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カルテ58 符学院の女神竜像 その12

 イノセントチルドレンによって本多医師に思いがけない生命の危機が訪れていたちょうどその時、そんなことは露知らぬセレネースの指示の下、診察室での治療は佳境を迎えていた。


「ふがふが……(意外と、それほど痛くなくなってきたわね……)」


 疼痛の軽減によってやや余裕の出てきたエリザスは、静かに蛇を進行させていった。彼女は知らないことだったが、もとから食道静脈瘤においては嚥下時痛は殆どなく、また、キシロカインが効果を発揮してきたためもあり、痛みが和らいできたのだった。


「どうです、でこぼこしたものや、発赤したところが見えますか?」


「ふが……(ええ……)」


 エリザスは呻き声を上げながらも、サインの輪っかを左手の指先で形作った。


 蛇の視点では、薄暗い食道の奥の方に、まるで球を連ねたように盛り上がった青白い部位が認められ、所々が赤く、血が滲んでいる箇所も見られた。


「それが食道静脈瘤の、連珠状の静脈の拡張で、発赤部分はred color signと呼ばれ、それぞれの程度によって重症度が決定されます。そのまま、蛇の頭を出血部位まで押し進めてください」


「ふが……(は、はい……)」


 苦手極まる血を目前にして、屁っ放り腰になりかけたへたれ女教師だったが、現在点滴中の抗不安薬の効果のおかげか、それ程動悸や焦燥感を覚えなかったため、気を取り直して隘路の行進を再開した。


「ふがふが……(着いたわよ……)」


 狭いトンネルを潜り抜け、なんとかゴールに辿り着いた蛇ことメデューサは、片手に点滴をしているにもかかわらず、思わず両腕を使って大きな丸を作ってしまった。


「了解しました。しかしあまり動かすと針が外れてしまいますから、それ以上動かさないでください。では、いよいよあれをやってください」


 無慈悲な鬼教官はエリザスの腕をきつく掴んで元に戻すと、冷たく言い放った。


「……」


 エリザスも、浮かれ顏を引っ込めて表情を引き締めると、頷きのみを返答に替えた。いよいよ正念場だ。体内の蛇は口を閉じると、まるでリスのように頬を大きく膨らませた。食道の出血部位が徐々に圧迫され、みるみるうちに流血が止まっていく。いわゆるバルーン圧迫法と呼ばれる内視鏡的止血術をアレンジした方法で、本来なら、先端に風船が装着してあるS-Bチューブを使用し、風船を膨らませて止血するのであるが、現在医師が石になったおかげで使用できないため、蛇の頭で代用したのである。


「ふがふが(す、凄い……)」


 興奮のあまり、エリザスは再び両手を輪っかにしようとして、冷血なナースに肘をつねられた。


「まったく……しかし、どうやら上手くいったようですね。とりあえずそのままの状態をしばらく続けてください。人間でしたら止血にだいぶ時間がかかるはずですが、魔獣のあなたなら、数十分もあればひとまず落ち着くはずです」


「ふがふが(ありがとう……)」


「しかし問題はこれからです。バルーン圧迫法はあくまで緊急時の一時しのぎであり、この後内視鏡的硬化療法あるいは内視鏡的結紮術を行わねば、真に安心とは言えません。ちなみに硬化療法は、血管周囲や血管内に硬化剤を注入する方法で、結紮術は静脈瘤を小さな輪ゴムのようなOリングと呼ばれるもので直接縛って止血するという方法です。こればっかりは蛇で行うわけにもいきませんしね……」


「……」


 少しばかり楽になったエリザスは、看護師の言葉を受けて沈思黙考する。結局は、完全に食道静脈瘤破裂を治療するには、医師を蘇生させるしか術はない、ということだ。そして白亜の建物を訪れることが出来るのは生涯に一度のみで、二度目はない。自分は目的を果たす前に、こんなところで死ぬわけにはいかない。ならば、多少の危険を冒してでも、石化を解除せねばならない! 意を決した彼女は、心の内面を写すと言われる双眸に力を込め、セレネースを見つめた。


「……良いのですね?」


 それだけで彼女に想いは伝わった様子で、ベッドに臥床したままのメデューサにそう問いかけた。


「……!」


 エリザスは力強く首を縦に振った。


「わかりました。では今から一時間後に蛇を引き抜き、本多先生を元に戻してください。その後すぐに魔竜とやらを再び石化し、治療に戻りましょう」


「ふがふが(多分それがベストね……)」


 メデューサはそう呟くと、一安心したのか、魔眼を閉じて安寧に身を委ねた。しかし彼女たちはわかっていなかった、女神竜ことエレンタールの真の恐ろしさに……。

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