カルテ585 牡牛の刑(後編) その36
「ハッハッハッ」
ヒベルナは荒く息を吐きながら、先導する白狼のリーダーの後を追って杉の立ち並ぶ林の中を疾駆していた。ここ北の地では永久凍土のため、樹木は深く根を張ることが出来ずそれ故どうしても低木が多く、まばらになる。よって林の中はそれほど鬱蒼としておらず、低い木々の梢から差し込む淡い日差しのおかげで狼を見失わずについていくことが出来た。
(ちょっと暑いな……)
呼気はたちどころに氷結し、皮膚や睫毛を白く染める。だがそれを寒さと感じないほど彼女の内なる体温は上昇し、熱い血流が全身を駆け巡って四肢の末端までもが火照っていた。
(さっきから胸騒ぎがする……まさかとは思うが、何も問題事が起こってないといいが……)
一抹の不安が胸中につむじ風を巻き遅し、不穏な未来予想図をばらまいていた。探すべき相手、その過去、そしてその目的……。
(ホーネル・マイロターグ……司法機関を買収した罪に問われて魔獣創造施設送りとなり、ケルベロスに改造された元貴族の男性……ひょっとして奴がこんな辺境の地に彷徨いこんだのは、事件の発端となったケルガーの命を狙うためか? だとしたら今頃……)
そこまで脳内に思考が結像しかけた時、出し抜けに、まさにそのミノタウロスの雄叫びが遠くから響き渡り、樹氷の間を駆け抜けた。
「クソッ、嫌な予感が当たったか!?」
「ウォーン!」
ヒベルナは両下肢に力を込め、脚力をトップギアにまで上げる。彼女と同時に前を行く白狼も何かを悟ったのか足を速め、声のした方向へと突き進んでいった……白亜の崖へと。
(((フム……)))
ホーネルは三つの眉間全てにしわを寄せ、まるでサンプルを注意深く観察する熱心な研究者のごとく、地面に転がっている大岩を注視する。岩は落下の衝撃のせいかところどころひび割れてボロボロになり、表面が剥がれかけていた。その下から覗いている茶色いものは、どうやら何かの動物の毛皮のようにケルベロスには見えた。
(((……?)))
彼は三つの首を平行に傾げる。謎は深まるばかりだった。




