カルテ405 ライドラースの庭で(後編) その75
だが、黒覆面の下からご開帳した素顔も同様に炭で塗り潰したような漆黒だったため、ジオールは息苦しくさえなければ迷わず突っ込みを入れるところだった。最初はよっぽどの剛毛の髭面かとも疑ったがそういうわけではなく、くまなく細く短い毛でびっしりと覆われており、しかも明らかに人間と異なる小型の頭部で、口先は犬ほどではないがやや突き出しており、丸い耳がピョコンと二つ頭上に飛び出していた。要するにどこから見ても獣人だったのである……リックルの推測通り。
(……これは、噂に聞く黒鼬族か!?)
涙と鼻水に溺れかけながらも、ジオールは彼の正体に思い至る。草原地帯や水辺付近に住むと言われる黒鼬族は、数は少ないがしなやかかつ強靭な体躯と格上の相手にも臆せぬ比類なき勇気を持ち、虎猫族同様有能な傭兵としても知られていた。しかも彼らには戦場で如何に苦境に立とうとも、ある特技のために容易に戦況を覆すことが出来たという。それこそが……
(黒鼬の最後っ屁か! ぬかったわ!)
イタチは危機に直面すると発達した肛門腺から非常にきつい臭いの分泌液を発射し敵から身を守るのだが、黒鼬族も同様の機能を有しているのであった。
「おやおや、ようやく全部わかったって顔してるっスね、ジオールの旦那。そうっス、これこそが噂に名高い黒鼬の最後っ屁っスけど、名前が超ダサいんで、俺様はスペシャルアロマって呼んでるっス! これで猛威を振るうリックルの旦那もあっけなくダウンしたって寸法っス。所詮旦那方じゃぁ敵いっこないっスよ」
憎たらしいまでにルンルン気分のノービアが、悔しげに歪むジオールの顔を覗き込みながら語りかける。事前に知っていれば鼻を塞いで対処出来たのに、と大神官は今更ながら後悔した。
「さすがにそろそろ限界っスよね、旦那方。まあ、今日は休日だと思って朝寝朝酒朝風呂朝糞でもしてくつろいでくださいっス!」
喋り続けるノービアの言う通り、床に倒れた者たちの意識が、口惜しいが徐々に徐々に薄れていく。だが最後の足掻きで抵抗しながら、ジオールはこう思考した。
(確かにこの場は俺の負けだが、果たしてこの神殿から逃げ出せるかな? 聞くところによるとこの鼻が腐り落ちそうな悪臭ガスは、その名前通り最終手段なのでそう連発出来ないそうだし、部屋の外にもまだまだ神官たちは取り巻いている。如何に貴様が強いとはいえ、そんな金袋を持って脱出出来るはずがない……)
それを最後にジオールの意識は途切れ、闇に溶けていった。




