第1章 7 ホームレス
デート日和とはこういう日のことをいうのだろう。雲一つない青空に加え決して熱いわけでも寒いわけでもないこの心地よい温度。そして、背中の肩甲骨から首へとすり抜けるやわらかな風。鼻から大きく空気を吸い込み深呼吸すると体の中の毒素が全て放出されるような気がした。だが、その毒も数秒たてば恋毒と呼ばれるものが新たに僕の身体に発生される。そしてその毒は潜伏期間というものが全くなく僕の身体中にあっという間に転移する。じっとしているのに気持ちの高ぶりが止まらない。朝起きて何度鏡のまえで服装をチェックしたことか。やはり、おしゃれな服装というのは日頃から着こなす必要があると初めて思った。待ち合わせ場所に着いて止まってある車のフロントガラスの前に立ち今一度自分を見てみるとそこには顔の引きつった自分、そして、その顔には相まみれるスマートとは言えない服装。思った通り昔からの悪い癖だ。気合が空回りした。今日は待ちに待った莉乃ちゃんとのデートだ。ほんの一週間前は誰がこんなことを想像しただろうか。周りから見ればただの初々しいデートなのかも知れない。しかし、内情を知っているこっちからするとこれはまさに超絶怒涛の出来事だ。この状況で平静を保てる鉄のハートの持ち主がいるならそいつはぜひ、どこかの医療大学や工科大学で人体実験を受けた方がいいだろう。日本の軍事力の発展に著しい功績を残す論文を学会で発表することが出来るだろう。それぐらい今日という日は特別な日だ。そういえば、バイトにはいつも制服を着てその上にコートを羽織って出勤していたから彼女の私服は見たことがない。だけど以前、番組の企画(大島莉乃がアイドルの経歴だったとき)で「抜き打ちアイドルの私服チェック」と呼ばれるものが放送されているのを見たことがある。確かその時の彼女の服装はチェック柄のミニスカートに白いブラウスを着ていた。結構、露出の多かった服装だった気がする。関西の大物司会者の人が髪につけている赤いカチューシャについて聞くと「えへへ、これは実は宝物で本当は好きな人の前でしかつけないことにしているんです。今日は特別につけてきました。」構わず司会者が「僕の為?」と聞くと莉乃ちゃんが「絶対に違います。」といって会場を笑わせたのを覚えている。
赤いカチューシャ。君は今日つけてくるのだろうか。
「遅れてごめんなさい。」
肩越しに柔らかなハーモニーを奏でた音色が聞こえてきた。振り向くと彼女が赤らめな表情をして立っていた。茶色い今時の帽子をかぶり全身ピンクの花柄のワンピースで女性ならではの身体のラインが強調されており足元がシースルーになって透けていたが決していやらしさを感じさせず、むしろそのチラリズムが清純な彼女とはギャップとなりそこにいるのは人間の形をした天使そのものだった。だけど、彼女は髪を全部下ろしており赤いカチューシャはつけてなかった。まぁまぁまぁ、初めはそんなもんでしょう。と僕は自分に言い聞かせた。彼女はあまり着ない服であろうか、僕がずっと見ているとときおり顔を下に向けたり、えへへと笑いながら髪を触ったりと終始落ち着かない様子だった。
「おはよう、全然待ってないよ。」
若干、声が上ずった。
「本当ですか。良かったです。ずっと、何着ていくか迷っていたんです。」
「そうなんだ。すごく似合っているよ。」
スマートに言えた・・・・と思う。彼女はいやーそんな事ないですよーと言いながら。僕の隣に腰を下ろした。こうして、横に並ぶと彼女はとても小柄だ。この小さな身体のどこにあんな体力があったんだろうとアイドル時代の彼女を一瞬思い出した。
「昨日は休めた?」
「そうですねー。ずっとパソコンいじりながらゴロゴロしてました。休めたのかな。」
彼女は首をかしげて笑った。そういえば彼女の趣味はネットサーフィンだった。
「逢澤さんは何していたんですか?」
「うーん、ゲームしたり漫画読んだり。まぁ、全部ゴロゴロに含まるか。」
彼女はそうですねと笑った。あー良かった。出だしは好調だ。今の笑いで彼女の緊張も少し解れたような気がした。
「じゃぁ、喫茶店にでも行こうか。」
「はい!!」
