カルテ324 牡牛の刑(前編) その17
「私は……これから自分のやらねばならないことをやろうと思うの」
エリザスは側に落ちていた紐を壊れた鉄仮面にぐるっと巻き付ける作業の手を一旦休め、押し殺したような固い声で答えた。そこには真冬の凍り付いた海にも似た、今迄に感じたことの無い悲壮さが宿っていた。
「……それは、ひょっとしてあれか?」
察しのいいミノタウロスは、やや角ばった顎先をくすんだ空の彼方へとクイッと向けた。先ほど二頭の竜が吸い込まれるように消えた空へ。
「ええ、その通りよ、ケルガー。さっきも言ったけど、理性を失った姉さんたちが、欲望の赴くままに人の道に外れていくのを指をくわえたまま見ていることなんて、私には到底できない」
ようやく紐を結び終えたエリザスは、すっくと立ちあがると、水に飛び込む前のように大きく息を吸い込んだ。
「決めたの。私は絶対に姉さんたち……エレンタール・ローザグッドとエミレース・ローザグッドを探し出し、その蛮行を止めてやる! たとえユーパン大陸の果てまで旅することになり、何十年もかかり、どんな想像を絶する艱難辛苦が待ち構えていようとも!」
澄んだ声を張り上げててらいなく宣言した彼女は、決意を表明するかのように握りしめていた右の拳を開くと、黙って傾聴していたミノタウロスに向けて差し出した。
「お願い、ケルガー、私についてきて! たとえ最強の魔獣の一角のドラゴンといえども、ケルベロスをも一瞬で石像に変える、このメデューサの魔眼の能力さえあれば、多分勝てるだろうとは思うけれど、やっぱりそれだけじゃ心もとないのよ。私は腕力はからっきしだし、生まれてからヘパロシア周辺からそう遠くへ行ったことないし、旅は何が起こるかわからず未知数だわ。少しでも危険度は減らしたい。経験豊富な道連れが是非とも欲しいのよ。あなたは現在はそんな姿だけれど、魔獣にしてはかなり理性が残っているし、私と一緒に魔力のコントロールを学んだら人間の姿にだって戻れるかもしれない。後生だから私を助けて!」
「……」
今度はケルガーの方が押し黙る番だった。
二人の間を冷たい隙間風が吹き抜けていった。




