ガチャ82 天秤に乗せられた恋人と両親
これだけ静かなら、廊下にだってリズミカルな包丁捌きが聞こえるはず。
しかし、調理室でエリーを待つのは不気味な静寂だけだった。
「お母さん? お父さん? どこにいるの!?」
焦燥したエリーが声を張り上げると、調理室の天井から猿耳の小男が落ちてきた。
「エリーちゃんだね? カワユイなぁ~!」
猿耳をピクピクさせ、ニタニタと笑う小男。
エリーは後ずさりながらも、
「あ、あなたは誰? お母さんとお父さんはどこ!?」
と、険のある声で問いただす。
小男はポーチからバヌヌを取り出し、皮を剝き始めた。
「オイラ? まぁ、誰でもいいじゃないか。それより、エリーちゃんが探している2人は、3階の角部屋で仲良く寝てるよ~。 早くいってあげた方がいいんじゃないかな? ウキキ!」
小男は猿声で笑いながら、バヌヌを頬張っている。
まったく動く様子がない。
エリーは小男に背を向け、全力で食堂を飛び出す。
カウンター近くの階段を駆け上がった。
転びそうになるのを何度も堪えた。
リュウが寝泊まりしていた部屋の扉を乱暴に開ける。
床に落ちる数滴の汗。
視界に入ってきたのは変わり果てた咽び泣くアンナとケンの姿。
エリーは絶句した。
2人は手足を紐でくくりつけられ、猿轡を口に押し込まれ、ベットで転がっていた。
聞くに堪えない壊れた笛のような呼吸音。
エリーはとにかく紐をほどこうとして、二人の身体に触れる。
「っ! お母さん! お父さん! しっかりして! 」
両親は死人のように冷たい。
数百というドス黒い斑点が原因のようだった。
黒い斑点が皮膚の下でアメーバのように蠢いている。
「……お医者さんに、早くいかなきゃ!!」
と叫ぶエリーの背後から、大きな影が差し込む。
大柄な影の主はエリーの頭上から、野太い声を降らしてきた。
「エリー。お前が言うことを聞けば、コイツらにかけた特殊な病を解いてやるぞ」
ゆっくりとエリーが振り向くと、ゴリラのような風貌の男が獣染みた顔で笑っていた。
「……何が欲しいの? お金でもお酒でも、何でもあげるから、はやくお母さんとお父さんを元に戻して!」
とヒステリックに大声を出すエリー。
アンナとケンが、愛娘の大声に意識を呼び戻されて、微かに瞼を開けた。
「……そこに、いるのかい? エリー……」
弱り切ったアンナの声。
瞳に溜まる涙で両親の姿が霞んで見えた。
「お母さん! お父さん!」
2人に触れようと手を伸ばす。
しかし、寸での所で粗暴な獣腕に阻まれてしまう。
「俺の許可もなく、触ろうとするんじゃねぇよ」
細腕を掴まれながらも、エリーは目前で弱り切っている両親へと空いた手を伸ばす。
「離して! 離してよぉ!」
ともがくエリー。
額に血管を浮き上がらせたゴリラ男が、
「うるせぇぞ!」
と毛深い手でエリーの頬を打つ。
「かはっ!!」
頬内を切ったエリーが吐血しながら壁に叩きつけられた。
ゴリラ男はかなり手加減をしたつもりだったが、線の細いエリーには耐えられない一撃。
「ゴホッゴホッ……」
と、むせ込むエリー。
焦点の合わない目つきで、よろめきながら立ち上がった。
(この獣人からは逃げられない。
抵抗はムダ。
はっきり言って怖い。
けれど、2人を助けたい。
お金で解決できそうな話じゃなさそう。
だったら、何が欲しいの?)
