カルテ672 怪球カマグ(前編) その60
月の無い晩ではあったが、どこからともなくふらりと現れたその人物の顔が銀色にきらめくのがクラリスには見て取れた。間違いなく銀仮面だ。
「グラマリール学院長殿、何故ここに!?」
既に裏切っているにもかかわらず、今までの癖でつい「殿」付きでクラリスは尋ねてしまった。
「なあに、夜中にあんなにうるさければ、目が覚めても仕方なかろう。だからつい真夜中のお散歩としゃれこんだだけよ。お主だって以前夜中の物音が気になって起きてきたであろう?」
いけしゃあしゃあとうそぶく学院の最高責任者は、彼女の痛い所を的確に突いてくる。
「確かにそんなこともありましたね……」
慎重に答えながら、彼女はジリジリと距離を詰める。おそらく離反したのは十中八九バレているだろうが、まだ一割程度の望みはある。何とか彼を胡麻化して、この土壇場から首尾よく逃げ出す策を講じなければならない。でなければ先輩教員を直接ではないにしても手にかけたスパイに待っているものは死、あるのみだ。死中に活を求め、彼女は目力を最大にして周囲を観察した。
(駄目だ……一分の隙もない)
いざとなれば先ほどセフゾンに放ったのと同じ魔封剣の一撃をお見舞いしようと目を凝らすも、懐に手を突っ込んだままの学院長はまるで剣の達人のごとく全方向に気を張り巡らしており、いくらクラリスが脳内シミュレーションを行っても勝つイメージが湧いてこない。多分あの手には例の万能の護符が握りしめられており、彼女の行動に対してあらゆる対応が可能なのであろう。
「そう構えるな。別にとって食おうというわけではない。ま、お主がインヴェガ帝国の間者だということくらい、最初からお見通しではあったがな」
何気ない調子でさらっと爆弾発言するため、彼女は一瞬頭が真っ白になった。
「は……えええええええええええええ!? 何故!?」
大声で言ってしまってからしまったと口に手を当てるも、もう遅い。これでは認めたも同然だった。
すみませんが来週火曜日はお休みさせていただきます。次回の更新は6月6日になります。では、また!