彼女の抑揚の聞いた声はまるで、音楽を聴いているようだ。目を閉じて聞いてみるとそのメロディーは僕の身体の奥底に眠っている何かを刺激してくれてとても心地が良かった。もしかしたら、僕は夢を観ているのかもしれない。目を開けるとそこには、アイドルの動画に夢中になっていて、いつか自分にも人生のビッグチャンスが来ると何も努力しないで信じて待っているダメ人間がいる。現実と理想の間の崖に落ちている自分がいてそこから這い上がるための一本のロープを握ろうとせず一気に飛び上れる。そんなあるはずのないジェット機を探している自分がいた。毎日が同じことの繰り返し、生きる目的もなければ理由もない。ただ、毎日を漠然と生きている。そんな自分がいた。だけど、目を開けるとそこにはやっぱり、大きな瞳をした君が立っている。夢なんかじゃない。そう思えるこの喜びはきっとこの先誰にもわからないだろう。
「早く行きましょう。」
「そうだね。」
僕らは、一人の男として一人の女としての一定の距離を保ちながら並んで歩いた。その後、僕たちは喫茶店に生き、バイトの愚痴や仲間のゴシップ話、店長の愚痴話に盛り上がった。喫茶店を出ると僕らは映画館に向かった。最初は恋愛物を観ようと思っていたけれど、最初のデートでそれは攻めすぎると思ったので学園物のコメディ映画を見た。彼女はたくさん笑ってくれた。それが、とても俺にはうれしかった。
「面白かったです。」
通路に出てすぐ彼女が言ってきた。
「面白かったねー。」
「あそこの場面が面白かったです。えっとー・・・・・」
彼女はたくさん面白かった場面を楽しそうに俺に話してきた。俺も楽しそうにその話を聞いた。外に出てふと空を見上げるとさっきまでの晴れ渡る空が嘘のようにどんよりとした雲が広がっていた。だけど、そんな時でも俺の気持は晴れ渡っている。
「次はどこに行くんですか?」
彼女が楽しみそうに俺を見つめてくる。あー、なんて可愛いんだ。
「お腹すいたでしょ?ごはん食べに行こうか。」
「はい!!」
俺たちは近くに合った。イタリアンレストランに入った。インテリなドアを開けレストランに入ると中から香ばしい香りと共にジャズミュージックが耳に入ってきた。
「良い雰囲気。」
彼女が呟くと同時に店内が一瞬ざわつく。なんだろう。様子を探ってみると。店内の男性陣が皆彼女を見ている。あーそういう事か。
「なんか、みんなこっちを見ていませんか?」
小声で彼女が聞いてくる。
「莉乃ちゃんのことが可愛いと思っているんじゃない。」
「もう、まじめに聞いているんです!」
ぶすっと膨れた。真面目に答えたんだけど・・・テーブルに着くと。颯爽と店員がやってきた。
「ご注文はお決まりですか?」
「莉乃ちゃん何する?」
「うーん、オレンジジュースで。」
そうだった。彼女は大のオレンジジュース好きだったんだ。嫌いな飲み物は確かコーヒーだった気がした。なんでも、気分が悪くなるらしい。
「じゃあ、アイスコーヒーとオレンジジュースをお願いします。」
「かしこまりました。」
店員はお辞儀をするときびすを返して足早でキッチンへと歩いて行った。
「私コーヒー苦手なんですよね。なんか気分悪くなっちゃうんです。損な体質ですよね。集中力や夜通しで作業するときは飲みたいんですけどねぇ」
「それだったら俺も昼寝すると夜眠れない体質で何回も昼寝して後悔したことあるよ。」
「あっそれは損な体質ですね。私は昼寝しても夜眠れるタイプなんで昼も思いっきり寝ますよ。」
「いいなぁ、それ本当にうらやましい。」
「でも。それなのに、身長はそんなに伸びなかったんですよね。すごく残念です。160センチは欲しかったんですけど。逢澤さんは背が高くてすっごい羨ましいです。」
「うーん、まぁ男は身長が結構重要視されるけど女の子はどっちかっていうと莉乃ちゃんぐらいが一番ちょうどいいと思うよ。」
「でも、女の子はモデルさんみたいな体型に憧れますよ。」
「でも、そんなモデルみたいなスタイルだったら男は近づきにくいから俺は損だと思うんだよね。」
「そうなんですかねぇ。」
「絶対そうだよ。それに莉乃ちゃんはすごく脚が綺麗だから、身長が高くなくてもスタイルはすごいいいと思うけど。」
「あっ、やらしー。逢澤さんそんなところ見てたんですか。」
そういって彼女はわざとらしく手で足を隠した。そんな姿も愛嬌があってとてもいとおしく思えた。なんだか、はたから見ると完全にカップルのような感じだ。周囲の席に座っている客もちらちらとこちらをみている。あー彼女はやっぱり人も引き付ける魅力を持っているんだと改めて思った。
「失礼します。オレンジジュースとアイスコーヒーになります。」
ジャケットを着た長身、長髪の黒縁メガネの店員が飲み物を持ってきた。ん?この男どこかで見たようなこの身だしなみどこかで見たような、この声どこか聞いたような・・・・・・・あっ!!お前!!
