カルテ583 牡牛の刑(後編) その34
「ケッ、何も出来やしないくせに俺を怒らせるのだけは得意だな、雑魚牛が」
「フッ、だが万が一ということもあり得るので、悪いが油断は一切してやらんぞ、元部下よ。このまま地面に飛び出したミミズみたいにじわじわと貴様が弱っていくのを待ち、虫の息となったところを遠距離攻撃でとどめを刺させてもらうとしよう。いくらこちらが有利でも接近戦は何が起こるか未知数なのでな。卑怯だなんだと言われようが、確実に勝利を我が手におさめることこそが戦いの本質よ!」
「疲れたしもうおうちに帰りたい……ダメ?」
言いたいだけ言い散らかすと、ケルベロスは三つのあぎとをガシッと閉ざし黙りこくった。そして寒風に吹かれるまましわぶき一つだにせず、四肢を踏ん張り憎き仇敵を凝視し続けた。
(まずい……これはかなりまずいぞ……このままだと奴の言う通り体力負けする……)
窮地に陥ったミノタウロスはただならぬ感覚の異常に耐えながら、ツルハシを杖代わりにして、巨体が倒れ込むのを何とか防いだ。今や視点は定まらず、めまいと吐気と頭痛が次々と寄せては返す波のように我が身を襲う。
「モォ……」
背後の雄牛はただただ不安そうにウロウロするばかりで何の助けにもならなかった。それでもケルガーは何とか細心の注意を払って、その守護するべき存在が敵の攻撃にさらされないようにしていた。そう、まさにこの毛むくじゃらの生き物こそが、彼の一縷の望みの綱であったから。
(安心しろよモーモーちゃんよ、たとえ俺があいつの軍門に降って死んでも……ってそこまではさすがにごめんだが、なんか他人事とは思えなくなってきたし、たとえ死の淵に立ったとしても、可愛いお前のことだけは守り抜くからよ……絶対に!)
その熱い思いが手負いの戦士の気力を振り絞らせ、かつてない強敵に立ち向かわせる原動力となり、一時的にでも身体の神経症状を抑え込んでいた。彼は大きく息を吸い込むと、無言の敵に向かって大喝一声を発した。
「腐れ童貞犬め、これ以上の勝手は許さんぞ、このケルガー・ラステットの名に懸けて!」




