彼が『視た』世界
この世界には、科学では立証できない様々な現象がある。それは心霊現象だったり、UMAだったり、そして人間の感情だったりと多岐に渡る。
そんな超常現象の中で、凡夫には見えない世界を『視る』者たちがいた。
陰陽師である。
地相、天体観測、占星、呪術、祭祀等と多くの霊的世界を調節し、世界の調和を保つ役職であった。陰陽師二大家系となる賀茂忠行、安倍晴明ら二名は色濃く呪術的な血筋を残し、その後、陰陽師は政界の裏で活躍する職となった。
しかし、江戸から宗教信仰が疎かになり、加え外国からの科学技術伝来により、陰陽師等の占術を扱う貴族達は衰退の一途を辿っていく。
そんな彼らの残した血筋は、日本各地に散らばった。だが、己がかの安倍晴明又は賀茂忠行の血筋を受け継いでいると意識している人間はどれぐらいいるのだろうか。恐らく、殆どいないと言っていい。
科学が発展していく中、宗家から独立した分家は呪術を捨てたのだ。科学によって呪術が隅に追いやられたということもあるのだが、第二次世界大戦で多くの跡継ぎが死したのも大きい。
そうやって、陰陽師の超常的能力、霊感、功績は忘却の彼方へと葬り去られた……かのように思われた。
「あーあ、またいるよ」
1人の少年が気怠そうにそう呟く。
彼の視線の先には、一般人からすれば何もないように見える。それもそのはずだ。彼らは世界の表層しか視線で捉えることが出来ない。
だが、少年は違っていた。
少年の目には、宙に浮かんで彼に微笑みかけているお爺さんが1人。
「まだ成仏してなかったのか」
少年の名はと言う。
彼は、断続したかに思われた陰陽師の血を得た……正確には『先祖返り』をした少年だった。
★
平林秋則は幽霊が見えた。そう自覚したのは小学校低学年の頃だ。自宅付近の寺に友人と遊びに行っていると、1人のお爺さんが境内に立っていた。ただ、そのお爺さんは太ももから膝下がまるで蜃気楼のように揺れていた。それでいて、宙に冗談のように浮遊しているのだ。それは彼が知っている『幽霊』そのものだった。
だが、彼はそのことを誰にも言わなかった。寺に幽霊がいることも、自分がそのようなのを見てしまったことも。
彼は小学校低学年であったが、現実的なモノと非現実的なモノの区分けぐらいはついたのだ。ただ、自らの目から見える光景を否定することはしなかった。
それから高校生に至るまでの数年、彼は積極的に幽霊と接触するようになった。
最初は好奇心だった。幽霊という存在はどのようなものなのか。彼らはいったいどういう思いを抱き過ごしているのだろうか。そのような興味が彼の中に蓄積していった。
そして、様々な幽霊と接触していくうちに、自分の『使命』というものを自覚するようになった。
数多くの幽霊は前世に未練を残し、現世に束縛された悲しい人々だ。本来では、人は死ねば魂の輪廻に導かれなければいけない。
そして、その輪廻へ導く案内人が、古来日本で活躍していた陰陽師だったのだと言う。年に一度に行われる大規模な禊、それを行うことによって現世に留まっている幽霊を、当人の意思に関係無く成仏させるのだと、平安時代に生きていた貴族風の幽霊が言っていた。
