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カルテ292 眠れる海魔の島(後編) その21

「潮目が変わったな……」


 白銀に輝く海水の流れがゆっくりとだが沖の方へと変化していくのを、ゼローダは遠くの山と長年の勘から察知した。


「えっ、それってどういうこと?」


 作戦を一同に説明し終わったばかりのイレッサが、緑のトサカを潮風になびかせながら振り返る。


「おそらく、ゲンボイヤの引き起こした津波によって陸に押し寄せた大量の海水が、また元の場所に戻ろうとしているのだろう」


「となると、海面が低くなって、またやっこさんが禿げ頭を露出するかもしれないってわけね……」


「まあ、有体に言えばそういうことだ」


「フフフ……チャーンス!」


 イレッサの濁りきった双眸が細くなり、鋭く光を放つ。


「そうだな、その時こそが勝負ってわけだ」


 ゼローダもベテランの漁師の顔つきになり、先ほど海魔が初めて姿を現した海原の一点を凝視した。四人を乗せた波間を漂う筏はスルスルと、まさにその場所へと自動的に進んでいく。まるで運命の見えざる手が決戦の舞台へと彼らを導いていくかのように。


「……」


 つい今しがたまでとは打って変わって一同は口を閉ざし、じりじりと肌を焼く灼熱の太陽の落とす影と一体化したかのように押し黙っていた。


「よし、ここからは二人だけで行こう、いいな?」


「もろのちん、じゃなかったもちのろんよ! いよいよ二人だけでランデブーってわけね~。奥さんが目の前にいるっていうのに罪な人ね~」


「……やっぱり一人で行くとするか」


「うそうそうそ、んも~、すぐ本気にするんだから~」


「あなた、気をつけて……絶対戻って来てね」


「ああ、アラベル、行ってくる。すぐ帰って来るからな」


 身をくねらせるイレッサを完全無視して夫婦はしばしの別れの挨拶代わりの抱擁を交わした。


「泣かせるわね……じゃあ、用意はいいかしら?」


「大丈夫だ。では、いくぞ!」


 素っ裸のイレッサと、長い銛を手にしたゼローダは筏の端に立つと、大きく息を吸い込み、勢いよく波に身を投じた。ドボンという盛大な水音が二つほぼ同時に響き、後は何事もなかったかのように白波が筏にぶつかるのみだった。


「お願い、無事で……この子のためにも」


 アラベルは目頭に熱いものを浮かべながら、ふっくらとした自分のお腹をそっと撫でた。

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