カルテ322 牡牛の刑(前編) その15
「畜生、運良く鉄兜に救われたか……って何だその姿は!?」
「ハッハッハッ、ケルガーよ、女に守ってもらって恥ずかしくないのか? 去勢牛にでもなったのか……ん?」
「……お前のママンはでーべーそー……グガ?」
一旦唾を吐き尽くした魔獣が、もうもうと立ち込めるガスの向こう側に透けて見えるエリザスの異形に気を取られる。その時、粉雪を乗せたそよ風が煙のベールを無情にも引き剝がし、彼女の計は成った。
「「「グギャアアアアアアアアアアアアーッ!」」」
血を吐く如き悲鳴の三重奏が、北の果ての地を揺るがさんばかりに木霊した。
「おーい、俺はいつまでこうしていればいいんだ? 放置プレイはあまり好みじゃないんだが……」
戦闘の間、エリザスのあまりの剣幕に恐れをなしたケルガーは、唯々諾々と彼女の仰せに従って、亀のような体勢で地面に腹這いになっていた。非力な彼女が凶暴なケルベロスに対抗出来るとは思えず不安が募るばかりだったが、愛するママンを引き合いに出されては大人しく言うことを聞くしか方法はない。ベッドの上で彼女と抱き合いながら眠った時、つい「ママン……」と呟いてしまったのは大失態だったなあ、と大地に伏せながら元色男はいらんことを考えて後悔していた。
身体の上に降り続ける極地特有の乾いた雪がちと冷たいが、気持ちはそれどころではなかった。まだエリザスからは何の合図もなかったし、辺りの耳をつんざくほどの激しい音は、先ほどの魔獣の絶叫を最後にぴたりと止み、今は水を打ったように静まり返っている。何がどうなったのやらさっぱりわからない。
(まるで女性の着替えの間、向こう側を見ていろと言われたときみたいだぜ……それにしてもどうして女ってのはケツの毛含めて全身くまなく舐めるように見た間柄でも、服を脱いだり着たりするのを見られるのを嫌がるのかねえ……謎だわ……)
いささか暇になってきた脳髄が、今や懐かしいかつてのピンク色の思い出にフラフラと彷徨い出したとき、まさにそれに呼応するかのように、「もう顔を上げてもいいわよ、スケベ牛さん」と千の鈴を鳴らしたような美声が頭上から降り注いだ。
「やれやれ、首が痛くなったぜ」
「ごめんなさいね。女の身支度ってのは結構時間がかかるものなのよ」
「まあいいってことさ。慣れてるし」
軽口を叩きながら彼はのそりと身体を起こし、大きく身震いして全身の雪を払った。




