カルテ380 ライドラースの庭で(後編) その50
『ドグマチール神殿の神官長ジオール・カデックスよ、心してお聞きなさい』
「ははっ!」
常ならば聞く者に春の日差しにもした安寧をもたらす慈愛神の声が、超越者の絶大なる威厳に満ちた心胆寒からしめるほどの恐怖をジオールに与え、脳天から爪先まで全身を揺さぶった。
『そなたは我が忠実な信徒として、決してしてはいけない愚行を犯しました。既にその身は人もうらやむ高位に座し、生活になんら困ることもないというのに、骨の髄まで私利私欲に塗れ、呆れ果てたことにありもしない効能をうたい上げてただの水を我が名の元に高額で売りさばき、病に苦しむ信者たちの財産を奪い取り、恥ずかしくないのですか? 誰が見ても神官を束ねるに欠片も値しない人格だとみなすでしょうね。何か申し開きはありますか?』
「おおお……我が神よ、お許しください! 誠に申し訳ございません! ただ……」
診察室の床に這いつくばり、これ以上は出来ないほど平身低頭しながら、ジオールは非を悔いて謝罪した。だがまだその瞳は諦めてはいなかった。
『ただ、何ですか?』
「ただ、これには深いわけがあるのです! 私は何も自分自身のためにだけ、このような卑しい行為をしていたのではありません! 聖なる水の売却によって得た利益は、当神殿の改修や増築工事などの資金として活用しておりました!」
「施設って言ってもあの素敵なプールは自分のためじゃないっスか? ふぁ~」
無遠慮にあくびをしながらノービアがつぶやくも、ジオールはあくまで聞こえないふりをしてやり過した。
「お聞きくださいライドラース神様! 最近当神殿に参拝する新規の信者の数は徐々に減りつつあり、経営的に先行き不透明な状態となっております! 何十人という神官や従者、使用人たちを生活させ、またこの施設の歴史ある伝統を守っていくためにも、費用はいくらあっても足りないほどなのです!」
「ううっ、同じ経営者として泣かせる言葉ですねぇ……僕もクリニックの院長なんぞになってしまってからは医学と全然関係のない苦労ばっかりで毎日計算機片手にヒイヒイ言ってますよ。医療品は値上がりするし厚労省は無理難題ばっか言ってくるし銀行は催促でうるさいし妻とは別れるし……」
何故か神殿と無関係な本多の方が感銘を受け、ティッシュで目元の涙を拭っていた。




