カルテ690 怪球カマグ(前編) その78
あの符学院の長い長い夜から数カ月が経ったある日のこと、クラリス・ルジオミール、もといヒュミラは再び学院長室に呼び出された(ちなみに彼女の辞表提出はなかったことにされていた)。
(やはり魔封剣の話だろうか……?)
彼女は壮絶な体験をした大騒動の夜のことを思い出しつつ、ドアを開けた。
結局あの晩の騒ぎについては、外部から侵入者が学院に入り込み、地下の研究室に忍び込んで貴重な魔封剣を二振り奪い、その際偶然居合わせたセフゾンと戦いになったが、哀れな彼は自身の護符によって自滅して死亡し、下手人はまんまと逃げ失せたということで、一応落ち着いた……表向きのところは。実際には魔剣はどうなったのかというと、あの時崖下にてずっと待機していたヒュミラの協力者に、ロープを使って上から吊り下ろして渡されたのだった……もちろん、グラマリールの許可を得て。
犯人および魔封剣の捜索のために、早速数名の手練れの黒装束たちが隠密裏に駆り出されたが時すでに遅く、簒奪者はとっくにロラメットを抜け出したどころかザイザル共和国から国外へ脱出した後で、追跡は事実上不可能となり、ことごとく無駄足を踏む結果に終わった。
(今更返せとか言われても、あの剣はとうの昔にインヴェガ帝国に届けられている。どうすることも出来ないが……ん?)
物想いにふける彼女は、室内から流れてきた嗅ぎなれた匂いに足を止めた。
「遅いぞクラリス。冷めるからとっとと飲め。話はそれからだ」
なんとグラマリール学院長はわざわざお客様のためにコーヒーを用意して待っていたのだ。
「あ、ありがとうございます……ですが、これは?」
「安心しろ、普通のものではない。以前話していたでかふぇがついに完成したのだ。お主に一番最初に試飲する権利を与えてやろう」
「そうだったんですか!」
衝撃のあまり、彼女は飛び上がりそうになる。なるほど、確かにここで以前嗅いだ時よりも香りが妙に薄い気がした。




