カルテ545 記憶の宮殿と琵琶法師(前編) その8
「こんにちはー、っていうかこんばんはでしたね、おっといきなり失礼! ちなみに僕の名前は本多っていいますが、あなたは符学院の学生さんですかね? 勉強出来そうな顔してますねー」
不愛想極まる赤髪の受付け嬢に案内された診察室で、噂に名高いモジャモジャ頭の白衣姿の中年男が、腰かけたままクルッと椅子ごと正面に向き直った。彼こそが様々な伝説にその名を謳われるホンダ医師その人だろうとオダインは推察した。本多のやや垂れ目気味の漆黒の瞳は柔和そのもので、よく晴れた夜空を連想させた。
(何故だろう、初めて会う人なのに、落ち着く……)
さっきまで自殺のことばかり考えていたオダインの心は、不思議なことに彼を前にしてわずかだがほぐれていた。突如背後の空間に出現した建物の中に、ついフラフラと誘われるように入っていった時は、どうせ死ぬ他ない身だから何が起こってももうどうにでもなれというやけっぱちな気持ちも幾分あったのだが。おそらく様々な助からぬはずの命を救ってきたというこの聖なる場所の言い伝えが、哀れな魂に幾何かの希望を与えたためかもしれない。
「どうされましたか? よく聞こえませんでしたか? お名前はー?」
何も答えず考えに耽っていたオダインの耳に本多の声が届き、慌てて姿勢を正した。
「はい、オダインといいます。すいません。符学生ですが、火の魔法の封呪中に顔に火傷してしまって……後、左手もですけど」
彼は単刀直入に、ここに呼ばれた原因であろう自分の症状について切り出し、それぞれの部位を医師に見せた。もし伝説通り奇跡を起こせるのならば起こしてみろと言わんばかりに。
「おやおや、よく冷やしてきましたか~?」
「いえ、近くに水場が無かったもので……」
そういえば受傷後特に何の処置もしてこなかったためか、左頬と左手がヒリヒリ傷んでいることに、今更ながら彼は気づいた。
「それはいけませんね~。火傷の治療は一に冷やして二に冷やし、三四がなくて五にステロイドといいますからね~、もっとも僕の習った大学で言っていただけですけど……」
「ステロイド?」
聞きなれぬ異世界の単語に戸惑うも、医師の話しぶりに興味がわき、オダインは身を乗り出していた。




