カルテ358 ライドラースの庭で(後編) その28
「いやー、すみませんね、無理言っちゃって。でもどうしてもこの目で見ておきたかったんですよねー、ちょーっと引っ掛かる点がありましてねー」
銀の針のごとき月明かりがやかんのような禿げ頭に反射する。本多は神殿の中庭を進む二人の後ろを、白衣のポケットに両手を突っ込みながらガニ股でゆっくりついて行った。
月光の届かない草木の下は闇の底に沈んでいたが、秋の虫たちの鳴き声が所々から賑やかに響き、夜風に乗ってライドラースの聖なる庭中に吹き渡っていった。足音を忍ばせ出来るだけ静かに進む三人の前に、やがて星辰をキラキラと映しながら揺れる水面が姿を現した。
「おおっ、これが噂の聖なる池ですか! ブラボー!」
突如本多の足が速まり小走りとなって前の二人を軽やかに抜き去った。
「お、おい、待て!」
ブレオが止める間もなく本多は脱兎のごとく駆け続け、足元が暗いにもかかわらず、器用に中庭を突き進んでいく。いつしか彼は四角い人工池スレスレまでたどり着き、身を屈めて周囲のデッキに立っていた。
「危ない危ない危ない! てかそこ入っちゃダメだって!」
息せき切って駆けつけたブレオが後ろから抱きついたため、下を覗き込んでいた本多はむしろバランスを崩して前につんのめりかけた。
「うわわわわ! 押さないで! 押さないで! 絶対押すなよ! ってこれってこっちの世界でも言ったら逆効果的なやつですかぁーっ!?」
「言ってる意味がわからないっスよホンダ先生!」
諸共に池にダイブしかけた二人の服の裾を後ろからノービアが引っ掴み、寸でのところで事なきを得た。
「いい加減にしろよこのクソ医者! 死にたいんかあんたは!」
血液が逆流しそうなほど激昂したブレオは、池のほとりに正座した本多に対し罵声を浴びせかけた。
「そんなにカッカしないでくださいよ~。今年の夏は吸血鬼のお城の近くの海でもう少しで泳げるところだったのに、セレちゃんに阻止されちゃったんですよ~」
「知らんわそんなこと! ったく、俺が抱き着かなかったらここから生きて出られなかったぞ!」
「二人とも池ポチャするの止めたのは結局俺様っスけどね~、ブレオの旦那」
「ええいうるさいわ! 黙れ摘まみ食い野郎!」
「てかせっかく抱き着いてくれるんなら高木さんみたいな美人が良かったんですけどね~、からかうのがお上手な」
「言ってる意味がわからないっスよ、ホンダ先生!」
ノービアの突っ込みが夜闇をつんざき、聖なる庭の清浄な空気を揺らした。




