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カルテ71 少年とリザードマンと総身脱ぎ その2

 遡ること数年前の4月のある日。本多医院にて。


「じゃあ、後はお願いね、兄さん」


 こう言い残して、本多の妹の千草は、小学校一年生の息子、つまりは本多の甥の藤五(とうご)を本多医院に置き去りにし、トランクを転がしながら旅行へと出かけていった。


「お前さんも若いのに大変だね〜。しかし我が妹ながらひっどいやつだな〜、子供が病気だって〜のに」


 点滴に繋がれ、イヤホンを嵌めて本多の私物の古いラジオで落語を聞きつつ、二階にある院長室の仮眠用のベッドに横たわる色白の少年を見下ろしながら、本多は彼の母親に当たる人物をくさす。


「でも、僕が悪いから仕方がないよ、伯父さん。母さん前々から旅行を楽しみにしていたのに、僕が風邪なんてひいちゃったから……ゴホっ」


 薄情な母親をフォローしながらも、藤五が軽く咳をする。


「おいおい大丈夫か?」


 本多が珍しく真面目な表情で様子を伺う。


「平気だよ。ちょっとむせちゃっただけさ」


 そう強気に答える少年の顔色は、しかし冷や汗をかいており、とても平気そうには見えなかった。


「まあ、風邪っていうよりは肺炎に近かったから、旅行に行かず無理しない方がいいのは当然だけどさ〜、だったら自分もキャンセルしろよあのドブスめ。うちは入院は普通はやってないの知ってるくせに……ギリギリ」


 本多は窓の外を睨みつけながら、小声で愚痴を垂れ流しつつ、歯ぎしりした。クリニックとは、19床以下の病床を有すると医療法にて定義されているが、ここ本多医院にはそんなものは一床もない。なぜなら病床があるということは、入院のための設備やら職員やらなんやらが必要になってくるということでもあり、非常に面倒なことになるのでわざわざ設置する意味がないからであった。


 しかし極々稀だが入院治療を希望する患者もいる。もちろん丁重に断らざるを得ないが、それが身内であった場合、簡単にお引き取りするわけにもいかない。ましてや病弱な甥っ子を、どうして見捨てることができようか。


「点滴しっかり打ってもらって2、3日大人しく寝てれば治ると思うから、よろしくね〜」


 妹は、清々しいくらいの澄まし顔で、全てを押し付けると春風のように去っていった。兼ねて知ったる何とやら、だ。全く、いくらシングルマザーだからって、親族を頼り過ぎだ。厚労省でもいきなりガサ入れに来たら、こりゃ営業停止ものだろうなあ、と本多は滴下している抗生剤に顔を向けながら、虚ろな目をした。


 だが、赤ちゃんの時から知っている可愛い少年のことは、彼も憎からず思っていた。月足らずの未熟児で産まれたため、いろいろと大変な時期もあったが、幸い重篤な呼吸障害などは残らず、成長曲線の下の方をさまよいながらも徐々に大きくなっていった。しかしひ弱ですぐに風邪を引くことが多く、小児科はどこも散々待たされるため、しょっちゅう本多医院のお世話になることが多かった。


 でも、いつも明るく振舞って、笑顔を絶やさず、恐竜やファンタジー系の本をプレゼントした時は抱きつかんばかりに喜び、お礼に超絶技巧を凝らした神谷哲史氏のコンプレックス折り紙のエンシェントドラゴンなんかを折ってくれたりして、本多を驚かせた。また、病弱なためか寝ながら落語を聴くことが趣味の藤五は、本多も知らない珍しい演目を色々と教えてくれた。


 そんな彼のためなら、数日間医院に泊まり込むぐらい、なんてことは無い(もっともペットの世話や、着替えや食料の補給などのためにちょっとくらいは外にでるけど)。これは嘘偽らざる本多の本音だった。


「それにしてもあのバカ妹、どこに行ったんだ?」


「なんでも京都方面に出かけていったよ。今、桜がとっても綺麗なんだって。僕もちょっと見たかったな……」


「なあに、元気になれば桜ぐらいこっちでも拝めるって」


「でも、ここ数日が一番見頃らしいんだよね。ひどいよなぁ……」


 滅多に弱音を吐かない少年が、珍しく表情に陰りを帯びる。


「まぁ、あんなもん見に行っても、酔っ払いばっかりですぐ嫌になってくるさ。それよりよく寝とけよ〜。んじゃ、僕は夜の診察に行って来るからね〜。点滴が終わった頃にまた来るよ〜」


 本多は落ち込みかけた藤五の肩を軽く叩くと、ザーっと窓にカーテンを引き、逃げるように院長室を後にした。さっきチラっと目にした窓の外は、一面の大湿原になっていた。


(こりゃ、今晩のお客様は……またしても人間じゃあないかもね〜)


 本多は、妙にワクワクする胸を押さえつつ、階下へと降りていった。

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