カルテ289 眠れる海魔の島(後編) その18
「そうか………我がご先祖様は、最後は誠の勇者だったのだな。哀れ、魔獣となっても何とか被害を最小限に止めようと努力し、僅かに残った人の心を振り絞って、海底に自らを繋ぎとめていたとは……」
揺れる筏の上で、普段は冷静沈着なゼローダが母親の話に心を打たれ、珍しく声を震わせ瞳を大きく見開いて感情をあらわにしていた。
「ほんと、いいお話ね……あたいの母性本能がキュンと疼いちゃったわ……猛々しい戦士の若者って素敵ね〜」
「いや、それは母性本能とは何ら関係ないでしょう!」
生理的な嫌悪感に遂に耐えられなくなったアラベルが、蠢く邪悪な妖精族に突っ込みを入れる。
「あら、ごめんあそばせ〜。でも、何でそんな悲劇的なお話が、怠け者で大喰らいのおデブちゃんのお間抜けな昔話とすり替わっちゃったわけ? いくらなんでも原作レ〇プ過ぎやしない、お婆ちゃん?」
「そりゃー簡単な理由ですよ、イレッサさんとやら」
やっと話し終えて一息入れていたアーゼラが、矍鑠として答えた。
「ゲンボイヤが国を裏切り、インヴェガ帝国の手先となったことを隠そうとしたからですよ。彼の起こした津波が、恐れ多くもジャヌビア国王陛下のお膝元にまで及んだため、フィジオ村の者たちは必死で真実を隠蔽しようとしましたが、全てを騙し通せるわけにもいかず、窮余の一策として、村の厄介者が神罰を受けて怪物化した話をでっち上げ、少しでも悪い印象を和らげようとしたんですわ」
「なるほど、不可抗力とはいえ、村民から反逆者を出したってことが王様の耳に入ったら、一族郎党尿道串刺しの刑になっちゃうかもしれないってわけねー」
「そんな変な刑罰じゃなくて縛り首とかだと思いますよ!」とアラベル。
「そうか……そしてそれを村の者が実しやかに代々語り伝えていくうちに、いつしか本当の物語は時の風雪に晒されて忘れ去られていったということか……」
ゼローダは遠い目をして過去に思いを馳せ、木の幹のように太い首を軽く揺すった。
「だけどゲンボイヤを出した元凶のファリーダック家にだけは細々と真実が伝承されていったんですね……」
白刃のごとく陽光を反射する白浪の上、一同はアラベルの言葉を最後に押し黙り、しばしの静寂が訪れた。
知らず知らずのうちにゼローダの目頭に熱い雫が溜まっていた。長年家の恥だと思っていた先祖の汚名が、わずかだが薄れていくのを感じた喜びの涙だった。




