第1章 4 12月21日
ふと時計に目をやると夜の10時を回っていた。身体がズーンと重くなるのがわかり急に気が襲ってくる。なんだか莉乃ちゃんと握手をしたのが遠い昔のように感じてきた。思い起こせば今日はいろんな事が起こり過ぎだ。変な夢から始まり変な男に出会い変な機械を渡され挙句の果てには世界の運命を託されるような頼みごとをされた。ベッドに潜りながら俺はどんな経歴にするべきなのかを改めて考えた。経歴を変える事によって俺の人生は大きく変わるだろう。その重圧が俺をさらに困惑させていた。だが、俺の最終学歴が高卒な訳だからこの就職氷河期といわれるこの御時勢、学歴が物を言う時代だ。そう考えると有名な大学を卒業した経歴にして良い企業に就職するのが妥当だろう。そう思う反面、今の大卒の友達の話を聞くとブラック企業だのなんだので相当苦労しているらしい。ワイドショーでは社内いじめや超過勤務時間で自殺する人も少なくないらしいこういう事を考えると必ずしも大卒が良いとは考えにくい。ベッドであおむけになって考えているとそこには天井に張られた大島莉乃がやさしく微笑みかけていた。握手会の様子が頭の中で鮮明に蘇ってきた。俺との握手が終わった後、一瞬だけ素の表情の彼女を見ることが出来た。その時の表情を俺ははっきりと覚えている。死んだ魚のような目だった。疲労困憊の様子が見て取れた。あー、この瞬間のこの表情は世界で俺しか知らない。そういう風に思ったのをすごく覚えている。
もしかしたら、経歴どうこうよりも彼女と一緒になれる方が俺は幸せなのかもしれない。それだったら、こんな可愛い子が彼女だったらどんな仕事も頑張れるだろう。彼女と一緒にいれる経歴かぁ。例えば、莉乃ちゃんのマネージャーになるようにするとか?それだったら一番近い距離で毎日、梨乃ちゃんを見ることができる。いや待て。タレントのマネージャーの仕事は物凄く大変だとテレビで聞いたことがある。なにより、マネージャーという仕事関係だったら莉乃ちゃんと恋愛関係にまで発展することができないではないか。莉乃ちゃんと恋愛関係まで発展出来るそもそもの関係性は一体なんなのだろうか?うーん、中学や高校の同級生?仮にそう経歴を変えても今やトップアイドルになった彼女に近づくことはまずできないだろう。幼馴染?それでも多忙な彼女に近づき恋愛関係に発展するのはそうとう難しいだろう。うーん。やはり、自分の経歴を変えたところで意中の女性と恋愛関係になるなんて無理かもしれない。ましてや相手がトップアイドルならなおさらだ。
「他人の経歴を変えるのも自分の人生を変える一つの手ですよ。」
チャールズの言葉が俺の頭の中で反芻していた。
他人の経歴を変えてなんか意味でもあるのか。自分へのメリットが何もないだろ。他人の経歴を変えるねぇ・・・・他人ねぇ・・・・
「っ!!」
その瞬間、頭の中で鋭い閃光が走った。一気に脳内に血流が流れ込んだ。
「そういう事か。そういう事を言いたかったのかチャールズは!!そうなんだよ!無理に自分の経歴を変える必要はない。この方法なら憧れの大島莉乃と出会えるし大島莉乃と付き合える可能性がむちゃくちゃ上がる!!」
俺はベッドの上で天井に向かって叫んだ。そうだよ、自分が相手の分野に入る必要はないのか。彼女をこっちの分野に引き込めばこめばいいんだ。それなら、こっちが苦労しなくて済む。こんな楽なことはない。俺の感情が一気に高揚してきた。俺の生きてきた26年間最大の閃きが起きた瞬間だった。ダーウィンにでもなった気持ちで俺は早速行動に移した。
確か彼女は2010年3月10日に行われた虹色クローバー48追加オーディションに応募し合格したはず。俺の考えは虹色クローバー48としての大島莉乃の存在をなくすこと。要は2010年3月10日から経歴を変換すれば虹色クローバー48としての大島莉乃は存在しなくなる。俺は決してアイドルだから彼女のことが好きになった訳ではない。純粋に女性として彼女を好きになった。
彼女が俺の近くの存在になるように経歴を変換すれば彼女と付き合える可能性は十分にありえる。俺はさっそく経歴変換スイッチを取り出した。電源を入れるとお決まりのごとく
「welcome to NAtional Ameronautics and Space Administration」と表示された。まず名前のところに「大島莉乃」と入力した。年代のところは大島莉乃が虹色クローバー48に応募した2010年から現在の2017年と入力した。日付は3月10日から12月21日と入力し時間は00:00から24:00と入力した。すると、その間の経歴が下の画面に表示された
変換対象者名前 “大島莉乃“
年代 “2010~2017”
日付 “0310~1221”
時間 “00:00~24:00”
変換対象者情報及び上記項目に伴う経歴
「情報」“大島 莉乃“
“生年月日” 1995年7月10日 (22歳)
“出生地” 日本 千葉県市川市
“血液型” A型
“職業” アイドル 女優
“活動期間” 2010年3月10日~
「経歴」“2010~2017”
“2010年3月10日に行われた虹色クローバー48オープニングメンバーオーディションに応募し合格。オーディションでは自身の憧れでもある斉藤美由紀の「百合色の空」を披露する。同年4月8日に虹色クローバー48劇場にてグランドオープンの初公演を踏んだ。8か月後の12月25日に映画「クリスマスの夜明け」で女優デビューを果たす。なお、この映画の役作りの為に、肩まで伸ばしていた髪を短くした。翌年2月22日には「恋い焦がれ」でテレビドラマ初出演を果たす。同年12月31日に「紅白歌合戦」に虹色クローバー48初出場。その後も公演を重ねメディア露出と共に彼女の知名度が全国区になる。2008年の7thシングル「so sweet」で初センターを務め、20012年には月9のヒロインを演じ女優としても地位を確立する。2013年にはグループ初、レコード大賞を受賞した。2015年8月12日にファーストソロシングル「藍色の空」を発売。そして現在にいたる”2016年9月20日にファースト写真集を発売すると3度の重版のすえ記録的な大ヒットとなった。Etc・・・
