カルテ363 ライドラースの庭で(後編) その33
「すごく沢山お水を飲んでゲーゲー吐いてバタンキューって倒れられたって伺いましたけど、ナトリウム濃度がえらく下がっていて確かにヤバかったですねー」
「なとりうむ……?」
べらべら喋る男の声を聞いていると頭痛が悪化しそうだったが、奇妙な単語がつい気になってジオールはそのまま聞き返した。
「おーっと失礼、説明不足でしたね。さっきあなたの血液を採って成分を調べたんですが、ナトリウムってのはその中の電解質っていうものの一つでして、体液中に溶けており体の機能の調節をします。ナトリウムのおかげで身体の水分量はある程度一定に保たれ調節されているんですが、水を飲み過ぎることで濃度が薄まり、水分を放出しようとしますが追いつかないと身体のいろんなところで機能異常が生じます。ここまではいいですか? 何か質問はありますか?」
「……」
その場の全員が沈黙し、本多が右手に持って別れのハンカチよろしくヒラヒラさせる小さな紙片をただ見つめるのみだった。
「で、この低ナトリウム血症が起こるとどうなるかっていうと、まずは疲労感や身体のむくみ、頭痛などが生じ、悪化すると嘔吐、失禁をするようになり、もっとひどくなると、意識が朦朧となってぶっ倒れてしまいます。先ほどのあなたのようにね……」
本多の茶目っ気一杯の瞳がジオールの瞳を真正面から覗き込み、井戸の底の網膜に否が応でも映り込む。ジオールは瞠目したまま冷や汗を流した。この頓狂な男が妄想ではなく真実を語っていることを、理屈でなく本能で理解してしまったのだ。
(いかん、これしきのことで百戦錬磨の俺が言い負かされるわけにはいかん!)
一旦本多から視線を逸らすとジオールは気を引き締め、脳内を整理し言葉にした。
「怪しげな貴様の言う事なんぞ信用できるか! 何故ただ水を飲んだだけのことで気絶するんだ? 俺をバカにするな!」
「おおっ、非常に良い質問ですね! ばっちこーい!」
本多は指を鳴らして気持ち悪くウインクする。ジオールはつい歯を噛みしめギリギリと音を立てそうになった。
「いいですか、飲み過ぎて行き場を失った水分は人体の至る所に貯留します。どんな重要な臓器でも例外はありません。例えば肺に溜まれば肺水腫、心臓に溜まればうっ血性心不全など様々なヤバい病態を引き起こしますが、ここは本題ではないので端折ります。本多医院だけに!」
誰も何も反応せず、凄まじい虚無感と軽蔑だけが室内を通り過ぎて行った。




