カルテ300 眠れる海魔の島(後編) その29
頭上から差し込む日光が海中の大きな泡を黄金色に染める、あたかも南国の果てしない明るさを凝集したかのように。そのガラスよりも儚げな球体に閉じ揉められた二人の戦士は、眼下の化け物が海底を覆いつくす様を耳鳴りが聞こえそうなほどの静けさの中で固唾を吞んで見つめていた。
「イレッサ、頼む、あいつの動きを止めてくれ! 全てが手遅れになる前に! 今こそ作戦決行の時だ!」
血を吐きそうな程喉を振り絞って、ゼローダがイレッサに懇願した。手にした長い銛が震え、今にも大泡に突き刺さりそうだ。
「確かに出し惜しみしている場合じゃなさそうね、マイダーリン。準備は良くって?」
「マイダーリンじゃねえ! だが、何時でもいいぞ! 今速攻で用意するからな!」
こんな時にもおちょくる邪悪な太古の種族に吠えながらも、ゼローダは今まで腰布に挟んであった青く四角いブリキの缶と紐と釘を取り出すと、器用に銛の穂先に缶を括りつけ、更に長い釘を力任せに缶の蓋にブスリと突き刺した。因みに釘は、先ほど彼自身がやぐらの残骸から引き抜いたものだった。これぞ筏の上でイレッサが所望した「何か先の尖った硬いもの」である。
「どうやら万端のようね。ほんじゃ、まず大きく一つ深呼吸して……」
プスっ。
「おっと、おならが一発出ちゃったわ。昨日お芋を食べ過ぎちゃったのよー。しっつれーい」
「死ねクソゴキブリエルフ! この戦いの後で必ず殺す!」
長槍のごとき銛を構えて仁王立ちした筋骨隆々の男が叫ぶと、ちょっと冗談には聞こえない迫力があったが、罪悪感の欠片もない生物にはゴキブリ同様無意味だった。
「あーん、思わず痺れて失禁しちゃいそうなほど情熱的なラブコールねー。ま、この後お互いめでたく命があったらってことでよろしくね! よし、それじゃいくわよー!」
溜まっていたものを出したせいか、すっきりしたイレッサの双眸にようやく炎が宿り、拳にした両手を合わせて、真っすぐ身体の前へと突き出した。その形は、巨大なクジラの頭を彷彿とさせた。
「母なる海から貰ったこの神秘の力を、今こそ海へとお返しするわ。喰らいなさい! オルガラン!」
両拳が勢いよく厚い粘膜へと割って入り、球体がはじけ飛んだ。




