た攻撃の巻き添えをくらった様子もない。
「…ああ、なるほど」
「どうしました? ロキ」
「これ、見ろよ」
あるオークが握っていた剣。そこには、鱗のかけらがこびりついていた。
「ドラゴンね。それも、かなり高位の」
「ですね。かけらでしかないのに、高密度で豊富な魔力を感じます」
「しかも、世界樹の葉よりも再利用性が高い…となると」
永遠とも言える長い時を生きてきた、古代種。あらゆる種族から恐れられ、時代によっては神とも崇められてきた、ドラゴンの中でも最強の種族。
「でも、魔王が復活しているなら大人しいはずだよな? つーか、魔族領にいるなら魔王の支配を受けているっていうか」
「支配と言っても、一挙手一投足を監視されているわけではないでしょう。古代種ならば、その行動に制約を課すことは、魔王であっても厳しいでしょう」
「飛行能力が桁違いらしいからね。若いドラゴンが暴走してるのかしら?」
古代、といってもそれはあくまで種の名前であり、全ての個体が長生きしているわけではない。古代種から生まれたドラゴンは、やはり古代種としての能力を有している。それ故に、経験の少ない若い古代種のドラゴンは非常にやっかいといえる。
「…!? サリー、ロキ、来ます!!」
「来るって、そのドラゴンがかよ!?」
「2体…いえ、3体…!!」
ばさっ、ばさっと、ゆっくりと、しかし、確実に近づいてくる3体のドラゴン。古代種の特徴である角と髭がはっきり見え、このオークの村を襲った連中が舞い戻ってきたのは明らかだった。
「サリー、どうします?」
「俺、戦いたくねえなあ。1体でもやっかいなのに、3体もなんてよ」
「私も戦闘はしたくないけど…見ちゃったからね」
「見た?」
「剣に、鱗をね。簡単には、取れないはずなのに」
それは、ドラゴンに必死に抵抗した証であった。
◇
『奇妙な魔力を感じたと思って戻ってきてみれば…勇者でもないヒューマンとはな』
『けっ、勇者とかいうんじゃねえのかよ。倒せば箔がつくと思ったのによ』
『親父、こいつらもやっちまおうぜ! 魔王が出てきてからこっち、ストレスが溜まってんだ!』
逃げることもなく対峙したサリー、ロキ、シンの3人を、空に留まって見下ろすドラゴン達。どうやら親子のようだ。
『まあ待て。お前達、何者だ? ヒューマンとは思えないほどの魔力を感じる』
『…』
『…』
『…』
『聞こえないのか? 我らが強力な精神感応、お前達に届かないはずはないのだが…』
古代種とはいえ結局はドラゴン。つまり、ヒト型生物が備える発声器官は存在しない。したがって、意思疎通は主に思念の発露によって行われる。耳はあるので声を聴くことはでき、長命なドラゴンほどヒト型生物の様々な言葉を解する。
「…ねえ、ロキ、シン。この3体、どう思う?」
「魔物がかわいく見えちまってるから、でっかいトカゲくらいかとは思ったこともあったけどなあ」
「トカゲの方がまだマシですな。あちらの方が、にじみ出る雰囲気が穏やかではないかと」
「そうよねえ。魔物や魔族には、ドラゴンはこう見えるのかあ。まさか、おっきいニワトリが宙を浮いているかのようだなんて」
コオオオオオオオオオッ!!!!
何やら的外れな感想を漏らす3人の反応に、父親と思われるドラゴンが咆哮を放つ。
『なめるな、虫ケラ! もういい、お前達、やってしまえ!」』
『おう! 吹き飛べ、豆粒のヒューマン共っ!』
『泣け、わめけ、逃げ惑え! くははははっ!』
子の方と思われるドラゴン2体が、揃ってドラゴンブレスを地上に放つ。狙いはもちろん、サリー達だ。
ごうっ…!
