カルテ389 ライドラースの庭で(後編) その59
「ふぅ……」
まだ神殿中が寝静まり返った未明、やっとの思いで寝室にたどり着いたジオールは、ドアを開けるな否や、魂まで抜け落ちそうなほどの深いため息をついた。全く、百年にも匹敵するかのような長い、本当に長い一夜だった……彼にとっては。
精も魂も尽き果てたジオールは今すぐベッドに頭からダイブしたい心境だったが、疲れ果てているくせに脳の一部はかつてなく高ぶり高熱を発しているかのようで、すぐには寝付けないだろうと予想されたし、どうせ数時間後にはもう明け方が迫っているので、とりあえず机の前の椅子にどっかりと座り込んだ。
「俺は……助かったのか?」
彼は机の上の青い水差しや天井から垂れ下がっている紐を見るともなしに見つめながら、つい独り言を漏らす。先ほどの診察室の光景が未だにまざまざと網膜に焼き付いており、ちょっと目に力を籠めれば陶器の表面に照射されそうに思われるほどだ。あの時、彼と同じ禿げ頭の医師は、何とも勝手きわまる、しかしその癖巧妙な提案を慈愛神に申し出た。
「自慰神さんがジオングさんに与えていた神のご宣託を聞ける能力を、妹のハーモニカさんにあげちゃえば万事解決バンジージャンプですよ! 何故なら今後仮面ラ〇ダージオウさんが妹さんと一緒に正殿内に籠ってご宣託を受ければ、ぶっちゃけどっちが聞いているかなんて他人にはわかりっこないですからね。これで水曜どうでしょう!?」
「んなっ……!?」
あまりの野砲図な言い分に咄嗟に何か言い返そうとしたジオールだったが、議論における彼の発言権はほぼ停止中だったため、開いた口をそのまま閉じるしかなかった。しかも、『おお、さすが本多先生、それは妙案ですね。早速実行しましょう』とデウス・エクス・マキナたる神がそれを即採用してしまったため、もはや彼は蚊帳の外状態だった。
「まあまあ、そんなに落ち込みなさんな、ジオフロントさん」
深夜だからなのか、それとも元からなのか、もはや何一つ他者の名前を正しく呼ばなくなった本多が、傷心中の神官長の大きな肩にポンと手を置いた。
「これってあなたにとって結構悪くないアイデアだと思いますよー。現在のあなたの神官長としての立場は危なげなく維持できるし、やがてあなたが高齢になった時、権力の座をそっくりそのまま妹さんに譲渡すれば神殿における影響力もある程度維持出来るでしょうよ」
説明する本多はファウスト博士を唆すメフィストフェレスそのものだった。