しかし、陰陽師という役職が絶たれた今、多くの幽霊が成仏することもなく、ただただ無為に現世を彷徨い続けているのだ。
中には自力で己を縛っている未練を解き、成仏し輪廻へと戻る物もいるが、それは希少な例と言ってもいい。
ただ、秋則は稀有な才能の持ち主だった。それは幽霊という非現実的な世界を視ることに加えて、彼の意思で彼ら……つまり幽霊を成仏させることが出来るということだった。
ある日、その能力に気が付いた秋則は多くの幽霊を成仏させてきた。ある時は悲運な事件に晒された女の子を、ある時は大志を抱いて死したピアニストを、ある時は孫に殺されたおばあさんを……。
秋則は己の能力が、きっと運命によって定められたものだと確信した。この世界に留まって嘆いている人間に、次の人生へと送る案内人に自分がなるのだ。
そんな夢を持った秋則は平凡な日常を送りながらも、非凡な非日常を繰り返していた。
秋則はいつも通り七時半に家を出た。
革靴の感触は、高校に入学してから二年以上も履いているのだが、やはり慣れることは無い。つま先で地面を数回叩き、履き心地を改めて確かめてから秋則は通学路へと歩く。
季節は夏。網膜を焼くじりじりとした太陽が道路に降り注いでいる。心なしか蜃気楼が見えたような気がする。玄関から日差しを諸に受けた秋則は、そんな陽日に嫌気が差しながらも淡々と歩いて行く。少し歩くと住宅街から出て、小さな商業ビルとマンションが立ち並ぶ区域へと出た。秋則は建物の日陰を歩きながらも、淡々と歩く。
秋則が通っている学校は、彼の自宅から徒歩二十分ほどの場所にある。途中、友人と合流し、談笑しながら学校へと向かっていた。
そんな時だった。
友人が熱中しているソーシャルゲームを語っているとき、彼の視線は幽霊を捉えた。最初は暑さに頭でもやられたのかと思ったが、それは幻想でも蜃気楼でもなかった。大腿から膝付近が朧気に揺れ、そして膝下が透明色のグラデーションが掛かっている。それでいてまるで周囲に無視されているものだから、明らかな幽霊だった。
いつもの秋則であれば、それで動じることなどない。
人間が幽霊になることはそこまで珍しいことではないし、秋則も彼らを見ることに慣れてしまっている。それに加えて秋則は独自の情報網を有しているため、幽霊が現れれば、彼の耳にその情報が飛び込んでくるようになっていた。
先日、その情報通のお爺さんからの通達が一つ。
『少女の幽霊が現れた』
少女の幽霊という言葉を聴き、秋則は痛ましい思いで胸中が一杯になった。だからこそ、今日の放課後にその幽霊を探し出し、成仏の手伝いをしようと思っていたのだ。
だが、今日はいつもとは異なり、秋則はその幽霊に大きな動揺を誘われた。
そんな秋則も気にせずに幽霊は歩いていき、そして雑踏の中に消えていった。
「おい、どうしたんだ。秋則? 」
秋則が唖然とした様子で幽霊の少女が消えた先を見ていると、心配そうな表情を浮かべた友人が彼に声をかけた。
「あ、あぁ……。ちょっと、暑いなと思ってただけ」
「おいおい、熱中症で倒れたらここで置いていくからな」
「それは勘弁してくれよ」
秋則は友人と軽口の応酬をするが、気分が落ち着くことは無い。
……あの幽霊、赤田さんじゃないのか?
