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カルテ105 閑話休題 その23 白亜の建物 その8

 少年は喉を枯らして叫んだ。


「姉ちゃんが心配だったから、後をつけて来たんだよ! 僕見たんだ、ルセフィさんが大コウモリに変身するのを!」


「ほ、本当ですか?」


 青ざめたバイエッタは周囲の二人と一匹に問いただすも、とっさのことに誰も返答できなかった。座長のテレミンは困惑した脳の片隅で、つくづく劇団員のアドリブ能力を鍛えておくんだったと後悔した。


「そう……何だか怪しいとは思っていましたが、皆さんで無知な私を騙したのですね。


 大コウモリは吸血鬼の変化した姿だと聞いたことはありましたが、私を人気のないところに誘い込んで血を吸おうというのですか?」


「ち、違うわバイエッタ! 誤解よ! お願い、話を聞いて!」


 無意識のうちに素の口調に戻ったルル、もといルセフィが説得を試みる。


「そうです。そんなことをするつもりなら、わざわざここまで手の込んだことはしませんよ」


 赤毛の人狼ダルメート改めダオニールも援護射撃する。


「そもそもこれは、君のお姉さんのフィズリンに頼まれたことなんだよ!」


 テレミンが羊の毛で作ったカツラを脱ぎ捨てながら、口から泡を飛ばす。


「えっ、フィズリン姉さんが!?」


「こいつらの言うことなんか信じちゃダメだ! 僕、助けを呼んでくる!」


 吐き捨てるように言うとアルトは林の中へ飛び込んでいった。


「あっ、待ってください! 夜道は危ないですよ!」


 ダオニールが声をかけたその時、闇の奥から待ち構えていたように、数体の黒い影が少年めがけて矢のように襲いかかった。


「う、うわーっ!」


「ダオニール!」


「おまかせを!」


 牙を剥いた影たちに、疾風の速さで接近した人狼が次々とハンマーのごとき拳を振るうと、たちまちのうちに、濡れた地面に三頭の山犬の撲殺死体が転がった。


「ひ、ひええええええ……」


 腰を抜かして地べたに座りこむアルトの元に、いつの間にか人型に戻って黒いマントをまとったルセフィが駆け寄り、「怪我はない?」と抱き抱えた。


「よ、寄るな、邪悪な吸血鬼め!」


「あら、そんな元気があるのなら、大丈夫ね」


 ルセフィは美の女神アイリーアのように優しく微笑むと、少年の額に軽く口づけをした。


「なななななな何するんだよ! 吸血鬼になっちゃうじゃないか!」


 すっかり顔面紅潮したアルトは、両手をバタバタさせて拘束から逃れ出た。


「これくらいでなるものですか。深呼吸でもして少し落ち着きなさい」


「ど、どうしてアルトを救ってくれたの? 化け物のあなたたちが……」


 信じられないものを見る目つきで問いただすバイエッタに、「そりゃ、フィズリンの大切なご家族だからよ」とルセフィは即答した。


「じゃあ本当に、本当に姉さんの頼みで……」


「だからさっきからそう言ってるじゃないですか! どうすれば信用してもらえるかなー、うー、ハックション!」


 テレミンが肩をすくめながら盛大にくしゃみをする。そこへ村の方角から、「皆さーん、上手くいきましたかー?」と聞き慣れた声と足音が近づいてきた。


「フィズリン姉さん!」


「心配で近くで様子を伺っていたんですけど、なんか悲鳴が聞こえてきたので、つい様子を見に来ちゃいましたよー」


 温かそうな外出着を着込んだ三姉弟の長女が木陰から姿を現した。


「あなた、よく山犬に襲われなかったわね……」


「そりゃ、これを持ってたからですよ。あいつら近寄ってこれませんって」


 彼女は手にした木の枝で編んだ籠を掲げて見せた。中にはパンやチーズや飲み物の入った瓶が詰まっている。


「えっ、ただの籠じゃないの?」


「あっ、わかりました! それは最近薬草採りで私がお借りしていた物ですね 」


 人狼がひらめいた様子で、ワニのように大きな口を開ける。


「そうか。ダオニールの臭いがどっぷりと染み付いていたので、山犬どもは警戒していたってわけね」


 ルセフィも目を丸くして、可愛らしい眉を上げた。


「ということは姉さん、この人たちが怪物だって知ってたの?」


 黙って傾聴していたバイエッタが恐る恐る会話に加わる。


「ええ、そうよ。ごめんねバイエッタ、今まで秘密にしていて。でも、体調の悪いあなたをいたずらに驚かせたくなかったの」


 フィズリンは素直に妹に謝った。


「……話を、聞かせてください、ルセフィさん」


「えっ!? も、もちろんいいわよ。ちょっと長くて、少しばかり恥ずかしいけどね」


 どんな風の吹き回しか、急にバイエッタの方から頼み込んできたため、ルセフィは軽くパニック状態になるも、意を決して、あの忘れたくても忘れられない吹雪の山荘で起こった出来事を物語り始めた。

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