カルテ508 エターナル・エンペラー(後編) その75
「もし万が一敵が攻めてきたら未婚の女性なんて真っ先に狙われるし、身を固めて愛する旦那様と一緒にいるのが一番ってわけ。わかるでしょ?」
「はぁ……」
本当にそんな状況になったとしたら未婚だろうが既婚だろうが関係なく襲われるだろうし、そもそも彼女の場合は守ってくれる家族が健在じゃないかと突っ込みそうになったが、うっかりそんなことを言おうものなら百倍になって返されそうだったので、ラミアンは生返事を一つするに止めた。労力は適切に使わなければ生きていけない。
(しかし侵略戦争に巻き込まれた時は、故郷の村やアクテ村が非常に心配だな。まぁ、多分彼女が父親から聞いた話を盛っているだけで、大丈夫だろうけど……)
「あら、これって何かしら? 随分と汚いけれど、捨てちゃってもいいの?」
「えっ!?」
つい物思いにふけってぼんやりしていたラミアンは、イルトラがヒョイっと床から拾い上げた物を見るなり我に返った。それは彼女の言う通り、年代を経た薄汚れた皮袋だったが、慌てたラミアンは椅子から飛び降りると彼女の手からひったくるようにそれを奪い取った、
「キャッ!一体急にどうしたのよ、ラミアン!? そんなに乱暴にしなくってもいいじゃない!」
「ご、ごめん……でもそれは、僕の大切な物なんだ」
ラミアンは慎重にそれをテーブルの上に置くと、安心したように再び椅子に戻った。
「ひょっとして、例の隠れ里でもらったの?」
「ああ、そうだよ。旅立つ日の朝にお世話になった人から手渡されたんだ。本当に困った時に開けろってね。まあ、おそらく一生開くことはないかもしれないけど、お守り代わりに持っているのさ。さ、食べよう食べよう」
ちょっと話し過ぎてしまったかという後悔がちらりと彼の脳裏をかすめたが、別に知られて困ることでもないし、この程度は問題ないだろうと思い直しながら、再びスプーンを運ぶ作業に邁進した。
「……ふーん」
イルトラは更に何か聞きたそうに見えたが、ラミアンがそれ以上話す気がなさそうなのを確信すると、ようやく諦めて食事に戻った。
こうして一日一日と時は過ぎ去っていき、ラミアンとイルトラの仲は全く進展することなくダラダラと現状維持のまま継続していったが、ある時遂に恐れていたことが現実となった。
ガウトニル山脈を超え、インヴェガ帝国が侵略戦争を開始したのである。




