第1章 2 突然・・・
「平日はやっぱり暇だな。あ-、暇だな-。何もすることねぇよ。」
また始まった。この男のこういうところはどうにかならないのだろうか。
「もう、うるさいわね!こっちまでテンション下がるじゃない。」
「だって、もう二時間も立ちっぱなしなんだぜ。」
「それでお金もらえるんだからいいでしょ。」
ここ、熊本県八代市の本町に位置するカラオケ「フラワーマイク」は町のど真ん中に位置するにも関わらず、客の入りは相変わらずのひどさだった。
「開店してもう三時間立つんだぜ。それなのに客数ゼロ!こんなことってホントにありえんのか?」
「現にありえているじゃない。そんなことより、部屋掃除終わったの?」
「やる必要ある?」
「毎日やるの!」
「へいへい。」
そういうと、翔は裏の掃除用具入れまでしぶしぶ歩いて行った。
「ふー、それにしても、本当に暇かも。」
一人になると改めて店内の静けさを実感し人に言っておきながら自分も呟いてしまった。ここまで客の出入りが悪いのは私も初めてだ。有紗は両腕を上げ大きく深呼吸をした。するとリズム感のある音を出しながらドアがオープンした。そこには、ピンクのワンピース姿にショートカットの可愛らしい現役大学生と言わんばかりの女の子が立っていた。
「あっ!彩ちゃん。久しぶり。」
軽く会釈をして彼女はこれまた可愛らしい足取りカウンターの方に向かってきた。
「翔なら今向こうで掃部屋除しているわよ。」
彩ちゃんとは翔の彼女であり、たまにうちの店に遊びに来てくれる。
「そうですか、それじゃキッズルームで少し待っといていいですか。」
「いいわよ。」
キッズルームはフロントの真後ろに位置しており利用者は子連れ限定なので平日はほとんど利用されていない。それを利用して私たちバイトどもはそこを溜まり場にしている。彩ちゃんは翔と同じ熊本大学で教育学部を専攻している。将来は小学校の先生になるのが夢だそうだ。容姿はまぁ、綺麗だ。少なくとも私より。翔はこんな彼女を持って幸せだろうなぁ。窓から部屋の中を覗き込むと彩ちゃんはソファーに寝そべって携帯をいじっていた。その姿もすごく絵になっている。羨ましい。あー羨ましい。すると、また、ドアがオープンした。次は普通の客だ。
「いらっしゃいませ~・本日お一人様でよろしいですか。」
「はい。」
「コースはどうされますか?」
「フリータイムでお願いします。」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
「・・・・・・」
「お待たせしました。お部屋の方あちらの方になりますので。ごゆっくりどうぞ~」
そういうとお客さんはそそくさと部屋の方に歩いて行った。
「昼からフリータイム?めずらしい人だな。」
「うぃー、やっと掃除終わったぜ。」
中年のような声を出しながら翔がフロントに向かってきた。
「お疲れー、彩ちゃんがキッズルームで待っているわよ。」
「ちょっ!なんでもっと早く言わねぇんだよ!」
そう言うと翔は急いで部屋の中へと入っていた。相変わらずの溺愛ぶりにやれやれと思ってしまう。だけど、やっぱり彩ちゃんには少し嫉妬してしまう自分がいる。就職留年して早一年。恋愛をやめ就活に専念していたがどうにも思うようにいかない。今年で23歳、10年前の自分はこんな10年後なんて思っていなかった。現実はやっぱり厳しいものだ。
いっそ翔みたいに何も考えずに生きた方が楽なのかもしれない。すると
「プルル、プルル」
フロントの電話が鳴った。さっきのお客さんだ
「はい、フロントです。」
「あのー、レモンチューハイ一ついいですか?」
「はい、かしこまりました。」