痛みで多少クリアになった頭で考えられることは、パニック前とさほど変わりなかった。
ただ、ゴリラ男は大声を出せば叩くくらいの短気さだと理解できて良かったのだろう。
思ったことを口にせず、黙って考えていることができた。
おかげで殴られずに済んだ。
「最初からそうしてればよかったんだよ。歯向かうからこうなる。両親の命が掛かってると思って、慎重に動けよ?」
と嘲笑うゴリラ男。
どうやら、ついでに従順になったと、勘違いしてくれたらしい。
必死に打開する道を探しながら、エリーは黙って頷き返す。
「それでいい。じゃあ、今から『王国政府の緊急依頼』薬草採取を受けてこい。
護衛に当たる冒険者チームを俺達『豪猿』に指定しろ。
あとは、俺の指示に従ってある場所へ行き、ある人物をおびき出すための人質として過ごせ。
終われば、その病に効く特殊なポーションを渡す。
不自然な言動をしたら、ポーションを叩き割って消えるから気をつけろ。……わかったか?」
「……言う通りにしたら、本当に治してくれるの?」
「依頼主は、お前を生きたまま人質にしたいと思ってるらしいからな。要望に応えないと、俺達も報酬がもらえないだろ? おい。エテキチ! エリーに少し見せてやれ!」
部屋の外で待機していた猿耳の小男が、間抜けな笑みを零しながらドアを開けて入ってきた。
「ダンクのアニキ! 呼んだ? ウキキ!」
「間抜け面してんじゃねぇ! さっさとやれ!!」
「はいは~い」
エテキチがポーション瓶を取りだし、黒い薬液をアンナとケンに振りかけていく。
すると、2人の身体を蝕む黒い斑点が僅かに薄まった。
「斑点が小さくなった……」
このポーションがもっとあれば、2人を助けられる。
エリーの視線が、エテキチの持つ空のポーション瓶に釘付けとなった。
そんなエリーを見て、ほくそ笑むダンクが、
「全てが終われば、このポーションをくれてやる」
とマジックポーチから、黒い薬液の入ったポーション瓶を、見せつけるように数本取り出した。
エリーはポーションを見つめながら、唇を嚙み締めた。
両親を助けられるものが目の前にあっても手にすることができない己の非力さを恨んだ。
しかし、人質として生かしたまま捕らえたいのなら、それを利用することはできるはず。
俯き考えるフリをしながら調理台を横目で見ると、淡く光るモノを見つけた。
調理台と全く同じ色合いの果物ナイフ。
知らずに触れて、何度もケガをさせられてきた。
獣人達が気が付いている様子もない。
「……私がこの場で死ぬって言ったら、どうするの?」
エリーは果物ナイフを手にとり、首に当て、
「死んで欲しくなかったら、お母さんとお父さんにポーションをかけて治して! そうしたら、ついていく!!」
と金切り声を上げた。
首筋から一滴の血が流れる。
「こりゃあ、たまげた。両親想いのお前が、2人を見捨てて死ぬっていうのか? いいぞ。やれるもんならやってみろ。この親不孝者! ウホッ! ウホホホホホ!」
「エリーちゃん。手が震えてるよぉ? 無理はしないほうがいいんじゃない? ウキキ!」
ダンクとエテキチは『どうせできやしないさ』とニヤニヤ笑っていた。
きつく目を閉じたエリーがさらに深くナイフをいれようとした時、微かに意識を取り戻していたアンナが、掠れた声で待ったをかける。
「……バカなことはおよし、エリー。でも希望を捨てちゃあいけないよ……。お前には英雄が……。いや、本物の『魔装』がいるじゃないか」
魔装。
それは御伽噺「勇者物語」の主人公の二つ名だ。
幾つもの国宝級の装身具に身を包み、魔王を撃退、封印。
当時最大勢力を誇っていたジパング王に功績を認められ名づけられたものだ。
物語の中で、魔装は最強冒険者の代名詞でもあった。
鼻白むダンクも、当然知っている話だった。
ダンクはイラつきを隠さず、
「勝手にしゃべってんじゃねぇぞ!」
とアンナの腹に踵を落とす。
「ぐっ!」
顔を歪め、気絶したアンナ。
エリーは駆け寄りたい気持ちを、グッと堪えた。
(騒ぎ立てれば、この獣人、お母さんを殺すかもしれない……)
と、直感が訴えてきたからだ。
「とんでもない彼氏がいたもんだな? 会ってみたいもんだぜ。どうせ、線の細いへなちょこ冒険者なんだろうがな!」
ダンクがエリーを覗き込む。
「その、リュウって野郎は」
後ずさりながら、目を見開くエリー。
(知ってたんだ! リュウ兄さんのこと。私を人質に誘き出したいのは、きっと……)
エリーの考えに検討がついたダンクは可笑しそうに目を細めた。
「でも、ここで死ぬなら関係ないか! お前は彼氏も泣かす悪い女だなぁ」
「……リュウ兄さんに手を出したら、今度こそ舌を噛み切って死んじゃうから」
「意外と気が強いじゃねぇか。そそるねぇ。だが、そもそも、リュウが依頼主の呼び出したい相手かどうかもわからないだろう? 仮に『ある場所』まで来たら、その時は……そうだな。お前の身の振り方次第で考えてやるよ。ウホホ!」
嘘のつき方が下手クソだとエリーは思った。
膨らむ鼻が、不自然すぎるのだ。
これでリュウが狙われているとはっきりわかってしまった。
両親を人質に取られ、恋する義兄の命と天秤にかけられている。
自分が助けられるのは、どちらか一方のみ。
そう理解した瞬間、全身に寒気が走っていく。
脱力し、支えを失ったナイフが床の上にカランと音を立てた。
連載して、とうとう一年。
ここまでこれたのも皆さまのおかげです。
モチベーションって本当に大切です。
ありがとうございますm(__)m