ぶおおおおおっ
『どうした、逃げないのか…ん? どこ行った?』
『おいおい、簡単に燃え尽きちまったのかよ?』
『つまんねー、ギャハハハハハ!』
『親父、次行こうぜ…なに!?』
ブレスの先には地面が残っていただけで、死体も何もなかった。当然である。生きているのだから。
「ふむ、これくらいの距離なら、吾輩も安定した転移ができますな」
「うわ、くそっ、俺の専売特許が!」
「ロキは通常魔力で広範囲に転移できるんだからいいじゃない」
サリー達3人は、3体それぞれのドラゴンの背中に乗っていた。空間を捻じ曲げるには、特定の術式を理解した上で発動するか、ふんだんに魔力を放出して力任せに発動するか。現在の3人の身体には、期せずして得た魔物の魔力が満ちており、視界の範囲の近距離転移ならば簡単に発動する。
「聞かせて。オークの村を襲ったのはなぜ?」
『知れたこと…。我らの威勢に怯え、逃げまどう者共を狩るのは、至高なる我らの嗜み』
『ヒューマン共もやってるのを見たぜ? 野でも山でも海でもな』
『冒険者とか言ってたか? 「らんく」がどうとかよくわかんねえことを叫んでたが』
「…確かに、似たようなものよね。ジェイドも『手を抜かず全力を出すための訓練』とかなんとか…」
ドラゴンにとっての集落襲撃は、腕試しのようなものらしい。魔王配下の者達の監視の下、そのような『伝統』は表立ってできないが、時々はこうして活動していたようだ。
「それなら、残念ね。私達を倒しても、仲間に自慢できないから」
「ま、それは俺達もだがな。こんな雑魚、素材活用しかメリットが思いつかないぜ」
「いいではないですか。我らが生き抜くための糧となる。本来の生存競争でしょう」
『ほざけえっ! 地面に叩きつけて踏み潰し…ごはっ!?』
ボフッ!!
ロキの乗っていたドラゴンの背中が、ちょうど羽根の付け根あたりで破裂する。体内の魔力が空中に漏れ出しながら、ゆっくりと落ちていく。
『が…あ…』
背中に大きな穴が空いたドラゴンは、地面に着いた頃には絶命していた。
『な…あ、兄貴ぃ!? …あがっ』
シンが乗っていたドラゴンの首が、ぽろっともげ落ちる。目を見開き、叫び声を上げたままの首が、地面を転がる。
「シン、またえげつない殺し方をするもんだなあ、おい」
「ロキほど派手な攻撃はできませんのでね。浄化魔法を『反転』させて首に集中させただけです」
「それがえげつないっての。俺は、鱗が剥がれたところに、魔力を詰め込んだ魔石を放り込んだだけだからな」
「オークが剣で剥がした跡ですな。敵討ちを兼ねていたのですか?」
「ちげーよ。…ただ、利用しただけだっての」
そう言うロキだが、最初に鱗のかけらが剣にこびりついていたことに気づいたのは、誰だったか。
『む、息子達…お…おお…うおああああああ!?』
「さて、最後はあなたね。覚悟はいいかしら?」
『なぜだ!? 末の息子でさえ、千年を超えて生きてきたのだぞ! それを…それを、こんなにあっさり殺すなど!?』
「どれだけ生きてきたかなんて知らないわよ。長生きするだけで価値が高まるとでも思っているのかしら」
『ふざけるなあ! 貴様等のようなゴミ共に、神にも等しい我らの命を弄ばれるなど、あってなるものかあ!』
「神? 神っていうのは、そうやって命の尊さを敵に訴えて何千年も生き永らえるものなの?」
『黙れ黙れ黙れ! この場でチリ一つ残さず消し去ってくれる!!』
父親らしきドラゴンがそう叫ぶと、宙に浮いたまま身体全体が光に包まれる。ドラゴンブレスの上位攻撃、ドラゴンハウリング。本来であれば肺で生成されるドラゴンブレスと同じ現象を、体表面のあらゆる箇所で引き起こす、全方位無差別攻撃。魔力のほとんどを費やすが、その威力範囲ゆえに、発動されればこの一帯から生きて逃れることができる存在は皆無である。
その、はずだったが。
「『反転』」
シンも使った、『反転』の法。サリーは父親ドラゴンの背中の上で、体内魔力の多くを使い、ドラゴンハウリングのいくつかの性質を逆にする。ただし、その威力はそのままに。
『う…が…?』
何が起きたかわからぬまま、命を失う父親ドラゴン。数千年の時を生き、現れてはすぐに消えるあらゆる種族を、瑣末な存在と見下していた古代種のドラゴンの1体が、その生涯を閉じる。
既に死骸となって横たわっていた息子ドラゴンの間に落下し、ズンッ、と地鳴りが響き渡る。その身体のあらゆる箇所で、いくつもの巨大な氷の槍が、深く深く突き刺さっている。
「神は、世界に干渉できない。ただ、預言するのみ」
そうつぶやくサリーの言葉は、誰に向けたものだったのか。ロキとシンは、あえて尋ねることはしなかった。