カルテ386 ライドラースの庭で(後編) その56
「若輩の身でありながら、差し出がましい真似をして大変申し訳ございません。ですが今一度、そのご決断を再考していただきたいのです!」
あくまでも減り下りながらも、ハーボニーは神に対して堂々と胸を張り、一歩も譲らない構えを見せた。美しいとはお世辞にも言えない容姿であったが、その表情は寝起きにもかかわらず一種独特な輝きを放ち、人の視線を引き付ける底知れぬ何かがあった。
『なりません。神たる者の下す裁断は絶対にして侵すべからざるものです。でなければ神を信仰する人々に対して示しがつきません』
対峙するライドラース神の意志はどこまでも鉄壁の要塞のように揺るぎなく堅固であったので、彼女は唇を噛みしめ一瞬うつむきかけた。しかし心はまだ折れていなかったと見え、息を大きく吸い込むと、ヘアネットを脱ぎ捨て、天界に届けとばかりに最大限に声を張り上げた。
「それは重々承知しております! ですがお聞きください、慈愛神様! ジオール・カデックスが、我が兄が、かような人道に背く行為に手を染めるようになった訳を!」
「「「ええええええっ!?」」」
本多とブレオとノービアのお騒がせ三人衆が絶叫しつつ彼女とジオールを交互に見つめた。
「あ……兄だって!? 全然知らなかった……」
「そりゃーブレオの旦那がハブられてたからっスよ。でもあまり似てないっスねぇ」
「確かに……ま、僕にも妹がいますけど、よく似てないって言われますけどね……」
ハーボニー副神官長、否、ハーボニー・カデックスはそんな外野の失礼な講評などものともせずに、薄い唇を一文字に結び、長い黒髪をなびかせながら診察室の壁の一点を凝視した。その遠くを見つめる眼差しの果てに存在するものに、ブレオははたと気づいた。神殿の本尊たる、ライドラース神の聖像だ!
『……伺いましょう、ハーボニー副神官長。ただし手短にお願いしますよ』
人跡未踏のはるか彼方から聞こえてくるかのような神の声が、抑制された穏やかさをもって彼女の訴えに応えた。
「はっ、ありがとうございます、我が神よ!」
ハーボニーは髪が床につきそうなほど深々とお辞儀をすると、今度は兄ことジオールをひたと見据えた。




