カルテ331 ライドラースの庭で(後編) その1
フワフワした羊雲が本物の羊よろしく群れを成して通過する青空の下、大勢の群衆が本物の羊の大群のように所狭しとひしめき合っていた。場所はグルファスト王国の首都ドグマチールの聖域とも言われるライドラース神殿の中庭……もっと正確を期せば、中庭にある「聖なる池」と呼ばれる縦横10メートル程度の正方形の白い石造りの人工池付近で、池の周囲も幅5メートル程の石畳で舗装されていた。
人々は石畳からやや離れた位置から遠巻きにそのプール状の池を取り囲み、池の中で行われている「聖なる儀式」を固唾を呑んで見守っていた。ちなみに群衆の最前列には数人のライドラース神官たちが幅を開けて立ち並び、プールへのそれ以上の接近を制していた。
水面下には、下半身に白い下着を着けただけの禿げ頭の中年男が、池の底にどっしりと胡坐をかき、ひたすら瞑目していた。このライドラース神殿の神官長を務めるジオール・カデックスその人である。彼はまるで海底に沈んだ石像のごとく微動だにせず、群衆の視線に曝されているにも関わらず、まるで意に介していないかのようだった。
「すげえ……もう十分以上ああやっておられるぞ。俺は二分ももたないってのに」
「さすが生命をいつくしむ慈愛神ライドラース様の恩寵ね。傷を治す奇跡だけじゃなくて、こんなことも出来るなんて……」
「泳げない僕も、あの水に浸かればお魚みたいになれるのかな、ママ?」
「あの聖なる水、頼めばこっそり売ってくれるって噂だけど、いくらくらい包めばいいのかしら……?」
「こりゃ伝説の白亜の建物も形無しですな。こんな神のごとき真似ができるのは、世界広しと言えども大神官ジオール・カデックス様お一人くらいのものでしょう……ありがたや、ありがたや」
人々の様々なささやき声が聖なる庭中に波紋のように広がり、花壇に生えた秋の草花をそよがせる。皆、「聖なる儀式」に圧倒され、酒に酔ったように神秘の力に陶酔していた。
「もうよろしいですか、信者の皆様方。これでジオール神官長の奇跡の御業についてよくご理解いただけたと思いますので、本日の儀式はここまでとさせていただきます」
群衆の前に立つ、神官衣を着た長髪の背の高い女性が、蛇に似たねっとりとした声で一同に向けて儀式の終了を宣言した。副神官長のハーボニーだ。




