カルテ638 怪球カマグ(前編) その26
「最初は泥水のようで苦いだけだと思っていたが、匂いは良かったし、もう一度、またもう一度と不思議と飲みたくなり、気がつけば毎日のように口にするようになっていた。私は酒は嗜まないが、なるほど、人はこうやって飲み物にハマっていくのかと納得したものだ」
彼女はローブの染みを撫でながら、感慨深げに語った。意思が強いと自負していた自分が何かに依存するなど初めての経験だったのだ。
「ふむふむ、よーくわかりました。要するに典型的なカフェイン中毒ってわけですね」
「かふぇいんちゅうどく……?」
耳慣れぬ単語を彼女は繰り返す。
「おっと、説明がまだでしたね。まず、その魔性のコピーロボット豆とやらは僕らの世界で言うところのコーヒー豆とほぼ同一の物だと思われます。昔ヤギだか何だかがその実を食べて興奮状態になってウサギみたいにピョンピョン飛び跳ねているのを見た者が食用に使いだしたという伝説がありますが、どこまで本当かは怪しいものですね。単なる発情期だったのかもしれませんけど……っておっと、失礼」
「……まあ、いい。聞かなかったことにしておいてやろう」
彼女は深呼吸を一つして、もう一度寛大な慈悲の心を発動させ、気持ちを落ち着かせた。しかしこの調子だと本当に夜が明けてしまう。
「んで、コーヒー豆にはカフェインという神経刺激物質が大量に含まれているんです。神経っていうのは身体に命令を出す部分や身体の中を走る線のようなもので、これによって人体は動いたり考えたりします。ちなみにコーヒー豆の他にもカカオ豆やお茶の葉っぱなどにもカフェインは入ってますが、やはりコーヒーが代表的でしょうね。苦みを引き起こすのもカフェインの作用が大きいと言われています」
「ほう……」
ようやく話が本題に入ってきたので、よくわからない部分はあるものの、彼女は気を取り直して耳を澄ました。
「ちょっと話がややこしくなりますが、カフェインは神経を鎮めるアデノシンという物質と非常によく似ており、簡単に言いますと、体内でアデノシンが本来作用するべき場所に代わりにくっついたりして、結果神経が刺激されるわけなんです。まあ、言うなれば、組織に入り込んだ敵のスパイが組織の一員に擬態して邪魔するようなものですね」
「!」
この時彼女は腹に鉄槌を食らったかのようなダメージを受けた。




