カルテ310 牡牛の刑(前編) その3
「ウォーン!」
舟のように天空に浮かぶ三日月に向かってリーダーが雄叫びを上げる。その憎悪に満ちた衝撃は深夜の凍った世界を揺るがし、敵対する者の臓腑を握りしめ、心胆寒からしめるような凄まじさであった。時を同じくして、配下の白狼たちの目付きが鋭さを増し、雰囲気が一変した。
「ハッ! 噂に名高い魔狼の咆哮とはその程度か!? この前俺を景気よく刺しまくった蜂の羽音の方がよっぽど殺気がこもっていたぞ、送りオオカミちゃんよ。哀れな負け犬の遠吠えにしか聞こえんわ、ガッハッハッ!」
だが、人並み以上に胆力に溢れ、知勇兼ね備えたミノタウロスには毛ほどの効果もなかった様子で、ふてぶてしい笑みを崩さず、両拳を固く握りしめたまま負けじと呵々大笑していた。
「ガウッ!」「ガオンッ!」
痺れを切らした部下の二匹が挟み撃ちの形で左右から同時に襲い掛かるも、計算済みのケルガーは電光石火の早業で両腕をクロスさせながら手のひらを開いて何かを投じた。
「ギャウッ!」「グゲェッ!」
彼が流星のごとく放った二つの小石は狙い過たずに二匹の鼻っ面に激突し、虚空に季節外れの赤い華が咲く。あまりの冷気のせいか、無様に地面に倒れ伏した狼たちの出血痕はたちまちのうちに湯気を発しながら凍り付いた。
「いや~、あまりにも寒いもんで、待っている間、カイロ代わりに暖炉で温めておいた小石を握っていたんだが、案外役に立つもんだな、もっともとっくの昔に冷めちまったけどよ、ハッハッハッ! ほらほら、尻尾巻いて逃げ帰るんなら今のうちだぜ!」
「ググ……」
目論見が見事に的中したため豪快に笑いつつ、片手でしっしっと追い払うような仕草をするケルガーを上目遣いに睨み付けるリーダーだったが、そんな安い挑発には乗らず、まだ無傷な二頭の仲間に鼻先で合図しながら、今度こそ油断なく必殺のタイミングを見計らっていた。
「いいぜ、いつでもかかってきなよ、ワンコちゃん。こちとらこの程度の死線なら何度もかい潜って来たんでな。そう簡単に死んではやらねえよ。早くしないと朝になっちまうぜ」
軽口を叩いて不敵にほくそ笑みながら、白亜の建物に一命を救われた運命の夜のことを、ケルガー・ラステットはふと思い返していた。あの時も、確かこんな月の夜だった。