そう言って電話を切った。「さっきのフリーライムといい昼からチューハイを飲むなんてなかなかだな。」そう思いながらキッチンの方へ足を運んだ。レモンチューハイを作り部屋へ入ろうとすると部屋の中は真っ暗でテレビの照明だけで光を確保していた。彼女は紺色のトップスの上に赤い大きなニットカーディガン一枚を羽織っており下はショートパンツを穿いていた。そこから伸びる長い脚に私は少し嫉妬した。露出度の高い服装に反して髪型は今時の清潔さが際立つ前下がりのボブだった。
いわゆるギャップという奴だ。男受けはかなりいいだろう。そんなことを思いながら私はマニュアル通りの動作をした。レモンチューハイをテーブルの上に置き部屋を出ようとするとふいに、彼女に左腕を引っ張られた。瞬間的に体制を崩した私は「うわ!」と男勝りの声を発しながら椅子の上に大股開きで変な大勢で倒れた。
「あのっ!なんなんですか!?」
彼女は私の混乱など気にもかけずうつむいたまましゃべらない。
「・・・・・」
「あのー、どうされましたか?」
彼女は顔を上げながら答えた。
「追われているの。」
消え入るような声だった。
「へ?」
思わずすっとんきょうな声が出た。
「・・誰に追われているのですか。」
「ストーカーに・・・」
「は?」
今度は声が上ずった。
「えーと、だったら警察署にいけば・・・もしくは電話すれば・・・」
私はさらに困惑しながら彼女に問いかけた。彼女はまたうつむいてしゃべろうとしない。後にも先にもこんな客はこれが最後だろうと思った。困った私は意を決して本格的に相談に乗る体制にスタンバイした。
「あのー、ここにいる事はばれてないんですか?」
「・・・それは大丈夫です。うまく撒きましたから。」
うまく撒きました?ここはドラマの撮影現場か?日常の生活で強盗犯人さながらのセリフを聞くとは思わなかった。もしかして、この人は女優を目指して役作りの為にこんな事をしているとか。そんな疑問も膨らんできた。その時、フロントの電話が鳴った。フロントには誰も居ないので私が行くしかなかった。
「あのー、また、来ますので。」
そう言って私は大急ぎでフロントへダッシュした。ぎりぎりのとこで電話に出た。最悪なことに店長からだった。どうせ、昨日の合コンの成果でもしゃべりたいんだろう。
「いやー昨日は、かわいい子ばかりだったよ。すごい盛り上がっちゃてさ。」
はい、始まりました。お約束20分コースです。途中で切ろうもんなら後でネチネチ言われるからそれはもっと面倒くさいことになるから必然的に電話を切ることは皆無だ。
「あのー、今待たせている客がいるので切っていいですか?」
「そうそう、みんな大学生だったんだよ。」
聞いてないよ。つーか、私と同世代と合コンしてるのかよこのエロ店長。いつもの様にふつふつと気持ちが煮えたぎってくるがそこはグッとこらえるしかなかった。その後、30分ていど話すと一方的に電話を切られた。
「たくっ!なんなのよもう!」
そう言って子機電話を叩きつけるように戻した。ふと、カウンターに目をやると伝票をお金が置いてあった。
「107号室・・1200円」
さっきの女の部屋だった。急いで部屋に行くと案の定女はいなかった。きっと私が電話をしている間に店をでたのだろう。それにしてもいつの間に。
「なんなのよ今日はもう!わけわかんない!!」
思いっきり一人ごとが出る。
「うぃーす、それじゃそろそろ俺あがるは。」
翔がキッズルームを出てきて気だるそうに言った。
「はいはい、お疲れ様でした。ギャラ泥棒さん。」
「掃除はしたっつーの」
はいはいと思いつつ翔の後ろに目をやると彩ちゃんがすいませんという顔でこちらを見ていた。なんていい子なのだろう。わたしもこんなおしとやかに生まれたかったわ。
「じゃあ、先に上がるは。」
そう言うと翔はタイムカードを押して裏玄関へ彩ちゃんと向かっていった。その背中に向かって私は呟いた。
「・・・・・リア充ってやつか。」