友人との会話に参加しながら、先ほどの幽霊の姿を思い出してみる。幽霊特有の足と同じ制服、そして黒髪に赤色が混ざった赤褐色の頭髪。ここまでは彼が彷彿とさせた赤田さん――赤田浪打だった。いや、違う。今の彼女の姿はそのようなものではなかったはずだ。
彼女は活発な人間だった。
いや、俗的な言葉で表すとすれば彼女は『チャラい』というものだった。
入学当時の彼女は大人しげな少女だったことを記憶している。教室の隅で本を読むような人間では無かったのだが、特に目立つような少女ではなかったのだ。友人と楽しげに談笑し、勉強に熱心だったことを覚えている。
だが、一年の夏休みを隔てていつの間にか、彼女は髪を金髪に染色していた。服装も過度な露出が目立つようになり、薄い化粧までし始めたのだった。
一ヶ月を隔てての急激な変化だったので、一部の生徒は様々な憶測を交わした。質の悪い女友達に捕まったとか、男が出来たとか、そのような類いのものだ。そして、秋則もその1人だった。
結局、事の真相は単純で、浪打に彼氏が出来たのだということだ。とにかく、秋則が浪打に抱く印象は『元気で騒がしい』というものだった。
しかし、先ほどの幽霊の容姿は、それとは似ても似つかない。
黒髪に赤色が混じった赤褐色の髪と、そこそこ整った顔立ちをした少女だった。それは現在の浪打ではなかったが……入学したての頃の浪打の姿には酷似していた。
いや、違うはずだ。自分の身近の人間が幽霊になるはずなんて無い。
「……お前、なんか徹夜でもしただろ」
浪打に酷似した幽霊の少女のことが頭の中を支配する。そのせいで、友人から声を掛けられてもまともな返事をすることが出来なかった。
「そんな風に見えるか」
辛うじて、秋則は声をだすことが出来た。
「あぁ、なんか顔色が青いぜ。試験日も近くないのに、なんかゲームにでも嵌ったか?」
「いや……小説読んでたんだ。最近映画化してやつの」
秋則は悩んでいることを正直に自白することも出来ないので、咄嗟に理由を取り繕う。そこまで絆が深い友人というわけでもないので、彼はこの嘘に簡単に引っ掛かった。その後、秋則が話題にした映画の話を話し合っていたのだが、やはり彼の脳内からは先程の幽霊の少女が離れなかった。
結局、秋則は先程少女が頭から離れないまま学校の教室へ到着し、自分の席へと着席した。すると、幾人かの女子がこそこそと噂話をしているのが目に入った。趣味が悪いと思いながら聞き耳を立ててみる。辛うじて彼女たちの声が微かにだが聞こえてきた。
「ねぇ、聞いた。なみっちゃんの話。なんか自殺したとかなんか……」
「うん、夏子の家に電話が掛かってきたんだってね。なみっちゃんとめっちゃ仲良かったから……可哀想」
「大丈夫かな」
「今日は休むって。LANEで連絡したら、そう来たよ」
秋則は自分の心臓の鼓動が大きく跳ね上がるのを感じた。彼女たちの話題の中心人物の『なみっちゃん』。それは浪打のアダ名だったからだ。
先ほどの幽霊はやはり浪打だった。
そう確信したと共に、秋則はその事実を暫く受け入れることが出来なかった。
別に、浪打と親交が深かったわけではない。時たま会話を交わす程度の仲だった。しかし、それ以上に彼は自分の周囲の人が死んだという事実に驚愕してしまっていたのだ。
茫然自失としたまま席に座っていると、時間があっという間に過ぎ、予鈴が学校中に鳴り響いた。担任教師が入ってきた。彼の顔に視線を向けてみると、やはり表情は暗い。
そして、いつも通りの前口上の後に、浪打が亡くなったことを静かな口調で述べた。死因は話さなかったし、彼女の親友だった少女たちが休んでいることに触れなかった。ただただ静かに教師は黙祷を促すだけだ。最初は浪打の死に騒然としたクラスメイト達であったが、黙祷は静かに捧げられた。
俯き、目を瞑っている間、秋則は考える。
