カルテ588 牡牛の刑(後編) その39
「「「!」」」
まるで雷に打たれたかのようにケルベロスは全身に衝撃を受けていた。沈黙に包まれた荒野にポツポツという水滴に似た小さな音だけが響いていた。ケルガーはお構いなしに続ける。
「なんだかんだ言って、あんたは魔獣化しても人間としての知能や意識はちゃんとあるし、今は俺に対する復讐心でだいぶ目が曇っているけど、そこまで悪いやつとは思えないんだよな。まあ、確かにエリザスをNTRしちゃったことはすまんかったけど、でも別にあんたとエリザスは愛し合っていたわけじゃないだろ?だから、また昔みたいにうまくやれると思うんだよ。このまま魔獣の姿で一人寂しく長い人生を過ごすのは、けっこうきついぜ?」
「「「……」」」
仇敵からの思いもよらぬ提案に、ケルベロスはあたかも再び石化したかのように身じろぎ一つせずに固まっていたが、それもほんのつかの間、まるで無理矢理水浴びさせられた直後の犬のように、全身をブルブルッと激しく震わせると、何かを吹っ切ったかのように三つの首筋をピンと立てた。
「馬鹿を言うな! 誰がそんな甘言なんぞ聞くものか! 惑わされんぞ、ケルガー!」
「ガーッハッハッハッ、何をほざくのかと思ったら、負けを認めるや否や即懐柔にかかるとは、腐ってもかつて帝都ヘパロシアの夜を席巻した名うての竿師様だな! 作戦としては案外悪くは無いが、自分はその手には乗らんぞ。人としての喜びなぞ、とうの昔に失くしてしまったわ! 今となっては貴様の心の臓を八つ裂きにした時に聞けるであろう断末魔の旋律だけが歓喜の歌よ!」
「……生きてるうちにセッ〇スしたかった」
思い思いにぶちまける三本首の声を、心なしかちょっと悲し気な表情で聞いていたケルガーだったが、凍った地面も溶けそうなほどの熱いため息を吐いた。
「そうかいそうかい、わかってくれねぇか。別に苦し紛れの口車でも何でもなくて、単なる本心だったんだけどな。心の底まで魔獣と化したあんたにゃ届かねえか。ところで何故さっきから俺が、対戦相手のパイセンから目をそらして明後日の方向をガン見してると思っているんだ?」
一旦口を閉じたミノタウロスの瞳は、確かにさっきから相手のホーネルを何一つ見てはいなかった。