「失礼します。ごゆっくりどうぞ。」
店員が立ち去ろうとするところを俺は呼び止めようとしたが彼女が目の前にいるのでそれは控えた。
「どうしたんですか?飲み物来ましたよ。飲みましょう。」
「あー、そうだね。」
届いたアイスコーヒーに砂糖とガムシロップを入れる間も俺は他のテーブルで注文をとっているさっきの男を見ていた。間違いない、チャールズだ。なぜ、ここに?俺の偵察でもしに来たのか?
「おいしいですね。」
「あーそうだね。」
莉乃ちゃんがふいに聞いてきたので声が少し上ずった。
「ちょっとトイレに行ってくるね。」
俺はすかさず席を立ってトイレに向かった。それを察したのかチャールズも後からトイレに入ってきた。
「なるほど、自分の好きなアイドルの経歴を変換させて自分の身近に来るようにしたんですね。」
チャールズがニヤニヤしながら聞いてきた。
「どう使うかは俺の自由だから別にいいですよね。」
「もちろんです。変換内容に満足してればずっとこのままでいいわけですから。不満足の時はまた、満足するような変換をすればいいだけですから。」
「あなたはいつもどこかで俺のこと監視しているんですか?」
「それはもちろんです。NASAでの実験ですので。でも、安心してください。私たちからあなたに何かをすることはありませんのでご自由に過ごしてください。」
チャールズは胸ポケットから取り出したくしで前髪を整えながら答えた。
「はぁ。」
なんだか、釈然しない気持ちだ。
「あなたはいつまでここにいるんですか?」
「今日までですよ、あなたがここに来るとわかっていましたから。」
「昨日、今日面接していきなり仕事任されるなんてたいしたもんですね。」
いやみっぽく俺がいうとチャールズは大爆笑した。
「何を言ってるんですか。逢澤さん。私も経歴を変えたんですよ。ここレストランバー「La deimon」に一年前から働いている経歴に。」
「あー、そういうことか。だから、作業もそつなくこなせるんですね。」
「そういうことです。それじゃ、そろそろ彼女がしびれをきらしていると思うんで、私はここで失礼します。悔いの内容にスイッチを使って下さい。」
チャールズはそう言うとトイレを出て行った。
「・・・悔いの内容にか。」
鏡に映る自分を見ながら呟いた。なんだか、それは俺の中に潜むもう一人の俺が呟いているように感じた。テーブルに戻ると莉乃ちゃんがメニュー表を見ていた。
「何食べるの?」
「うーん、明太子パスタにします。逢澤さんは何にします?」
「俺はー、ピザにしようかな。莉乃ちゃんも食べなよ。」
「わーい。」
こんな感じが一生続けばどんなに幸せだろうか。改めて僕は彼女が好きなんだなと実感した。結局その日はそこでずっと話し込んでいた。店を出てから少し歩くと少し開けた広場に人だかりができていた。なんだろうと思い二人で群集をかき分け中を見てみると若い若い二人組が歌を歌っていた。
「わー。ストリートミュージシャンだ。かっこいい。」
「かっこいいね。」
そうか、この二人は夢を追って頑張って今を生きているのか。なんだか、卑怯なことをしている自分がみじめに思えた。
「あそこのベンチで少し聞いていきません?」
ちょうど、彼女の右店お10メートル先に二人用のインテリアなベンチがあった。
「そうだね。」
「私、あそこの自販機で飲み物買ってきますから、先に座っておいてください。」
そう言うと彼女は走って行った。
ベンチに腰を下ろして彼女を待っていることにした。
「あの子、お前さんの彼女かい?」
横から不意に声を掛けられた。反射的に振り向くとそこには50代半ばで160センチ程の男が猫背で立っていた。上半身裸で下はぼてぼてのジーパンを穿いており、髪はぼさぼさで見るからに洗ってはいなかった。男の後ろには段ボールで作られた、大人一人がなんとか入れるであろう大きさの家が作られていた。中には食器や洋服が散らばっていた。ホームレスで間違いない。こういう光景は良く見かけたことはあるが話しかけられたのは初めてだ。俺は関わるといけないと思い無視をした。
「あれ、聞こえなかったのかな。おーい。」
あー、うっとうしい。早くどっかいけ。
「おーい、聞こえているんだろ?兄ちゃん。」
「・・・・・」
「おーい。」
「・・・・・」
「おーい。」
「・・・・・」
「経歴変えても一緒だと思うよ。」
「!!!!!!」
・・・・・・・・・・こいつ、今、何て言った?