浪打が死んでしまったことは残念だ。そして、身近な人間が死したショックは予想以上に大きい。
だが、浪打を放置することは出来ない。幽霊は生者に危害を加えることは無い。彼女が自暴自棄になって他者へ殴りかかっても、彼女の拳が空を切るだけだ。幽霊は生者へ触れることは出来ない。秋則のような特別な才能がない限り、話すことも、何も出来ない。
秋則は他者の目を盗んで浪打の席を見る。そこにはただただ席があるだけだ。秋則から机を見ると、彼女の机の中が散見できた。そこには昨日まで使っていただろう跡がある。
秋則はどうしようも無い虚無感を感じた。人が死んだ。それは彼の心に大きな痼を生んだ。
彼は改めて、浪打へ黙祷を捧げた。
今日の授業は授業にならなかった。皆が浮き足立っているのだ。それは浪打の死が要因だった。だからか、教師も彼らを叱ることが出来ず、そのまま放課後となった。担任教師は浪打の話題には触れなかった。コレ以上浪打の話題を出してもクラスの雰囲気が悪くなる一方だと思ったらしい。
秋則も周囲の空気に居心地の悪さを感じていた。とは言え、その空気を形成していた一員も彼だ。妙に落ち着かないし、授業に集中しようとしても今朝の浪打の姿が網膜に刻まれ、離れない。少しでも何か考えると、浪打の死んだ表情が浮かんでくるのだ。
学校が終わると、秋則は駆け足で帰宅した。周囲から多少奇異の視線を向けられたが気にしなかった。彼は自宅に帰り、鞄や制服を放り込み、急いで私服に着替えて家を出た。
これから秋則は浪打のことを探そうと思ったのだ。宛なんか無いし、彼女の趣味嗜好など彼は知らない。ただ、義務感に駆られて自然と足が動いていた。
町の景色が前から後ろへ流れていく。小さな商業ビル、瓦屋根の家屋、杉並木、公園の遊具。色彩が視界の端で混同し、境界が曖昧になっていく。
秋則は様々な場所を探した。ギャルだったら行きそうな場所には恥を忍んで出来る限り足を運んだ。しかし、そこに浪打はいなかった。もう町にはいないのかもしれない、そう考えたが、足を止めることを彼の意思はよしとしなかった。
ただ只管、無我夢中に走った。今までこんなに走ったことなど無いのではないだろうか。肺に息がつまり、足の感覚がなくなり始める。滝のように流れる汗が洋服に張り付き、気色悪い感触が体中に伝わる。だが、彼は構わない。ただただ走る。
浪打の家にも訪れた。彼女の親友だと偽って上がらせてもらったのだ。しかし、そこには彼女の姿は無かった。あるのは仏壇と浪打の死体だけだ。秋則は仏壇で線香を上げ、彼女の家を後にした。
秋則はただただ走る。
そして、最終的に彼は再び学校へ来ていた。制服を着用していない人間は立ち入ることを禁止されているが、彼が今着ている服はスポーツウェアだ。部活中の生徒と思われるに違いない。秋則は上がった息を整えながら階段を上がり、自らのクラスへと足を踏み入れた。
――いた。
浪打は机の上に座って、沈んでいく赤い夕陽を呆然と見ていた。色濃く影が表れていると思うのは、日差しのせいだろうか。
「……赤田さん」
秋則が静かに語り掛けると、浪打は静かに首をこちらへと向けた。彼女の顔に浮かんでいる表情はただただ無表情だ。ただ、目元が赤くなり、涙の跡が出来ているのを見ると、ここで泣き腫らしていたようだ。秋則は静かに彼女の下へ歩いて行く。
「――平林。あんた、私が見えるの」
「あぁ、見える。俺だけは、お前が見える」
そう言った後、少し沈黙が彼らの間に居座る。しかし、それもすぐに浪打が静かに泣くことによって打ち破られた。肩を震わせ、ただ無言で嗚咽を抑える彼女の姿を、浪打はただ見ることしか出来なかった。
★
彼は帰宅した。ただ、1人だけではない。浪打も一緒だった。
秋則は静かに座り、それと対峙するように浪打も座る。
