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カルテ529 エターナル・エンペラー(後編) その98

 その日は朝から快晴で、メジコンの街はいつも通り道行く人々でごった返していた。所々に立つインヴェガ帝国の衛兵たちも、もはや風景に溶け込んで、街の一部と化していた。それほどあの電撃的な襲撃の日から歳月は流れていた。街一番の美人と言われたファボワール家のご令嬢のイルトラも、今では婿をとって、忙しく家庭を切り盛りしていた。商人の夫は仕事で忙しく、家を不在にしがちだったのだ。


「まったく少しは雨でも降ってくれないと、庭が埃っぽくなっていけないねぇ……ん?」


 ようやく日が暮れた直後、三階の自室から外を見下ろしていた彼女は、庭の一角にある別宅の前に黒いローブを着た人影が立っているのに気がついた。あそこは数十年前、忌まわしい記憶が残る場所で、彼女が近づくことは滅多になかった。


「チッ、まったく、浮浪者でも軒先を借りに忍び込んだのかねぇ、面倒くさい」


 オークのような仏頂面で彼女は大きく舌打ちすると、執事を呼びつけ不審者を追い出してくるよう命じた。だが、待てど暮らせど執事が帰ってくることは無く、日の落ちた庭の様子も判然としない。しびれを切らせた彼女は腕に覚えのあるメイドを二人従えると、太った身体を揺すって自ら階下へ降りて、別宅へと向かった。


 昔暗くなってからも毎日のように鍋を抱えて運んだ小径は目を閉じてだって歩くことが出来る。やや風が出て来た花壇の角を曲がって玄関に辿り着くと、ドアの前に黒い影は先ほど同様案山子のように突っ立たままだった。執事の姿はどこにも見えない。


「あんた、一体何者だい!? 勝手に人の庭先に入ってくるんじゃないよ! 衛視を呼ばれたくなかったらとっとと出ていきな!」


 酒樽のような身体から迸る野太い声は、昔日の可憐な面影はかけらもない。黒ローブは何かがツボに入ったのか、肩をすくめてクックッと笑った。


「おい、何がおかしいってんだい!? 失礼だね、あんた!」


「いや、すまん。しばらく会わないうちに随分変わり果てたと思ってな、イルトラ」


「な、なんで私の名前を知っているんだよ!? 本当に誰だよあんた!?」


 面食らったイルトラは手にしたランプを高く上げ、男の顔を照らし出そうとする。しかし奇妙なことに男は黒い仮面を着けており、彼女の努力は徒労に終わった。


「まだわからないのか? ここで別れた日のことはとうの昔に忘れ去ったか? それがしはこの家の元住人だ」


 墓石の間を吹き抜ける風のような隠々滅々とした声が仮面の下から響き、聞くものの心を冷たく握りしめる。その声には怒りと絶望が滲んでいた。

 

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