「聞こえなかったかい。大島莉乃はアイドルになるべきなんだよ。」
「!!!!!!」
頭に鈍器で殴られたような衝撃が走った。何!?こいつ今、大島莉乃って言った。確かに言った。どういう事だ。経歴変える事や大島莉乃がアイドルになることはこの世界で俺しか知らないはず。なのになぜ?
男は近寄ってきて耳元で囁いた。
「本当はお前さんが一番そう思っているんじゃないのか?」
全身が身震いした。こいつは一体?
「あなたは誰ですか?」
消え入るような声で質問した。
「ようやく答えてくれたか。俺は見ての通りどっからどう見てもホームレスだ。」
男は「ほら」と両手を広げてその場を一周回って見せた。
「いや、それはわかっています。なぜ、あなたが経歴変換スイッチのことを知っているのですか?」
「それは、言えない約束なんですよ。」
言えない?どういう事だ?
「ずいぶん、驚いてますなぁ。心配しないで下さい。その事実を知っているのは世界ではチャールズと私とあんちゃん・・・それとそれを作った方々だけですよ。」
なおさら疑問だ。なぜ、作り手じゃないあんたが知っているんだ
「じゃあ、質問を変えます。あなたはなんの目的でここにいるんですか?」
「その質問には答えましょう。あなたに会うためです。」
「俺に会うため?」
「その通り!簡単に言うとあなたに助言をするために私はここにいる。」
男はよろよろし手にしている缶ビールを一口飲んで答えた。
「助言?」
「そう。」
「俺に?」
「そう。」
男はそう言うとおぼつかない足取りで段ボール部屋へと歩いていった。
「ちょっと、待って下さい!意味がわからない!」
「お前さんにこれを挙げるから考えなさい。」
男はそう言うと部屋から持ってきた古ぼけた本を俺に差し出した。
「なんですかこれは?」
「読めばわかるよ。」
本を手にするとほこりかぶっており一気に手が埃まみれになった。
「心配せんでもわしは逃げも隠れもしないからいつでもここにいるからまた来なさい。」
段ボール部屋から腕だけだしてバイバイと手を振るしぐさをしたあと男は段ボールの扉を閉めた。
「なんなんだ。一体、わけわかんねぇ。」
本を持ちながら俺は最後まで釈然としなかった。
俺は思い出した。そういえばチャールズが俺を世界中からランダムで選んだって言っていたな。もしかしたら、俺はいたるところで監視されているのか。そんな疑問が膨れ上がっていた。
「遅くなって、ごめんなさい。」
莉乃ちゃんがジュースを二つ持ってきて走ってきた。幸せな光景なのに俺の頭の中はホームレス男が言っていた“助言”という単語が反芻していた。
「どうしたんですか?」
そんな俺の様子察してか莉乃ちゃんが不思議そうに聞いてきた。
「あー、いや別に。何でもないよ。それよりほら!映画見に行こうよ!」
気持ちを切り替えよう。
「はい!」
莉乃ちゃんはたっぷりの笑顔を俺に向けてくれた。その後、俺たちは映画を見に行き、カフェでバイトの愚痴を聞き合ったりと楽しい時間を過ごした。だけど、俺の頭の中からホームレスとの会話が離れなかった。
その夜、俺は莉乃ちゃんとのメールのやりとりを終えたあとホームレス男から渡された本を手に取った。表紙は何も書いて無く元は真っ白で合ったのだろう汚れがところどころについていて茶色に変色している。それもそうだあのホームレス邸に置かれていたんだからこれでも綺麗な方だろう。表紙をめくると1ページ目にと「HISTORY CHANGE SWICH PAST OWNER」と書かれていた。直訳で「歴史変換スイッチ 過去の所有者」
過去の所有者?どういうことだ。この装置は人類で俺が初めて使っているんじゃないのか?チャールズは俺にそういう風に言ったはず。俺は困惑したまま次のページを捲った。そこにびっしりといろんな外国語の名前が2ページに渡って記されていた。
「なんなんだこれは・・・」
そこには横文字で書かれた外人の名前がずらりと書かれていた。その中に俺の目を止めるものがあった。
「・・・・・・・・・チャールズ・フランク・ボールデン。」
この男は・・・・・でもなんで?
良く見てみると日本人もそこには記載されていた。
「・・・・・内田洋平・・・・堀田淳・・・・佐々木由紀・・・・・っ!・・・・え?・・・。」
俺は最後の名前を見て目を疑った。
「・・・・・大島・・・・・莉乃・・・・」
間隔があいてすいません。
毎日は無理でも、なんとか隔日で投稿できるように頑張ります。