二人は少しだけ視線を交わし、秋則は自分が何故浪打のことを見ることが出来るのかを話した。普通の人間ならば鼻で笑ってしまうような突拍子も無い話ばかりだが、しかし、浪打は静かに耳を傾けた。当然だ。浪打も、普通の人間であれば鼻で笑うような存在と化してしまったのだから。
様々なことを秋則は語る。要した時間は五分と少しだったが、体感時間は異様に長く感じ、自分は一時間以上話したのではないかと錯覚するほどだった。
そして、最後に秋則は告げた。
「俺はお前を成仏させることが出来る」
浪打はその言葉を聞くと、雰囲気が少しだけ硬くなったような気がした。恐らく、自分が消えるということを想像したのだろう。そう考えた秋則は、浪打に「別に消えるわけじゃない。行くべくところへ戻るだけだ」と付け加えた。
それに加えて、秋則はいつも通りの手段を取った。
「俺はなるべく気持よく去ってもらおうと思う。だから、言いたいことがあれば俺に言え。何でもいい。世の中の不条理や同情や……訳でも、何でも」
墓場に持って行きたい秘密というものも存在するだろうが、多くの幽霊は自己の死因を話したがった。理由は単純で、同情して、哀れんで欲しいのだ。多くの幽霊がそのような考えを持っているということは、数多くの体験の中で学び取っていた。
浪打は少しだけ躊躇したけれども、ゆっくりと口を開いた。
「……私ね、変わりたかったの」
その口調は生前の彼女の言葉遣いではない。それはどちらかと言えば、まだ彼女の態度が軟化する前の生真面目な浪打の口調だった。砕けた言葉ではなく、真摯な言葉。自然と秋則は、今までの彼女の姿は仮の姿なのだと察する。
「自分のこと、地味だと思ってたから、変わりたかった。ただ、それだけなの。でも、なんか違う。私が求めていたもの、未来じゃなかった。私……間違ってたの。間違ってた。どうしようもなく、間違ってたの」
彼女の語調は淡々としたものだった。感情の渦に身を曝されないように、感情に蓋をしているのだ。彼女のそんな姿に秋則は居た堪れなくなり、視線を逸らした。
「自分の未来が見えなくなった。入学した時は、見えてたはずなのに、霧が霞んだように、手を伸ばしても、何も掴めなくなった。私は……私は何がしたかったのか、もうわかんなくなった」
話し終えると、浪打は俯いた。秋則は彼女の側に寄り添い、背中を摩る。
暫くの間、彼女は顔を上げなかった。
恐らく、様々な感情の奔流が飛沫をあげて襲いかかっているのだ。死んだことに対する後悔や絶望、今までの人生に対する虚無、友人知人家族に抱く申し訳なさ。それが幾重にも重なり彼女に押しかかっている。だが、秋則は助言も何もしない。
昔、彼は元陰陽師の幽霊と出会ったことがある。彼は秋則に幽霊を成仏させる才があることを見抜いた張本人だ。
そんな彼は人を成仏させる際には、当人としっかり向き合うことが重要だと説いた。
彼らが現世に縛り付けられている最もたる要因は悔恨、未練と言った感情だ。この感情を解きほぐし、未来への展望を開かせない限りは輪廻へ還らせることは出来ない。
だから、秋則は浪打へ手を貸さなかった。彼女の中の葛藤は彼女が行うべきであるし、これは一種の儀式でもあるのだ。
未来へ向かうには、過去と向き合わなければいけない。
相当長い間、浪打は俯いていた。秋則も淡々と彼女の昂った感情を鎮めるために背中を摩り続けた。夕日が沈み、暗い闇夜が周囲に齎され、それを払うかのように街灯に灯りが灯った。蝉の耳を劈くような声は消え失せ、鈴虫の風情ある鳴き声が周囲に木霊した。
「もう、大丈夫だから」
長い時間俯いていた顔を緩慢な動きで浪打は上げた。その姿に秋則は微笑む。彼女は何処かスッキリとした風だった。
彼女の死因は知らないし、そもそもどうやって死んだか、死した要因は何か、秋則は知らない。だが、彼はそれで良いと思う。
