顔
顔はその人間の肉体そのものです。逆に言えば、人間は人間を顔で区別するのが普通でしょう。筋肉の付き具合だったり、中指と人差し指のどちらが長いかという材料としての区別ならば、顔でなくともできます。しかし、それはいわば有限個の脳内に記憶された特徴データベースから区別しているのであって、知り合うであろう人間の個数と比較すると十分少ない者であり、必然的に重複があり得るのです。ですから、私たちは顔以外のパーツから人間を区別することができません。対して、顔の区別はデータベースではありません。顔はそのまま顔として理解されます。いや、正確にはデータベースは存在しているのです。ですが、それは例えば、顔のない人間の首から下が提示されたとき、その部分の筋肉、身長といったデータベースからの線形結合として顔を仮定する際に用いられるものです。恐らく、人間が知りたいという欲望によって無意識化に行う作業なのだと思います。一方で、顔だけが提示された場合、私たちはそれほど首から下に関心を寄せません。なぜならば、顔で十分、人間の区別が可能だからです。
さて、長くなってしまいましたが、つまり私が申しあげたかったのは、肉体のうち、顔には魔力が備わっているというわけです。そして、この魔力に翻弄された経験を語ろうと思ったのでございます。大学の講義がたまたま休講になったので、ベンチに座って読書をしようと思った時のことです。普段でしたら、図書館の中で本を読むのが日課でしたが、その日は風が心地よかったうえ、携えていた本は少し難しめの哲学書だったのです。私は、人から賢くみられたいという欲望が人一倍強い人間ですので、通りかかった人間がこちらをちらっと見て、羨望とあきらめの感情とともにぷいと顔をそらす光景を想像して、自尊心が強くくすぐられた結果、多少の不便に欲望が勝りました。ですが、いざ本を開くと、近くでアカペラの練習をしているサークルの声が耳につきます。音量の問題ではありません。こういった音声は電車の中の雑音と違って、意味を持って耳に迫ってくるものですから、集中力を痛く損ねます。かといって、このままやっぱりと図書館に行くのも癪です。というのも周りの人からしてみれば、難しい本を読んでみようとページを開いたもののやはり内容が難しくて飽きてしまった子供っぽい人間とみられてしまうからです。実際がどうということは関係ありません。周りがどう思うかが私にとって重要なのです。無論、そんなことを気にする人間などどこにもいるはずがないのですが、私の中の無駄に膨らんだプライドが自意識にまでも侵略してしまった結果なのでございましょう。本当に損な性格です。結局はプライドに負けてしまい、適当な時間がたったら何か用事があるような顔をして図書館に向かうことにしました。その間は、ほんの字面だけをたどる空虚な時間になってしまうのですが、それも仕方のないことでした。
そうはいってもやはり、集中力はとぎれとぎれなものですから、ふと近くの木の横に座っている女性の姿が目に入りました。手にはちょうど半分程度まで読まれた文庫本が広げられており、その場から動くことなく黙々と読書に集中しているようでした。背後で大声で駄弁る男女の集団と彼女の間に入る一筋の影の境界線が世界を分断していました。あぁ、彼女は私にないものを持っている。私は確信しました。私と違って、彼女からあふれ出てくるものは欲望ではなく品性でした。品性というものは身に着けている服装であったり、アクセサリーであったりではありません。それらは、結局は服装やアクセサリーからあふれる品性のことでございまして、身からあふれる品性とは別物です。思うに、品性とは意図の不在です。そういう意味ではスーフィーやお坊さんは品性があります。私は幾度となく、品性を獲得しようとあれこれ画策してみたのですが、どうにも身につかず、そしてついに、画策すること自体が品性の欠如であることに気づき、かといって修業を始める勇気も出ずに、惰性で今に至っていました。品性を持つ彼女にとっては手に広げられた蝶々の種類など何でもよいのでしょう。彼女が美しい蝶々を選ぶのではなく、美しい蝶々が彼女の手を選んでいるわけです。対して品性を持たぬ私には自ら蝶々が寄り付くことはありませんから、意図するままに美しい蝶々を捕まえるしかないのです。蝶々だけではありません。彼女は何も意図せずともあふれだす品性の蜜が美しい昆虫を呼び寄せているのでしょう。
私は彼女を美しいと思いました。不思議なことに湧き上がってきたのは嫉妬のようにどす黒いものはなかったのです。たぶん、嫉妬というものはそれほど望んでいないものを持つ人間に対して向けられるものなのでしょう。しかし、心から渇望するものを持つ汚い昆虫に向けられるものに、嫉妬は入り込むことはできず、そこには感嘆の言葉のみが残るのです。とはいえ、私のような者は品性の蜜に近づきすぎるとその輝きに焼かれてしまいますから、知りたいという欲望だけを残して遠くから蜜を眺めます。私に座っている角度からは彼女の顔を見ることができませんでした。というのは、生い茂る木の葉が彼女の顔をうまく私の視線から隠していたからです。もちろん座る位置をずらせば、彼女の顔を見ることができるでしょう。しかし、それではいけないのです。彼女の顔を見たいという実に傲慢で個人的な欲望のために動くことを自然の摂理が許さないのです。自然の摂理は美しくない者が蜜に近づくことを許しません。私の今座っている場所は自然の摂理が定めた場所であり、私がこの場から動こうとするものなら、それは自然の摂理への反逆でしかないのです。私には依然として意図が感情を支配していました。願わくば、自然の摂理が私の欲望をかなえてほしい。ふっと吹いた風が彼女の顔を覆う葉を吹き飛ばしてほしい。なぜならば、それは私が自然の摂理を動かそうと意図したのではない。自然の摂理が私の欲望を認めたということになるからです。しかし、自然の摂理は私にやさしくしてくれはずもなく、葉は依然としてそこにとどまり続ける様子で、彼女の美しい顔を見ることはできないようでした。
美しい。いや、ちょっと待ってほしい。誰が彼女の顔が美しいと決めたのでしょう。そうだ、私の渇望する欲望が勝手に作り上げた虚像じゃないのですか。現に見てみればよいのです。そこに座っているのは単なる化粧っ気の濃い一端の女子大生の一人かもしれない。そうと知ったならば、たちまち彼女の手に広がった蝶々の表面には、実に雑多な柄が浮かび上がってくるでしょう。それならば、私はいったい何を欲望しているというのですか。あるかもわからぬ品性の虚像を作り出して欲望したかと思えば、そのくせその品性の輝きを恐れるなど馬鹿々々しいではないですか。そんな無意味もこの場を動くだけで解決するはずです。彼女の美しさを確かめたかったから動いた、ただそれだけのことで自然の摂理に反逆したことになり得るのでしょう。そうだ、私はなぜ動けないというのだ、なぜ動かぬ。なぜ。
気づいた時には、彼女は同じサークルの仲間であろう人に話しかけられ、その場を後にしようとしていたところでした。顔の魔力に翻弄された昼下がりのことでした。