食い入るようにすべてを読み通すと大きく深呼吸をした。
「さすがにすごいな。ここまで詳しく表示されるとは。髪を短くした話なんてすごい裏話だな。」
まるで、ストーカーが窓から彼女の部屋をこっそり見る、そんな気分に思えてきた。読み終えてちょっとだけ最悪感が胸に走った。改めてネットや雑誌でのインタビューなどで調べてみると確かにこんな感じの経歴だ。間違いはないだろう。
「さてと、次はこっちだな。」
俺は「御希望の経歴」のところに入力を始めた。
「御希望の入力」
“2010年3月10日に行われた虹色クローバー48オープニングメンバーオーディションに応募するが不合格。その後、2011年4月1日に地元の進学校である木更津高等学校に入学する。高校卒業後、国立の千葉大学に入学するも翌年2012年10月24日に退学。その後、地元でアルバイトを続けるが2016年11月20日に心機一転のため熊本県八代市に引っ越してくる。そして、2017年今現在カラオケ「フラワーマイク」にてアルバイトを行う”
少し簡単すぎるかな。心機一転の為というところがあまりにも無理矢理すぎる。だが、これがうまくいけば大島莉乃はこのとおりの経歴になって俺の目の前に現れる・・・はず。しかし、俺は入力し終えた画面を見ながらまだ、実行ボタンを押せずにいた。ここまでの勢いはどこえやら、ここにきてびびってしまったらしい。それに、計り知れない後ろめたさというのが湧いてきた。本当にいいのか?こんなことして?俺は何度も己に自問した。チャールズの言ってることは本当に正しいのか?ルールでは6回使用できると記載されているが実は1度使用してしまうと元に戻れなくなるのでは?もしそうなるとアイドルとしての大島莉乃の存在は完全にこの世から無くなってしまう。俺が彼女の人生の壊したことになる。彼女はその事実は一生知ることはないが、俺はその事実を一生十字架として背負って生きていくことになる。そんな、人生俺は耐えられるのか?俺はしばらく思案にふけっていたがようやく決心がついた。今までの人生だってゴミみたいな人生だったじゃないか。別に今の人生に思い入れなんて特にない。だったら・・・
俺は送信ボタンにそっと手を伸ばした。そして・・・・押した。
すると、画面に「送信中」と表示された。その後、「承認中」と表示され返信が届いた。
“承認可 黄ボタンを押してください。”
ついにこの時が来たか。なんか、長かったな。ここまで来るのに。俺は心を決めて黄ボタンを押した。すると、画面に60秒からカウントダウンが始まった。俺はだんだん気持ちが高ぶってきた。残り60秒後には彼女の経歴が変わり俺の前に現れるはず。
10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・0
“変換が完了されました。”
画面にはそれしか出てこなかった。
「・・・・・・・・・・ん?なんだ?・・・もう終わったのか?」
あまりにも演出が質素だったため俺は拍子抜けした。次世界を担うスーパー装置がこんな感じでいいのか?見たところ俺の周りや俺自身はなにも変わってない。あっそうか、俺自身は何も変わらないか。かといって本当に大島莉乃の経歴は変わったのか?俺は確かめるべくスマホで大島莉乃と検索してみた。
「おおしま・・・り・・の・と」
俺はスマホをもったまま5秒?いや10秒?いやいや30秒は硬直した。頭の中で今起きてる現実を整理できるのにそれぐらい時間がかかった。空前絶後の驚きとはこういうことをいうのか。スマホの画面に映っていたのは群馬県の大島理央のバドミントン大会の結果や鹿児島で慈善活動に従事じている大島理沙のブログ、東京大学の教授の大島勇夫などなど大島つながりのどこの誰かもわからない奴らのページが多数ヒットした。何度、検索しなおしてもいろんなページを開いてもアイドル大島莉乃のページはおろか名前も出てこなかった。
「・・・・・・本物だ」
もしかしたら俺はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。本当に、本当に彼女の経歴を変えてしまった。6畳の狭い部屋の中でまるでここが世界の中心といわんばかりの出来事にまたしても思考が停止してしまった。その時・・・・・プルルルルっ
「っ!」
持っていたスマホが突然鳴り響いた。完全に不意をつかれた俺は体を変な方向にのけぞりながら飛び跳ねてしまった。
「登録してない番号からだ」
もしかしてと思い電話に出た。
「さっそくお使いになられましたか。しかもいきなり他人の経歴を変えるなんて」
この声はチャールズだ。
「あなたがそれも一つの手だと言いましたから。」
「はっはっはっ、ええ言いましたよ。でも、最初からそれを行うとはさすがの私も予想外でした。まぁ、どういう理由でそうしたかわかりませんが。わたしは随時、あなたの行動をチェックさせていただきます。それより、初めて経歴変換スイッチを使用した気持ちはどうですか?」
「思ったより、しんどかった。いろいろ考えてしまう。」
「まぁ、そんな深く考える必要はないですよ。気軽に使ってください。」
チャールズは俺の気持ちとはうらはらにあっけらかんとしていた。
まぁ、明日になればおのずと事態は変わっているはずだ。
俺は限りない期待と若干の不安を胸に俺はそのまま眠りについた。