「それで、平林君。どうやって私のことを成仏させるの?」
「簡単だ。俺が成仏しろと願えば、いつの間にかいなくなる。本来だったら大々的な儀式を執り行わなきゃいけないらしいけど、俺は生来の才能を持っていたようだ」
「それは……日常生活じゃあんまり役に立ちそうに無いね」
「あぁ、でも悪い能力じゃ無いぜ。少なくとも、人を救うことが出来るんだからな」
秋則は真っ直ぐに浪打を見据えた。浪打も秋則のことを真っ直ぐに見据える。
「確かにそうかもしれないね。少なくとも、私は救われた」
「それは……よかった」
秋則は心の底からそう思った。目の前の少女が救われた。本来であれば、暗澹たる孤独な世界を彷徨う魂を掬い上げることができた。
嬉しいという感情と寂しいという感情が混ざり合った妙な気持ちを抱えながら、秋則は手を彼女の顔に差し出した。
目を閉じて、己の魂と相対する。それは青く光、揺れている。そこにもう一つの黄色くか細い光が現れた。それは浪打の魂だ。
静かに青い光を黄色い光をへと近づけて行く。慎重に、精神を集中させ、ゆっくりと。そして、異なる色彩の光が接触し、細く消えそうな黄色い光が、轟々と燃える炎へと変化した。その光は強く、美しく、気高い。
「……これで終いだ」
「案外、呆気ないんだね」
「あぁ、けど、これでお前が逝きたいと思う時に、いつでも行くことが出来る。ガイドの案内はここで打ち切りだ。そこから先はお前が踏み込むんだ」
「無茶言うなー」
浪打は憑き物が取れたような屈託のない笑みを浮かべた。
「ねぇ、向こうには天国とか地獄とかあるのかな?」
「さぁ」
「幽霊とかから聞いてないの?」
「向こう側は一方通行なんだ。でも、案外居心地が良い場所なのかもしれない」
「だったら、転生なんてしなくて、一生その場に居座っちゃうかも」
「きっと、向こうも何もしない人間は追い出すに決まってるさ」
「そうかもね」
秋則と浪打は軽口を言い合った。その内容は皮肉と愚かさに塗れていたが、それは恐らく浪打に残っている微かな恐怖を打ち消すためだったのだろう。
現世という鳥籠から、囚われていた彼女は飛び立とうする。
「ありがとう」
そう言って、彼女は消えた。幽霊の核となった魂は昇天し、本来の場所へと還っていく。
秋則は暫くの間、浪打が立っていた場所を見下ろし、そして「ありがとう」と言われた瞬間にある記憶を思い出した。
揺れるカーテンに教室、赤黒い髪が揺れている中で、一人の少女が自分に向かって微笑みかけていた。
「あぁ、どういたしまして」
秋則は思い出に胸が軋む思いを感じながらも、なぜ今になってその感情が浮き彫りになったのだろうかと己の不幸に苦笑し、手向けの言葉を小さく呟いた。
「あなたの来世に、幸福が満たされているように」
――
誰もいない放課後、教材を持ち帰り忘れていた秋則は、教室へと戻っていた。その時、一人の少女がワークの問題集を見て四苦八苦していた。
「どうしたんだ?」
秋則は苦悶の声を捻り上げている少女のことが気になり、近づいて見る。すると、古典の一番最初の問題が開かれていた。
「あ、えーと……」
「平林だよ」
「あぁ、そうそう、平林君。ねぇ、後でジュース奢ってあげるから手伝ってくれない?」
何を、と思うほど彼も鈍感ではない。つまり、彼女は宿題を忘れてしまって居残りを強制されているのだ。付き合う義理はないと思ったが、秋則は生憎部活には入っていない。普段、暇をつぶしているゲーム機器も故障し、修理に出している最中だった。
「まぁ、いいぜ」
「え、本当っ!? ありがと!!」
その時の輝かしい笑顔は秋則の記憶に刻まれた。それは一種の直感のようなものだったかもしれなかったし、本能的で衝撃的なものだったのかもしれない。
――秋則はその少女に……恋に近しい感情を抱いた。