カルテ699 怪球カマグ(前編) その87
ヒュミラとケルガーとホーネルの三人が寒い夜明けに文字通り角突き合わせて今後の対策を講じているのと同じ頃、常夏の国・ジャヌビア王国の海底深く、その異形の魔獣は息をひそめていた。
直径3メートルを超える白銀の球体から海蛇のような触手が無数に伸び、本体を守るように取り囲んでいる。初めて目にした者は新発見の未知の深海生物だと勘違いするかもしれないほど、その場にフィットしていた。
魔獣には実は小さな小さな目玉が一つあるが、それは現在閉じられていた。睡眠を必要としない者が魔獣にはかなりいるが、この魔獣は現在眠りについていた。
球体はまどろみながら、夢を見ていた。はるか遠い昔、家族と一緒に過ごした南の島の村のこと。帝国との戦争のため、兄弟たちと共に戦士となって北へ北へと向かった時のこと。戦争に負けて捕虜となり、悪夢のような人体改造の結果、原形をとどめぬこのような姿になり果てたこと……。
ただし、知能をほぼ奪われ元の名前すら無くした魔獣には、懐かしいという感情はあるものの、全ては朧気でまさしく夢のようなものだった。そして目が覚めれば今見ているあらゆる記憶は跡形も無く消え失せる。そう、この海の泡のように。
でもこの生ぬるく感じられる海水がやけに心地よいのは、ここが魔獣の故郷に近いせいかもしれない。それで魔獣は久々に夢の世界へと旅立っている最中なのだろう。
この平穏を妨げるものは何人たりとも容赦しないと魔獣は本能のうちに誓っていた。もう二度と極寒の他国に行くのはまっぴらごめんだ。ここでぬくぬくと永遠に魚たちに紛れて暮らしていたかった。
魔獣の近くを通りかかったネコザメがびっくりした様子で急にスピードを上げて泳ぎ去っていく。まだこののたりとした海は平和そのもので、何一つ変わったことは無かった。




