カルテ312 牡牛の刑(前編) その5
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」
満身創痍のミノタウロスは、精魂尽き果てる前に文字通り這う這うの体でなんとか白亜の建物の玄関に滑り込んだ。
「おおう、ミノタウロスさんですか! これはお珍しい!」
白衣を着た禿げ頭の男が、座っていたソファーからバネで弾かれたように腰を上げる。
「いらっしゃいませ。ユーパンからのお客様ですね? では、今から問診票を作成しますので、まず、あなたのお名前、種族、性別、年齢を教えてください」
能天気な男の声を途中で断ち割って赤毛の女性が無機質に質問してきた時、魔獣は既に意識朦朧とし、呟くことも困難であったが、死力を振り絞って、「ケ……ケルガー・ラステット……蜂に二回刺された……い……息が苦しい……た……助け……」とだけはようよう伝えることが出来た。
「おおう、蜂に二回ってことはアナフィラキシーショックですか! そりゃ大変だ!」
「本多先生、すぐに診察をお願いします」
「まかしとけ!」
途端に安穏としていた禿げ頭の目の色が変わり、ミノタウロスの倒れている玄関マット目がけてすっ飛んできた。背後の女性も元から険しかった顔が更に緊張を増したようだった。男はまるで市場の魚でも検分するかのようにしげしげとケルガーの全身を眺め、呼吸の回数を数え、挙句の果てには無遠慮に撫でまわしさえした。
(……おいおい、平気なのか、俺様が?)
ケルガーは異形の自分を少しも恐れない本多と呼ばれた奇妙な男に対し少なからず驚いたが、あまりのしんどさに俎板の鯉状態で、大人しくされるがままになっていた。
「ふむふむ、全身に蕁麻疹が出現し、呼吸器症状を引き起こしていますね。蜂の刺した痕もあるようですし、間違いないでしょう。ちょっとばかし皮膚が特殊で、お顔もOK牧場なんで、かなりわかりにくいですけど……しかし何というか非常に食欲をそそる舌をされてますね、あなた。そういや焼肉なんて久しく行ってなかったなぁ。ずっと独り身だったし……駅前にはコンビニよりも沢山焼肉屋さんが増えたんですけどね……」
「本多先生!」
永久凍土のように冷たいが、その地下に灼熱のマグマを秘めた恐るべき声が 凛として響き渡る。
「わわわわかってますってセレちゃーん、こりゃ急がないと! 忍法穴ひらき! 海老根風林斎!」
本多の背筋がシャキッと伸び、誰が聞いても意味不明な単語を次々と口走った。




