カルテ584 牡牛の刑(後編) その35
気炎を吐く彼の口はドラゴンのごとしで、その大きな両の瞳は希望を捨ててはおらず、魔犬の視線をはっしと真正面から受け止めていた。そのことがホーネルは何よりも気にくわなかった。三つの首は再び口を割る。
「畜生、なんだよその目は……この期に及んでまだ勝てる気でいるのかよ、虫けらが!」
「フフン、まあ、こいつには今まで何度も煮え湯を飲まされてきたしな。何かとっておきの秘策でもあるのか、ケルガーさんよ」
「……寒い」
ほぼ100%勝利を確信しながらも、散々屈辱を味わってきたため猜疑心の塊と化したケルベロスは、軽くさぐりを入れつつも慎重にミノタウロスを観察する。ホーネルは口ではいろいろ言ってはいるものの、決してケルガーを侮ってはいなかった。
(さすが名うてのナンパ師だけあって、以前からこの男の頭の切れは抜群で、時々突拍子もないアイデアを思いつくことがあったな……口惜しいが、その点は認めざるを得ない。しかし実際どんな手を隠し持っているというのだ? 護符でも手元にあるのか? だとしたらとっくの昔に使っていそうなものだが……まてよ、そういえば……)
どうやっているのか自分自身でもわからないが、三つの脳みそを連結させ相手の作戦のベールを剥ごうと推察しているうちに、ホーネルは先ほど何か気になる単語をケルガーが口走っていたことを思い出した。
(あれは一体何だった? 確かやつが何か攻撃に失敗した直後ではなかったか? あの時は単なるバカの負け惜しみだと思って気にも留めなかったが……思い出せ……思い出せ……)
ケルベロスの六つのまなこは今や皿のように見開かれ、記憶の箱を開くきっかけとなる物を求めて周囲をくまなく調べる。眼前の敵と雄牛の他には荒涼とした地面が広がっているだけであったが、そのうちようやくとある物体に魔獣の瞳のピントが合った。
「「「岩……?」」」
それは、先の戦闘でミノタウロスが投擲したもののケルベロスに当てそこね、大地に激突した平たい岩だった。これをケルガーはこう呼んでいた……『伏線』と。




