カルテ357 ライドラースの庭で(後編) その27
「しかしどうして病を癒す聖なる池の水を飲んだら逆にこんなことになったんだ? この水の中じゃ呼吸まで出来るっていうすげえ代物だってのに……」
悩みの末、つい考えが口からポロリと漏れ出てしまう。もちろんそれを聞き逃すほど野暮な本多ではない。
「何それ何それ何それ! ひっじょーに興味ありますね。是非是非くわしーく聞かせてくださいませ!」
「わわわわ、近いって!」
突如禿げ頭が顔面に急接近したため倒れそうになったブレオは、危うくハゲとハゲとのサンドイッチになるところだった。
「おっととと」と本多もジオールの手に自分の手を重ね、転倒を免れた。
「危ないじゃねえか、ハゲ! この……」
切れかかったブレオの怒鳴り声に床のジオールの指先がビクッと反応したかに見えたため、それ以上の台詞は続かず虚空に消えていった。
「やれやれブレオの旦那、後が怖いっスよ?」
「ち、違うんだ! 断じて神官長のことじゃありません!」
「それは置いといて、その『聖なる池の水』って一体何ですか? 治療のために是非とも知りたいんですよ」
「……」
ブレオは本多を睨み付けんばかりに凝視していたが、やがて徐々に憤懣がおさまったのか一呼吸すると、重い口を開いて説明を始めた。
昼間光の園だった中庭は、いまやすっかり様変わりしていた。日中であれば鮮やかな姿が目を喜ばせるユーパン大陸全土から収集された珍花奇草は皆深い眠りについたかのごとく闇に覆われ、稀代の名人が掘った見事な彫刻の数々も輪郭を失い、路傍の石同様ひっそりと佇んでいた。溢れんばかりに空を旅していた羊雲の群れは影も形もなく、満天の星空には刷毛でサッと描いたようなすじ雲がわずかにかかっているだけだった。
「こ……こんなところを誰かに見られでもしたらただじゃすまないぞ……」
禁忌を犯す恐怖に怯え、ブレオは生まれたての仔馬のようにブルブル震えていた。
「いーじゃないっスか! 誰か現れたとしても俺様がニワトリみたいにキュッと首を捻ってやるっスよ」
背後から闇そのもののように漆黒のノービアが、馴れ馴れしくバンバンとブレオの背中を叩く。
「もう、好きにしてくれ……」
黒装束の過激な軽口に対してもブレオは反論する元気もなく、おどおどしながら左右に視線を配っていた。




