カルテ333 ライドラースの庭で(後編) その3
時間は十分ほど前にさかのぼる。黒尽くめの異様な風体の傭兵ことノービアが戦いの場に提案したのは、意外にも神殿の外れにある小さな物置小屋だった。物置と言ってもだいぶ経年劣化しているため、現在はほとんど使用されておらず、がらくた同然の壊れかけた運動器具や食器類などが転がっているだけであり、窓は一つしかなく、中で動き回ったり格闘したりするには一見不向きと思われた。
「ほう、こんな狭い所でいいのか、自称傭兵さんよ。自慢の足を使って俺から逃げ回ることなど出来んぞ」
雲突くような大男のリックルはやや意表を突かれたが、案内してきたノービアをぎょろ目で睨むと、ドスの利いた声で念を押した。
「いやー、そんな、わざわざこっちの心配なんてしなくっても全然いいっスよ、リックルの旦那! ま、俺様ちょーつよつよっスから、これくらいハンデとして旦那にただで差し上げますって!」
対する黒装束は少しのひるむ様子もなく、いけしゃあしゃあと陽気に言い放ったので、リックルのこめかみにピクリと血管が浮き上がった。
「言ったな、この道化者め! 後で吠え面かいても知らんぞ!」
青筋を立てたリックルが胴間声で脅すも、ノービアには毛ほどの効果もなく、鼻先でフフンと笑って返した。
「そんなことよりも旦那、自分のことを心配しといた方がいいっスよ。例えば狭い場所だったから思う存分に暴れられなかったとか負けた後で言い訳がましく愚痴られても、俺様全く同情できないっスからね。場所を変えたいなら今だけチャンスをあげるっスよ」
「ぬかせえええええええ!」
鳴動する活火山のように激昂したリックルは、ちょっとしたレンガほどもある左拳を固めると、試合開始の合図も無しに、唐突に高速のストレートを放った。流星のごとき鉄拳は両手をだらんと下げた無防備なノービアの首元……つまり右鎖骨部に向かって勢いよく迫っていく。これぞリックルの必殺技ともいうべき「鎖骨砕き」であった。
彼は男子たる者強くなければならないという信条を持っており、農作業の合間に砂を詰めた袋を両拳で打つ修練を続け、鋼のごとき固さに鍛え上げていた。喧嘩の挙句、凶器と化した彼の一撃でこの鎖骨部を打ち抜かれ、以後右腕が満足に使えなくなった者は一人や二人ではなかった。




