カルテ597 牡牛の刑(後編) その48
(あの後は散々だったな……まったく、あの時の仕返しというわけではないが、今度はこっちが毒唾を吐いているのも皮肉なものだが……)
馬鹿過ぎる記憶を反芻していたホーネルは、内心ほくそ笑んだ。
(しかしこの醜い姿となった俺に戦いを止めて、ここで暮らさないか、だと……!? 非現実的な提案だと先ほどは一蹴したが、意外と悪い話ではなんいんじゃないのか? もうあてもないさすらいの旅はうんざりだし、こいつのお目付け役とやらを通じて皇帝陛下にとりなしてもらうことも可能かもしれん。それに、悔しいことだが、この牛野郎との会話は何だかんだ言って結構楽しい気もした。もう人との話し方まで忘れかけていたが、俺もコミュニケーションに飢えていたんだな……うーむ)
揺れる思いに決心がぐらつきそうになるも、今までの想像を絶する過酷な体験でねじれ曲がった性根と、長年築き上げてきたプライドが邪魔をし、素直になることを許さなかった。
(こいつの言う通り、別にエリザスのことを愛していたわけではないが、面子を潰された俺としては、もう後戻りが出来なくなってしまった……これが運命ってやつなのかもしれんが)
そして破滅に向かって一直線に突き進むのが定めだとしたら、その道中で元凶となったこの男を道連れにしてやりたいという蛇のような執念も、鉄鎖のごとくがんじがらめに心を縛っていた。
(ずっとこの時だけを心待ちにして生きて来たんだ……仕方ない……ひょっとしたら別の未来もあったのかもしれんが……)
運命神に問いただしたくなる気持ちを封印し、ホーネルは迷いを振り切って戦いに気持ちを戻した。その時である。
「ケルガー・ラステット、ホーネル・マイロターグ! 二人ともそこにいるのか!?」
北風に乗って、かすかに女性の叫び声が届く。二匹の魔獣はどちらも慄然とし、共に崖を仰いだ。だが、人影は未だ見えず、落日に紅葉したかのように赤く照らされる木々のざわめく姿が目に映るばかりであった。
だが、それでもミノタウロスの方が反応は早かった。彼は口をラッパのごとく開いて咆哮した。
「ヒベルナ! ここだ! 母乳が出たぞ!」




